今日、私がデザインの仕事に就いて以来、ずう~っとお世話になっている、得意先社長の御母堂のお通夜に行ってきました。
数百名の社員を抱える会社の社長をやられている方なのですが、30年以上前に初めてお会いした時はまだ主任クラス、一番最初に仕事をさせて頂いた方なのです。
90歳をはるかに超える大往生の通夜なので、悲しみも少なく、満開のサクラが散り行く時に逝く、タイミングの妙に風情すら感じました。
社長という立場と社長の人柄が相まって、沢山の人が来ていましたが、これだけ人が集まると、故人も寂しくないような気がします。
お陰で以前お世話になった方や、仕事のチャンスになりそうな方にも、会うことができました。
人の死は本来悲しいものですが、それは懐かしい人に会える機会を作る場であったり、思わぬキッカケを作る機会でもあるので、死とは本当はポジティブで、もっと大きな意味があるのかもしれません。
斎場に一時間程早く着いたのですが、サクラの長い並木道の先にある斎場は、周りを丘陵の木立ちに囲まれ、日が暮れかかるまでウグイスがさえずり、暫し聞いている内に、通夜の場であることを忘れそうになりました。
サクラの咲く季節は、物事の終わりと始まりが、やはりに似合うものです。
数百名の社員を抱える会社の社長をやられている方なのですが、30年以上前に初めてお会いした時はまだ主任クラス、一番最初に仕事をさせて頂いた方なのです。
90歳をはるかに超える大往生の通夜なので、悲しみも少なく、満開のサクラが散り行く時に逝く、タイミングの妙に風情すら感じました。
社長という立場と社長の人柄が相まって、沢山の人が来ていましたが、これだけ人が集まると、故人も寂しくないような気がします。
お陰で以前お世話になった方や、仕事のチャンスになりそうな方にも、会うことができました。
人の死は本来悲しいものですが、それは懐かしい人に会える機会を作る場であったり、思わぬキッカケを作る機会でもあるので、死とは本当はポジティブで、もっと大きな意味があるのかもしれません。
斎場に一時間程早く着いたのですが、サクラの長い並木道の先にある斎場は、周りを丘陵の木立ちに囲まれ、日が暮れかかるまでウグイスがさえずり、暫し聞いている内に、通夜の場であることを忘れそうになりました。
サクラの咲く季節は、物事の終わりと始まりが、やはりに似合うものです。