①先ずは1人目の講師から「延喜式祈年祭祝詞」に出てくる神社のお話。
延喜式に記載されている祈年祭(1年の五穀豊穣などを祈る祭祀)
その時に全国から参集する神主などを前にして、中臣氏が神々の前で奏する祝詞に出てくる神社
*「御縣(みあがた)神社」
大王(天皇)に献上するための神聖な菜園の霊を祀る。
大和6所御縣神社:高市御縣神社 葛木 十市 志貴 山邉 曽布
*「山口神社」
山を司る 大山祇神を祀る。
皇室の用材を供給するための皇室所有の森(現在は国有林)
大和6所山口神社:飛鳥山口神社 石寸(いわれ) 忍坂 長谷 畝火 耳成
*「水分神社」
水を司る神を祀る。
大和4所水分神社:吉野水分神社 宇陀 都祁 葛木
まとめて説明があって整理がついた。
②日本書記 天武天皇10年(681)
681年2月25日 天武天皇が「律令を改定しようと思う」と編纂を命じられた。
(天智天皇の命により藤原鎌足らが編纂し、670年671年頃に施行された「近江令」を改訂したいということらしい)
689年 持統天皇の時に「飛鳥浄御原令」が施行。
この後、701年に文武天皇の命で刑部親王・藤原不比等により「律(刑罰)」と「令(法規)」の揃った「大宝律令」が施行され・・
その後、大宝律令を改訂した「養老律令」へと発展する。
3月4日 川島皇子・忍壁皇子・大嶋(島)・小首(こびと)などに、歴代天皇の系譜を記した「帝紀」と、説話などの「上古の諸事」をまとめるように命ぜられた。
命ぜられたメンバーの1人「中臣連大島」の話になる。
「中臣連大島」は飛鳥時代の官人で、その名は粟原寺の三重塔の伏鉢に記されているという。
粟原寺跡は行った記憶はある。
調べてみると、2018(H30)4月8日に行っている。
伏鉢の銘文の説明板「中臣大嶋が草壁皇子のために粟原寺建立を発願した・・」
2018(H30)4月8日の写真が残っていた。
説明も聞いているはずだが大島のことは覚えていない・・情けない・・
そして、大島は「五言。孤松を詠む」という漢詞を残しており、その中の言葉を見ると陶淵明集他と中国の文学者の詩の中の言葉?などが入っており、大変な教養の持ち主であったらしい。
こんなことまで調べられた講師もすごいな。いつも感心する。
4月3日 親王たちから庶民に至るまで「身に着けるものや着るものなど、身分に応じたものを身に着けるように」との規則?「禁式(いさめののり)92条」が制定される。
4月12日 合わせて14人に「姓をたまひて連といふ」(連の姓を賜ったということ?)
5月には有利な口利きを頼むために女官に対して物を送るなどの行きすぎは「罪に処する」との詔。 いつの世も・・
今日もまた、理解がなかなか・・です。