柿本朝臣人麻呂が、妻が亡くなった後に、泣血哀慟して作る歌。
長歌2首と短歌
「泣血哀慟」とは血の涙がでるほど嘆き悲しむこと。
長歌①「天飛ぶや 軽の道は 我妹子が 里にしあれば・・・・」
この歌碑は先日橘寺の西、「羽易の山の碑」の近くで見た。
妻が住んでいた「軽」は橿原市の大軽町だそうだ。
古代、物々交換の「軽の市」として栄えたところ。
軽の里に住んでいた妻は人目を忍ぶ間柄だったらしい。
会いたいけれど、度々会いに行っては人目につくし、人に知られてしまう。でもずっと思い続けていようと思っている時、突然、使いの人から妻が亡くなったことを聞く。
日が暮れるように、月が雲に隠れるように、寄り添い寝た妻が亡くなった。どうしていいのか・・
千分の一でも心が慰められるかと、妻がよく通っていた軽の市に出かけてみたが、耳を澄ませても鳥の声も妻の声も聞こえず、妻に似た人もいない。どうしてよいかわからず名前を呼んで袖を振った。
短歌2首
長歌②「うつせみと 思ひし時に取り持ちて わが二人見し 走り手の・・・」
これは先の妻とは違う人らしい。みどり子を残して亡くなったよう。
子が泣いても与えるものもなく、子を抱いて妻と寝た寝室に行き、昼夜わびしく戸惑いながら暮らす。
「奥さんは羽易の山にいますよ」と言う人がいて、岩を踏み分け行ってみるが、いるわけもない。
うろたえている姿が浮かぶ。 その後子供はどうしたのだろうか。
短歌2首の内の1首 天理市に歌碑がある。
「衾道を 引手の山に 妹を置きて 山路を行けば 生けりともなし」
「引手の山」は竜王山あたりらしい。そこに妻を埋葬して、山道を帰ってくるが生きた心地がしない。
奥さんは火葬して埋葬されたようだ。
大伴宿禰家持が独り天漢(天の川)を仰ぎて作る。七夕の歌 8首
その内の1首
「秋されば 霧立ち渡る 天の川 石並み置かば 継ぎて見むかも」
天の川に飛び石を置いたら、いつでも会えるでしょうか。
「天の川」に「飛び石」という発想が面白い。
先日つぼみばかりだった高取城のヤマユリ 今日は再挑戦。
今日はストック持参。
山道にいたカエル。背中側 真っ黒
お腹側も真っ黒 細かい粒々。
この頃、カエルが気になるが、調べてもわかりづらい。
数々の門跡を通り・・
大手門跡 桝形
桝形が多いのも高取城の特徴。強固な守り。
トリカブトの仲間 他の場所にもあった。
モミジ植樹。シカから防ぐ防護ネットで囲われている。
本丸下の高い石垣の前の大きいスギは御神木。
高い石垣 上の本丸跡へ登る。
その後、ヤマユリの咲いている場所へ。
石垣にヤマユリ群生。香りが降ってくる。
だいぶ咲いているが、まだつぼみの方が多いな。
大輪のヤマユリ 豪華。でも派手ではない。
しばし鑑賞。そして写真撮影・・むつかしい。
ヤマユリを楽しんで、帰り道、オオセンチコガネの死骸にアリが集まっていた。
命の循環を思う。
妹が「ここにもオオセンチコガネいるよ」というので見ると・・
何と、シカの糞を運んでいるではないか!
オオセンチコガネは山道でよく見る。動物の糞を食べることも知っているが、実際に運んでいるのを見るのは初めて。
うわ~~。うれしい~~。
シカの糞を前脚で抱えて?持って?後ずさり。
テレビで見る大型のフンコロガシは、スカラベとして紹介され、動物の糞を丸め、後ろ足で玉を転がして運んでいるのを見る。
オオセンチコガネは引っ張って運ぶようです。
シカも、シカの糞は丸める必要なし。
後脚で転がす。引っ張って後ずさり。・・どちらにしろ、運ぶ方向が見えないのに目的地へ運んでいる、というのは不思議だ。
どこへ運んでいくのかな?
途中、いったん糞を放して落ち葉の下へ・・
運ぶのをあきらめた?私たちが見ているから?
その後、戻ってきて、又糞を引っ張って、落ち葉の下へと消えた。
この下に、巣穴があるに違いない。
この間4・5分。うれしいオオセンチコガネ ショーだった。
ユリもうれしかったが、おまけが大きかった。
畝傍山周辺、本番の朝。
雨続きの毎日の中、曇り空でラッキーな出発。
参加者は少なかったが、その分ゆっくりと回れ、下見で見逃したものもいくつか見れた。
植物の他、虫も生物も・・
細かいことは報告書に書くので、ここでは簡単に。
ヤブガラシの葉裏の真珠体を観察。
「節足動物やアリに餌として提供して食害から守ってもらう」と書いたネット記事もあったが・・謎の物体。
溝にびっしりミズユキノシタらしいもの。ここでは初めて見た。
少し持って帰ってよく見たら、葉腋に若い果実が付いていた。
花も花弁のない目立たないものらしい。
ナルコユリ 果実あり。草に紛れて下見で気がつかなかった。
ウマノスズクサの群生しているところで、ジャコウアゲハの幼虫
ウマノスズクサはジャコウアゲハの幼虫の食草。
毒草であるウマノスズクサを食べて育ちその毒を体内に蓄えるそうだ。
蛹も見てもらえた。その姿が後ろ手に縛られた皿屋敷のお菊さんににているので「お菊虫」と言われる。
雌の成虫が1頭飛んでいた。
タシロラン 下見の時に見つけた所と違う場所でいくつも見つかった。
この場所では初めて見る。花が終わったものも多かった。
午後見るつもりだったタシロランが予想外のところでたくさん見れたので、午後からは雨がぱらついたこともあり平坦コースに変更した。
オニグルミ 房状に付いた果実
ヌマガエルのようだ。お腹は白かった。
トビズムカデ 葉の上で何やらお手入れ中?
コガネグモ 何匹か見たが、全部脚を揃えた下向きの姿勢。
下向きの姿勢には意味があるのかな?
途中で見たコヒルガオ
セイヨウヒルガオ
下見の時は繁っていたのに刈り取られたのか?細々と残るのみ。
花の開いたのはなかったが、コヒルガオとの違いを観察。
コヒルガオの苞は大きく、ガクを包んでいる。
セイヨウヒルガオ 苞は線状で、ガクを包まず、花柄の途中にある。
花もコヒルガオよりずっと小さい。
予定の会が雨天中止になり、久々に曽我川周辺を歩く。
畑の縁にスベリヒユ 珍しく花が咲いていた。
時間が早いのと、曇り空で、ヤブガラシの花の花弁も残っていた。
野生化ミントに キムネクマバチ や ベニシジミ
マメコガネ
セイバンモロコシの葉をたたんでいるのは・・
噛まれると超痛いという・・あのクモか?
そ~ッと葉を引っ張ると、出てきた!
1㎝にもなるかならずか。
葉をたたんだ巣を作るというカバキコマチグモ? ヤマトコマチグモ?
絵合わせを試みたが・・わからず。フクログモ科のクモだと思う。
電柱を支えるワイヤーに巻き登ったクズ。
ジャックと豆の木・・天までも登って行きそう・・
曽我川堤防
こんなクワの古木もある。
京奈和道関連で橋が付け変わるらしい。新橋の基部ができていた。
野生化しているカンナ 花を1個持ち帰り、分解してみた。
子房・小さいガク3・花弁状仮雄しべ3・細くてガクかと思うような花弁3・斑点模様の仮雄しべ1・斑点模様で横腹に葯の付いた仮雄しべ1・子房に続くへら状の雌しべ
ワオ~。複雑。
豊津橋から引き返す。 左から高取川流入。
曽我川右岸の桜に付いていたオオミノコフキタケ。
何年生きているのか? 辺りは胞子が飛び散って・・まっ茶っ茶。
なのに、胞子を出す管孔は真っ白。不思議。
クマゼミの抜け殻
シオヤアブ 雄
ウマノスズクサのある斜面 ジャコウアゲハは見つからず。
アオウキクサとウキクサも混じる水田。
隣の田んぼにはウキクサなし。なぜかな?
田んぼに近づいたらピョンピョンと田んぼへ逃げ込む小さいカエル。
別の水のない田んぼで写真に撮れた。背中はイボイボ。
1㎝に満たないぐらいの小さいカエル。
ツチガエルなのか? お腹を確認したかったが、捕まえられなかった。
2時間ほどの散歩。
フォローアップ研修会に参加。
講師は犬養万葉記念館の岡本先生。
月1回、万葉講座に参加しているが、よくわかっていないところも多い。
今日の講座でわかったことも多く、勉強になった。
明日香を守るために働かれた犬養孝先生。万葉集を世に広められ、明日香村名誉村民となられる。
甘樫丘に建つ「釆女の袖吹き返す 明日香風 都を遠み いたずらに吹く」
(志貴皇子)この万葉歌碑は全国に141基あるという犬養孝揮毫の万葉歌碑の、第1号だ。
万葉集の成り立ち。万葉仮名のことも、自分の中でだいぶ整理できた。
万葉集は奈良時代末期に成立。
天皇や豪族から庶民の歌が収録された巻物。全20巻。
防人の歌が面白かった。
防人とは岬守からきた言葉で、古代北九州の防衛のために配置された兵士のこと。
初めは諸国から、後には東国出身者が選ばれ、3年交代だったそうだ。
なぜ東国に限るのかな?という疑問は、資料に「独自に海外関係を構築しつつあった九州豪族の力をけん制する目的があったとの説がある」ということ。そうだったのか。
作者不詳の歌も多い中、「防人歌」は作者名がすべてわかっている。
なぜか?
それは、大伴家持の任務とも関係する。
大伴家持は兵部省の役人として、防人に関わる役目をしていたという。
防人たちが、どんな気持ちで任地に赴くのか知りたかった。又、他にも事情があったのかも。防人たちに1人1首の歌を作らせ、役人に歌を収集させたらしい。
歌など経験のないものが多かったが、役人の助けも得て、作者の名と共に、166首が提出されたという。
その内、家持のお眼鏡にかなった?半数ほどの歌が万葉集に採用されたらしい。
若い兵士たちの歌は父母・母を詠んだ歌、妻を詠んだ歌が多い。
その中で「父」を詠んだ歌は1首だけだとか。
父を置いて長い道のりを行かねばならない重苦しい心を詠んだ。
そして、次の2首は同じ人が詠んだ歌。
その一つは、鹿島の神に武運を祈り、天皇のために戦うぞ。的な歌。
①「あられ降り 鹿島の神を 祈りつつ 皇御軍卒に 我は来にしを」
同じ人の詠んだもう1首の歌は、
②「筑波嶺の さ百合の花の 夜床にも かなしけ妹そ 昼もかなしけ」
別人のように、別れてきた可愛い妻を夜も昼もいとおしく思うと詠む。
妻の元に帰りたい気持ち。これが本音。
相反する2首が採録されている。
家持もその気持ちがわかるのだろうと思う。
①の歌は、先の大戦中、戦意高揚のための宣伝に使われたのだとか。
②の歌などもっての外の時代だった。
夏の庭
オニユリ むかごができる。
ムクゲ 八重
メハジキ
ヨウシュヤマゴボウ 大きく枝を広げた。
一番賑やかに咲いているオグルマを入れ忘れたので追加
飛鳥の道標巡り。26基ぐらい案内していただいた。
よく歩いている道なので、知っているものも多いが、あらためて廻ってみるとすごいな。
(ただ、道標の表記もむつかしく、1面だけでなく他の面にも文字があったりで、正確には書けません。だいたいどんなものがあったかを書くに留まります)
道標には「角柱型」「地蔵型」「自然石型」「板碑型」などがあるとのこと。
豊浦休憩所を出発。
甘樫橋のそばにある見慣れた道標3基。
岡寺や橘寺、飛鳥大仏や元伊勢(飛鳥坐神社)などを示す。
左の2基は 角柱型、右の小さいのは自然石型。
奥山
奥山の信号のそば。手前の地蔵型道標
天の香久山 岡寺 高野 よしの道
一番左の小さいのは、香久山法然寺を案内する角柱型道標。
飛鳥資料館西バス停にも、はせ いせ なら などを記した自然石型の道標。
飛鳥集落の角地に立つ道標。在所道 はせ いせ
飛鳥坐神社
鳥居の横の植え込みに隠れんぼしているような道標。
鳥居のそばの灯籠は飛鳥で2番目に古いものだとか。
1番は?聞き逃した・・
飛鳥坐神社から少し西 「右 スグ 元伊勢」の道標。
元伊勢とは、宮中に祀られていた天照大神(ご神体は八咫鏡)をお祀りする、よりふさわしい地を探すために、垂仁天皇の皇女 倭姫命が鏡を携えて各地を回られ、最終的に伊勢神宮に祀られた。
その途中に一時的に鎮座された場所を元伊勢といい、各地にある。(端折った説明です)
飛鳥坐神社もその一つで、元伊勢と言われているらしい。
飛鳥寺 門のそばの立派な標柱「飛鳥大仏」は江戸時代(寛政4年)のもので、台石は飛鳥寺創建当時の礎石を利用しているとのこと。
飛鳥寺の境内には5基?の道標がある。
これは祠の中にある地蔵型道標。2基どちらも道標。
他にも、香久山法然寺 岡寺などを案内した道標もある。
キキョウが咲いていた。
献木されたボダイジュの根元にセミの抜け穴があった。
「昭和の名鐘」
旧梵鐘は延享2年(1745)に鋳造されたものだった。
昭和18年、戦時供出の厄にあって、戻ってこなかったという。
昭和33年、新しく鋳造され、かつての名鐘がよみがえった。
参加メンバーの1人から「岡寺の鐘も供出になったが、寺に戻ってきた」という話を教えてもらった。
鐘は鉄砲の材料に使えるか調べられたらしい。
穴が7つ開けられた状態で戻ってきたという。
へえ~~。近くに住んでいたこともあるのに、全然しらなかった。
なぜ戻ってきたのかはわからないが、戻ってきてよかったよかった。
こんど行った時には穴を確認しよう。
鐘を撞いたことがあるが、いい音色ですよ。
橘寺の近くには大きい角柱型の道標がいくつかある。
これは明日香村の中では一番背の番高い道標だそうだ。
橘寺へ入るところにある「羽易の山(はがいのやま)」の碑
「羽易の山」とは三輪山を頭に竜王山と巻向山が鳥が羽を広げた翼に見立てた。
中央が三輪山です。
そばには柿本人麻呂が妻をなくした後に作った長歌の碑がある。
・・・羽易の山に(亡くなった)妻がいるというので、岩を登って行ってみたがいなかった・・という切ない歌だ。
川原寺の南西 車道沿いにある。左が道標
右おかみち 左はせみち 寛文13年(1673)に建立された。
県内の記銘のある道標の内で、2番目に古いそうだ。
1番古いのは榛原檜牧、伊勢本街道ぞいにある寛文4年のものだとか。
そして、ほとんど埋もれた道標も案内して下さった。
はせや大阪を案内しているそうだが、見えない。
飛鳥川沿いに豊浦に戻って解散となる。
帰り道、ポポーの実がついていた。
久しぶりに高取城へ。
以前には壺阪山駅から土佐街道を通り、砂防公園から七曲り、1升坂、猿石から二の門、から城内へのコースを歩いたことが何度かあるが、いつのことだったか・・
壷阪寺から五百羅漢を超えて城跡へのコースも何度か・・
今日は、城址直下ともいえるところから最短の道を登る。
このコースも何度か登っているが・・何年か前のこと。
距離は短いが、登り道は昨日雨が降ったこともあり、荒れていたところもあった。
壷阪口門跡
城跡らしい石垣が左右に見えてくる。
大手門より高取城を望む写真が掲示してある。
左はCDによる再現の写真。右は明治20年頃、取り壊される前の写真。
高取城の歴史は波乱万丈。
『高取城が築かれたのは戦国時代。地元の豪族越智氏が本城 貝吹城の1つの支城としたのが始まり。天守もない簡単な城だったよう。
その後、織田信長による「城割」の命で大和国は郡山城を残してすべて破却となった。
しかし、筒井順慶は郡山城の詰の城として改修を行い、その後、羽柴秀長が高取城整備を継続し、家臣本多氏に大改修を命じ、再築城したらしい。
本多氏が断絶した後、寛永17年(1640)徳川家譜代の家臣 植村家政が大名として入り、高取藩初代藩主となり、高取城を任された。
以後、明治維新まで14代にわたり、植村氏による高取藩が存続した。
明治4年(1871)廃藩置県の結果、全国の多くの城郭が廃され、高取城も大部分が取り壊し、売却、移築され、残っていた建造物は自然倒壊したらしい。』パンフなどより抜粋。
移築された門や遺構が今も残っているところがある。
大手門の石垣
複雑な形状の石垣がたくさん見られる。
こんな立派な石垣が他に残っているだろうか。
石垣の管理も大変だと思う。
日本3大山城を紹介した看板があったが行ってみたいものだ。
NHKの番組の中で「日本最強の城」に選ばれたとか。
本丸跡でお弁当を食べる。
高取山頂上583mにある城跡。風が涼しい。
さて、今日は、ヤマユリを見に来たのだが・・
残念。石垣に生えたヤマユリはまだつぼみだった。
マルミノヤマゴボウがあった。
同じ道を下る。
今夏初めてクマゼミの声を聞いた。
いよいよ夏本番だ~。
長居公園
ムクゲが満開になり、ナラガシワやクヌギやコナラの小さいどんぐりも見えた。
ミヤマカミキリだそうだ。逃げるのを追いかけて撮った。
特徴とされる前胸部の背中にある横ジワも捕まえたから見れた。
ヒトツバタゴ 果実ができていた。
セイヨウトチノキ 梢にトゲのついた果実が見えた。
「スケートボードパーク」が新設されたらしい。中は見えない。
長居植物園
大池 以前あったハスは全く見られなくなった。
先月は満開だったサンゴジュ。実ができていた。
枝先にはマエアカスカシノメイガの幼虫の巣網が付いて汚らしい。
これがマエアカスカシノメイガの幼虫。
巣網で身を守りつつ、中でサンゴジュの若い実を食べるそうだ。
隠れていても、ハチに捕まえられ肉団子にされて幼虫の餌になるのもいるそうだ。
ヤナギマッタケ マッタケの名が付くが、マッタケとは無関係のきのこ。
ツバがあり、成熟すると襞が茶色っぽくなるのが特徴。
食べられるとのこと。
でも「知らないきのこは食べないこと」と注意があった。
花は終わり、果実(偽果)がたくさんできていた。
偽果(花托が膨らんだもの)を半割り。中にある白いものが果実
上部にあるガクには腺毛が見えた。
ナシ赤星病に感染したナシの葉。裏に
トゲ状(毛状帯)の先からさび胞子が出て、中間宿主のビャクシン類(カイヅカイブキなど)の枝葉に付き、冬胞子となり、春には胞子が飛散してナシに感染して被害がでる。
ナシやリンゴの産地では中間宿主のビャクシン類(カイヅカイブキなど)の植栽を禁止しているそうだ。
もう花も終わりのジャカランダ
花冠の入口に見えるのは雌しべではなく、腺毛のある仮雄しべ?らしい。」
何カ所かでワルナスビの群落があった。
白い花と薄紫の群れがあった。
花柱が長い花
花柱が短い花
異花柱の植物は他にもあるが、ワルナスビが異花柱性なのは初めて知った。
熱中症対策で、暑さ指数31以上の時は、博物館行事はすべて中止される。
植物園案内は中止にはならないが、今日は室内で行われた。
ヤマセミ狙いの榛原平成子供の森。
車に乗せてもらって早く着いたが、ヤマセミも出てないようなので、メンバーを待つ間に日陰の山裾を見る。
ネムノキ 花を近くで見たいが高くて届かず。
サルトリイバラ 立派な果序
スノキ 赤い実(→)が見えた。 黒く熟しているのもあった。
シュレーゲルアオガエル。
かなり離れていたが、アマガエルとは姿が違う。
「♪月夜の田んぼでコロロコロロ・・」と歌われているのはこの蛙だとか。
草刈りされた山裾で出ていたワラビを摘んだ。
柔らかい所を選んで摘んだ。夕食にカツオとポン酢でいただいた。
メンバーと合流して、昼食後、少し奥まで歩く。
私はなかなか見つけられないが、鳥の達人がいつも見つけてくれるのだが・・
今年は巣を作っている崖が崩れた?とかで、ヤマセミは少ないらしい。
残念ながら今日はヤマセミを見ることが出来なかった。
「川岸にトビがいる」というので双眼鏡で覘く。遠い。
確かにトビがいる。ゲットした魚を食べようとしているようだ。
(食べかけていた?)
魚を持って飛び立とうとした。
重た~。大きすぎて落としてしまった。
トビが魚を捕まえたのを見ていたのか、カラスが1羽降りてきた。
魚を取られまいとしっかり押さえるトビ。
近くの木の枝にはもう1羽カラスがいる。
カラスの勝ち。カラスは強い。
気の毒に負けたトビは飛んで行った。
戻り道。ネムノキの花が手の届く所にあった。
花がたくさん集まっている。眉ブラシのような雄しべがきれい。
いつも気がつくと果実ができているネムノキ。
果序の中央にある形の変わった花はよくわかる。
この花だけが蜜を出すらしい。
雌しべはどこにある?
花の中に混じっている白いものが雌しべらしいのだが・・わかりにくい。
ヒカゲノカズラの胞子嚢穂
カラスザンショウはまだつぼみ
背丈以上もあるタケニグサ
タケニグサにも赤ちゃんの時がある。
鳥合せでは、22種も見れたようだ。
ヤマセミは残念だったが、トビとカラスのドラマが見れ、ワラビのお土産付きの野鳥観察会だった。