チタンの素晴らしさと、使い方や感想、
そして、「よくある質問とその回答」などを書き綴って行きたいと思います。
ミラクルチタン(チタンオンラインショップ 店長日記)
2012.08.04 NHK「世界ふれあい街歩き 上海四川北路編」スクリーンショットと今昔の思い(その3)
(3-1)いよいよ、私達のすんでいたマグノリへ向かいます。
<街歩き このあとは「66年ぶりの来客劇」>と字幕が出ています。
光栄です。
(3-2)
入り口を入って横町を先へ進みます。
(3-3)
女性が、布団を干しています。
この方が、我が家が日本へ引き揚げた後の住人である王さんの息子さんの奥さんです。
終戦と同時に王さんのお父さんがこの家を買われました。王さんのお父さんは大学教授でした。
最初は、家族だけで住んでおられましたが、現在では、住宅事情か、この一軒の家に8家族が
住まっているとのことでした。
王さんの父母は亡くなり、今はこの息子さん夫婦と一人息子さんがここへ住んでおられます。
(3-4)
王さんの奥さんです。とても上品な方です。
(※カメラがこの方にたどり着いた「偶然+必然」を、簡単にお知らせしますと、日本のNHKと
地元の中国のテレビ局が共同で取材していると、「それなら適任の人が居る。最近、昔の住人の
日本人が訪ねて来た家がある」と言って、近所の人から王さんを教えられたとのことです。
又、上海では上海語は使えても、標準語である北京語は使えない人が多いが、王さんの奥さんは
元教師なので、両方が使える希有な人であったので、大変適任であり、偶然でありながら必然で
あったと、上海旅行時に案内してくれた上海在住の日本人ガイドが、今回教えてくれました。)
(3-5)
字幕=<ここはイギリス人が建てて日本人が住んでいた住宅です。>
私がものごころ付いた頃は、このマグノリに、日本人以外は住んでいませんでした。
(兄の友人の回想録を見ると、昔はわずかですが、中国人の富豪の息子やフィリッピン人の
ボクサーが住んでいたこともある様です。)
それで私は、私達の住んでいたこの場所を「日本租界」と言うのだとずっと思っていました。
子供の私の感覚では、マグノリはもっともっと沢山の建物があって、とても大きな街だったと
思っていましたが、実は、現在市街地開発の為一部が取り壊されたとはいえ、それを含めても
100軒に満たない一画であったことを、今回改めて知り驚きました。
日本租界には、この様な日本人住宅が沢山あったことを知りました。
又、日本租界は正式名では無く、かって日本人が10万人住んでいた虹口(ホンキュウ)地区一帯
を俗称として、日本租界と呼んでいたのだということも、ごく最近知りました。
私は上海のことは、子供の頃とは言え、全く無知でした。良い勉強になりました。
(3-6)
ここには、昭和初期から、日本人が住んでいたところです。
(3-7)
終戦と同時に、日本人は全員引き揚げました。
(※この塀に付いては、後述します。昔は、青銅製の唐草模様の塀と門扉がありました。)
(3-8)
我が家が引き揚げた後、この方の夫の両親がここを購入され、それ以来ずっと住んでおられ
ます。
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※ この塀に付いては、すごい発見がありましたが、後日まとめます。
疑問が湧いて来る度に、それを調べたりしていると、際限が無くなり、全然前へ進めなくなる
ことに気付きました。
それで、取りあえずスクリーンショットのUPを進めて、その後で、疑問やその解明などを
改めて纏めることにしたいと思います。