フォローアップ研修会に参加。
講師は犬養万葉記念館の岡本先生。
月1回、万葉講座に参加しているが、よくわかっていないところも多い。
今日の講座でわかったことも多く、勉強になった。
明日香を守るために働かれた犬養孝先生。万葉集を世に広められ、明日香村名誉村民となられる。
甘樫丘に建つ「釆女の袖吹き返す 明日香風 都を遠み いたずらに吹く」
(志貴皇子)この万葉歌碑は全国に141基あるという犬養孝揮毫の万葉歌碑の、第1号だ。
万葉集の成り立ち。万葉仮名のことも、自分の中でだいぶ整理できた。
万葉集は奈良時代末期に成立。
天皇や豪族から庶民の歌が収録された巻物。全20巻。
防人の歌が面白かった。
防人とは岬守からきた言葉で、古代北九州の防衛のために配置された兵士のこと。
初めは諸国から、後には東国出身者が選ばれ、3年交代だったそうだ。
なぜ東国に限るのかな?という疑問は、資料に「独自に海外関係を構築しつつあった九州豪族の力をけん制する目的があったとの説がある」ということ。そうだったのか。
作者不詳の歌も多い中、「防人歌」は作者名がすべてわかっている。
なぜか?
それは、大伴家持の任務とも関係する。
大伴家持は兵部省の役人として、防人に関わる役目をしていたという。
防人たちが、どんな気持ちで任地に赴くのか知りたかった。又、他にも事情があったのかも。防人たちに1人1首の歌を作らせ、役人に歌を収集させたらしい。
歌など経験のないものが多かったが、役人の助けも得て、作者の名と共に、166首が提出されたという。
その内、家持のお眼鏡にかなった?半数ほどの歌が万葉集に採用されたらしい。
若い兵士たちの歌は父母・母を詠んだ歌、妻を詠んだ歌が多い。
その中で「父」を詠んだ歌は1首だけだとか。
父を置いて長い道のりを行かねばならない重苦しい心を詠んだ。
そして、次の2首は同じ人が詠んだ歌。
その一つは、鹿島の神に武運を祈り、天皇のために戦うぞ。的な歌。
①「あられ降り 鹿島の神を 祈りつつ 皇御軍卒に 我は来にしを」
同じ人の詠んだもう1首の歌は、
②「筑波嶺の さ百合の花の 夜床にも かなしけ妹そ 昼もかなしけ」
別人のように、別れてきた可愛い妻を夜も昼もいとおしく思うと詠む。
妻の元に帰りたい気持ち。これが本音。
相反する2首が採録されている。
家持もその気持ちがわかるのだろうと思う。
①の歌は、先の大戦中、戦意高揚のための宣伝に使われたのだとか。
②の歌などもっての外の時代だった。