今日、読み始めた本の中で、高島平再生のヒントになるような、話しを見つけました。
内容は60年代から70年代にかけ、アメリカの古い各都市で、ベトナム戦争に反対する、若者たちのデモや暴動が相次ぎ、嫌気がさした古い市民たちの、郊外に逃げ出す現象が続いたそうなんです。
ミネアポリスでも市民が流失し、市民が去った後のに、巨大なショッピングセンターを建てたのですが、かえってダウンタウンを、寂れさす結果になったそうです。
そこで、ある会社が資金を出し、劇場や歩行者優先の歩道を作り、ダウンタウンを快適かつ文化的にしたところ、見事に市民が戻ってきたと書いてありました。
そして、資金を提供した会社のビルの高さが236mだったそうなんですが、その企業の貢献を忘れないため、ミネアポリスのビルは総て236mを超えないようにして、その会社のビルが一番目立つようにし、市民が敬意を表しているそうです。
一見、合理主義の権化の国のようなアメリカで、美徳の精神がこんなカタチで表すのを知り、精神の“粋さ”を考えさせられずにおられません。
高島平では現在、第七小の跡地利用がいろいろ検討されていますが、ミネアポリスの例のように、儲けを優先させる施設ではなく、文化的施設の方が長い目で見れば、街を活性させると思います。
個人的には音楽の練習が出来るような、貸しスタジオやホールの複合体。
陶芸や絵画のアトリエに、オープンテラスのカフェがあるような、集合施設があればと、勝手に夢を描いてますが・・・。
賢者は歴史から学ぶと言われていますが、高島平が賢者のいる街か、いま、問われている気がします。
内容は60年代から70年代にかけ、アメリカの古い各都市で、ベトナム戦争に反対する、若者たちのデモや暴動が相次ぎ、嫌気がさした古い市民たちの、郊外に逃げ出す現象が続いたそうなんです。
ミネアポリスでも市民が流失し、市民が去った後のに、巨大なショッピングセンターを建てたのですが、かえってダウンタウンを、寂れさす結果になったそうです。
そこで、ある会社が資金を出し、劇場や歩行者優先の歩道を作り、ダウンタウンを快適かつ文化的にしたところ、見事に市民が戻ってきたと書いてありました。
そして、資金を提供した会社のビルの高さが236mだったそうなんですが、その企業の貢献を忘れないため、ミネアポリスのビルは総て236mを超えないようにして、その会社のビルが一番目立つようにし、市民が敬意を表しているそうです。
一見、合理主義の権化の国のようなアメリカで、美徳の精神がこんなカタチで表すのを知り、精神の“粋さ”を考えさせられずにおられません。
高島平では現在、第七小の跡地利用がいろいろ検討されていますが、ミネアポリスの例のように、儲けを優先させる施設ではなく、文化的施設の方が長い目で見れば、街を活性させると思います。
個人的には音楽の練習が出来るような、貸しスタジオやホールの複合体。
陶芸や絵画のアトリエに、オープンテラスのカフェがあるような、集合施設があればと、勝手に夢を描いてますが・・・。
賢者は歴史から学ぶと言われていますが、高島平が賢者のいる街か、いま、問われている気がします。