CubとSRと

ただの日記

「備えあれば憂いなし」?甘~い

2020年01月17日 | 日々の暮らし
2015.12/19 (Sat)

 四十代半ばだったから二十年近い昔のこと。ひょんなことから地元の六甲山を歩かねばならない羽目になった。
 運動嫌いとはいっても、まだ四十半ば。それなりの体力はあると思っていたけれど、念のためちょっと歩いておかなければ、本当に歩けるかどうかは分からない。
 大体が長距離を歩くなんて二十歳の時、大学の寮で夜行軍で35キロほど歩いたのが最高だ。それに比べたら少々の剣術の稽古に耐える程度で安心しているわけにはいかない。確実に体力は落ちている。

 そう思って、休みの日、近くの登山口から少し歩いてみた。で、気がついた。
 やはり、普通の運動靴よりも踝を守ってくれる靴が必要だ。バイクに乗るのとは違った意味で、それなりの靴というものは必要らしい。そんな大袈裟なものではなくともせめてハイカットの靴があった方が良いだろう。思った以上に足首に負担がかかる。

 そう思って三宮にあった登山用品店に行って、 
 「ちょっと山を歩かなきゃいけないんで、見合った靴を見せてください」
 「どこの辺りに行かれますか」
 「ここの。六甲山ですけど。ハイキングみたいなものだから」

 足のサイズを聞いて、店員が店の奥から持ってきた靴は、どう見たってそれと分かる本格的な登山靴だった。
 「こんなちゃんとした靴でなくていいですよ」
 そう言うと、店員
 「六甲山ならこれくらいでないと。鎖場や梯子もあるんだから、ハイキングコースじゃないですよ」

 山を舐めるな、ってところか。勿論、そんな非難めいた風ではなかったけど、成る程、そりゃそうだ。
 でも、念のためにハイキング用の靴も見せてもらった。「ハイキング」とは言わないで「トレッキング」というらしい。
 確かに、これは一見ジョギングシューズだけれど、触ってみると随分がっしりとした作りになっている。
 けど、登山靴がハイカットになっていて踝をしっかり守るようになっているのに比べると動き易そうだ。その分、疲れて来た時にちょっと気を抜いたりすると、足場の悪いところではけがをする可能性が高くなるだろうと思った。

 ということで勧められた登山靴を買った。こんな感触で歩くことって初めての経験だ。これなら疲れてからもしばらくは歩けそうだ。
 「備えあれば憂いなし」
 これで山歩きは大丈夫?いや、それは甘~い。「一週間で弾けるギター講座」とか「空手独習」とかいった本での独習が無理なのは言うまでもない。だから当然、それを読んだだけじゃできるわけがない。靴だって、買ってから慣らしをしなければ靴擦れができて歩けなくなる。
 
 それで次の休日、それを履いて出ることにした。
 靴擦れしないように厚手の靴下も買ってきていたし、その下に履く五本指の靴下も用意していた。我ながらこれだけちゃんと準備して何かに取り組んだということに驚いたりしたけれど。

 そこまでして歩き始めたのに、やはりこれは想像以上に不具合が出てきた。昔の、皮でできた登山靴とは違って今の靴は基本的に足に馴染んでくれない。逆に足の方から馴染んでいかなければならない。

 皮製品は何でもそうだが最初は違和感ばかりだ。それが体温で温まり、段々に伸ばしたり曲げたりしているうちに、身体の動きや線に沿って来る。
 早い話がツンデレなわけだ。革靴のような堅い物でも、持ち主の足の形、歩き方の癖に合わせて形を変える。だから履いた後は手入れはしないまでも、木型(シューキーパー)くらい入れておかなけりゃ何ともみょうちきりんな形になってしまう。
 しかし、今の登山靴は違う。新素材というものは、初めに合わなければずっと合わない。傷んできて捨てる頃になっても、合わないものは合わない。「やっと合った!」と思ったら、それはこちらが慣れただけ、というのがほとんどだろう。

 つまり、「備え」があっても慣れておかなければ不都合の方ばかりが目立ってしまう。その不都合は命取りになったりする。
 そして、「慣れる」ためには、それなりの努力と時間が必要だ。それもたっぷりと、だ。福沢諭吉と軍学者の話を思い出せばわかる。
 大太刀を床の間に飾っていたって使用に慣れていなければ、腕に覚えのあるものは、それを飾りだと瞬時に見抜き、その人物をも見抜く。
 だからといって「日々努力はしているけれど、備えはない。いざという時はその辺のもので」と、武蔵と卜伝の鍋蓋試合みたいなことを考えるのは妄想そのもの。卜伝ほどの達人にして可能なことなんであって、現実は厳しい。

 やっぱり備えは要る。「伝家の宝刀」は要る。そして、「宝刀」を使える腕も要る。
 最後に、一番大事なのは、「宝刀を使う覚悟」だ。
 三つ揃って国家安泰!日本人に新素材はいない、と思いたい。  

 ん?今日もまた、何書いてんだ??? う~~、寒さであたまがやられたかな?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一月十七日(下)

2020年01月17日 | 日々の暮らし
 あの地震から二十年。
 はっきり感じるようになったのは、我々日本人というのは、とても繊細で、だから、とてもか弱い心根を持った民族だということです。
 とてもじゃないけれど、大陸の図太い神経(鈍麻した、というべきでしょうか)を持った人々と太刀打ちはできません。彼らは常日頃から死の恐怖に晒されてきたのですから。
 けれどそれが、大陸の人々が我々を侮蔑する理由にはなりません。
 勿論、我々が自身を卑下する理由にもなりません。

 あの地震の際、小学校などに避難した人々には毛布一枚が配給されたところもあったそうです。神戸だって一月半ばの夜は冷え込みます。毛布一枚がどれだけ助かるか。
 でも、本当ならある筈なのに、避難者の中、並び遅れた年寄の分はもうなかった。海外難民は二枚も持っている者がいるのに。
 けど、気落ちし、諦めている年寄に「おれ等は若いから」と配給された毛布を譲った住民が何人もいて、結局年寄は寒い思いをしなくて済んだのだとか。

 「がんばれ」と言われたら「頑張っとるわぃ!」と思う。そう思ったことを「あの人、悪気で言うたんとちゃうのに。ワシ、やな奴やなァ」と反省もし、また頑張るんだけれど、緊張の糸が切れてしまったら一遍に落ち込んでしまう。

 「だから、自分をもっと認めて、ほめてあげなきゃ」
 と、今日もテレビで言ってました。
 そうかな?ホントにそうかな?
 日本人はか弱い。けど、他人のことになると力を発揮する。
 これは「他を大切にする」という日本人の特質です。
 他を大切にするからこそ、「結局巡り巡って、自分が生きていける、いや、生かされているのだ」、と感じることができる。
 か弱さ・繊細さと思い遣りは表裏一体です。そういうことをこそ、もっと見なければならないのではないか。

 将に「情けは人のためならず」、で、我々日本人は神武創業以来、助け合い、支え合って生きてきたのではないか。
 「忘れてはならない」「語り伝えよう」
 ということ以上に、
 「あの時の深切を忘れない」「次は自分が誰かに返そう」
 となるのが日本人なのではないか、と思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一月十七日(中)

2020年01月17日 | 日々の暮らし
 「或るメッセージから思ったこと」
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 「頑張れ、言うな。頑張っとるんや!」
 十五年前の地震の後、よく聞くようになった言葉です。
 成る程なあ、と思う反面、何かしら釈然としないものがありました。

 「戦友」という軍歌の中に
 「しっかりせよと抱き起こし 仮繃帯も弾丸の中」
 という連があります。大怪我をした戦友について歌った箇所です。
 「傷は浅いぞ。しっかりしろ!」
 大怪我をした人には、こう、声を掛けるものだそうです。こう言って叱りつけるようにすると「なにくそ!」という気がわくのだとか。
 反対に「ひどい傷だ。かわいそうに」とありのままを言うと、大概は気を失って、後はもたない、といいます。

 人の心も同じようなところがあります。
 私は三十代半ば過ぎの頃、母を亡くしたのですが、もうあぶないから、との連絡を受けて、勤務地から田舎に帰る時、平静を保てる、と思っていました。
 田舎の駅に着いた時に、既に死後半日が過ぎていたことを知りましたが、まだ、平静でいられました。
 けれど、帰宅し、実際に母の遺骸を見ると、涙を止めることができませんでした。
 なんと情けない、と思いながら、でもどうすることもできなかった。二日ほどは、突然涙が流れ出すのです。
 本当に、信じられないことでしたが、感情の制御が全く利かない。

 伯母から、
 「じっとしていてはいけない。次々に色々なことをして、気を張っていれば落ち着くものだ」
 、と言われ、先人は本当に、よくもまあ見事に智慧を出して乗り切ったものだなあ、と実感し続ける毎日を一週間過ごしました。

 人は助け合って生きています。言うまでもないことです。
 「助けてやろう」という気持ちなんか、これっぽっちも持ってなくっても実質は助けていることに思いを致してみると、同時に、支えてもらっているなんて全く考えず、支えられていることもあることが分かります。それが社会です。無意識のうちに助け合い、支え合っている。

 となると、今度は、助けたいという気持ちがいくら強くっても助けることができない場合もある。それどころか、単に迷惑がられるだけということもある、という裏の形も見える。支えてもらいたい、と思ったって支えてもくれないし、却ってピントの外れた迷惑なことばかりされて邪魔なだけ、ということもある。

 しかしそれはそれとして、社会をつくり、その中で生まれ、育って来ていると「頑張れ!」というのは、人の善意だ、ということは分かっている。
 だから、心の中では
 「言われずとも頑張っとるわい!」
 と思っても、それを言っちゃお終いだから、
 「ありがとう。頑張るよ」
 と言う。それが日本人です。だから、結構ストレスは大きい。

 そこで「頑張れ、言うな。頑張っとるんや!」と怒る。或いは心の中で憎まれ口を叩く。かみつく気持ち、怒り。それはそれで意味がある。それが「気を張る」ということですから。言ったら良い。擦れ違ってケンカしたら良い。

 けれど、これ、額面どおり
 「頑張れ、言うな。頑張っとるんや!」
 と言われたからといって、
 「そうか。それもそうだな。気遣いが足りなかったな。これからは二度と『頑張れ』なんて言わないようにしよう」
 となったら、じゃあ、何て言うんです?
 「傷は浅いぞしっかりしろ!何だ!このくらいの怪我で!弱虫め!」
 ここまで罵倒して、頑張らせるのと同じ言葉、ありますか?
 
 我々の先祖は、そこで「おかげさまで」と言ってきた。
 だから我々は「我欲」とまではいかずとも、「我」が出るのを「おかげさま」と言った拍子に、少しだけ冷静になり、抑えることができ、謙虚さを取り戻すことをしてきた。

 ちょっと、喩えは違いますが、火葬場に来て、死んだ妹を背中に括りつけたまま、涙一つ見せず直立不動で順番を待っていた少年の写真を見られた方、多くあるでしょう。彼があれだけ頑張れたのは周囲の大人の、又、あの場所に居合わせた大人の立派な態度があったから、ということも考えなければなりません。
 良い意味で「この親にしてこの子あり」、です。立派な日本人の大人があって、立派な後進が育つ。立派な大人の下で、立派な子は育つ。

 2011年3月17日の日記
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一月十七日(上)

2020年01月17日 | 日々の暮らし
 また再掲日記ですが、ちょっと長めなので三回に分けます。
・・・・・・・・・・・・・・・・
2015.01/18 (Sun)

 1月17日。
 頭から布団をかぶってうとうとしていたら、この狭い住宅地の道を、ダンプカーが走るような「ゴーッ」という音が聞こえてきた。

 寝ぼけた頭で「う~、こんなに朝早くから仕事か」と思った途端、
「ドーン」という音がして、からだが真下からえらい勢いで突き上げられた。寝たまま10センチくらい浮き上がったんじゃないか、と思った。

「あのダンプ、このアパートに突っ込んだ!」とひらめいたが、「ダンプ、下から突っ込むか?」「え?地震?」「縦揺れ、一回だけ?」となるのに0,5秒はかかってない(と思う)。

 待ち時間なんかなくって、今度は強烈な横揺れ。で、やっぱり地震だ!と確信。でも、跳ね起きるどころではない、酔っ払ってひっくり返って、あれ?と思っているところを、「おい!大丈夫か!」と、筋肉マンに両肩つかまれてものすごい力で揺さぶられている状態。

 「天井が落ちてきたら終いだ。これで終わりか。こんなに早く死ぬなんてなあ」などと覚悟を決めようと思っている間中、ゆさぶられている。

 間隔が空くようになって、起き上がろうと思うのだが、身体が思うように動かない。何かの下敷きになっているらしい。
 なのに、不思議と痛みはない。モゾモゾしているうちに、だんだん身体が動く範囲が広くなった。暗い中、目を凝らして見ると、二つある背丈ほどの本棚から飛び出した本が、布団の上から抑え込みにかかっていたのだった。本棚はそのままだ。そこから一メートルは離れているのだが。本の下敷きになって「死ぬかも」と覚悟を決めようとしていたのだ。

 あとは、飲み残した牛乳のパックが倒れてこたつの上にこぼれていたり、天井の蛍光灯がダメ押しみたいに本の上に乗っかっていたりしたくらいで、器物の破損は全くと言っていいほどなかった。食器戸棚はもともとないし、第一、食器そのものが、僅かしかない。

 それまで、地震なんてちっともコワくなかった。「今は2ぐらいだな」「今のは3くらいあったか?」なんて思っていたけど、この日以来、毎日100回前後起こる余震に、緊張するようになった。


 職場に行って、阪神高速道路の高架が数百メートルにわたって倒れているのがテレビに映し出されているのを「???何?あれ。冗談?」としか、見られなかった。パニック状態、思考停止状態だったわけだ。

 その日のニュースで、「住民はコンビニやスーパーの指示に従って、一列に並んで静かに待っていた」ことを知った。列に割り込む者は一人もなく、一人で食料を買い占めたりする者もなかった、という。
 以降、避難場所では、支給された毛布が全員にいきわたらない事を知った人々が、あとから来た老人に次々と譲って行ったこと、不登校だったり、引き籠りだったりした生徒が、率先してトイレの掃除をしたり、支給品の配布を手伝ったりしはじめたこと、などを知る。
(このことがヒントになって、神戸では中学生の「トライやるウィーク」という職場体験学習がはじめられ、今、全国に広まっているのだとか。)

その一年前の同月同日。ロサンゼルスで大地震が起きている。
死者数十名。暴動が起き、略奪も多発した。
 兵庫県南部地震では、結局、6,500人が亡くなった。しかし、暴動も略奪もなかった。続けて起こった鳥取、新潟の地震でも、同じだ。

 勿論、恥ずかしくなるような行動も、同じく、ある。
 「ガソリンは大丈夫」と言われるのに耳を貸さず、せめて自分の家だけは、と長蛇の列をつくってガソリンスタンドを休業させてしまった人々。
 「これは記録のためだから」と被害の大きな街に行って写真を撮りまくり、フィルムの箱やケースをその場に投捨てて帰る人。

                         
  2010年1月15日の日記
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

遠回り

2020年01月17日 | 日々の暮らし
2016.11/04 (Fri)

 予報通りの好天。風、なし。高い空に少し雲が見える程度。
 出掛ける理由はすぐ見つかった。理由が見つかったからには出掛けねばならぬ。

 「六甲山鉢巻展望台の改修工事は終わっているか否か。バイクで様子を見に行こう!」
 改修工事が終わっていたら、次はコペンで行く。

 車なら終日渋滞の続く有馬街道でも、バイクなら信号待ちで先頭に立てる。
 実際にそれを数回繰り返して、唐櫃(からと)インターまで。
 続けて混雑時間外は半額割引の50円を払って六甲トンネルを抜け、いきなり表六甲に出る。
 鶴甲から下って右折、西進。伯母野山(おばのやま)から再び六甲ケーブル前を目指す。
 いつものことながら、よくもまあ、こんな急斜面のところに直線坂の道路を作ったものだと「呆れる」に近い感じで感心する。

 六甲ケーブル駅の前を左折。道は急上昇しながら六甲山頂へ続く。
 ここからは直線ではなくヘアピンカーブの連続で、二速か三速でケーブルカーのように力づくで登っていくしかない。
 
 「カーブの度に視界が大きく開けていく」
 、と言いたいところだが、六甲山は表側が急峻な上に、道路も直線が短かい。当然、性急な感じでヘアピンカーブがやってくる。とても景色を愛でる暇はない。
 それでも神戸の街に背を向けながら上昇していく視界の端に、時折り、閃くように海が見える。

 鉢巻展望台の工事は終わっていて(本当はまだみたいだけど)、入ることができた。
 神戸の街を見下ろすといつもの靄がかかったような景色が広がっていた。
 前日に強風が吹かなければ、瀬戸内の海は澄み渡る様子がない。そこが瀬戸内のいいところでもあるのだけれど、秋は澄み切った景色も見たくなる。
 それで少々不満はあるのだけれど、だからと言って
 「あ~っ、期待外れ!」とか「来るんじゃなかった」
 なんて気持ちは不思議と湧いてこない。「楽」、は、してないからだろう。

 実は、家から、この鉢巻展望台へは、六甲山上のドライブウェイを通ったら近いのだ。それをわざわざとんでもない大回りをして行ったわけだ。
 何故、そんな無駄なことをするのか?何でだろう。

 「無駄」の対極は、堺市の総合子供園計画、みたいなものかもしれない。統合すれば国庫から相応の負担金が出る。七つもの保育園・幼稚園を改築し、維持することを考えたらこれは随分と助かる。格段に合理的で、圧倒的に効率の良い維持・運営ができる。
 また別の例を立てれば、「無駄」の対極とは、図書館や書店で多くの時間をかけて本を探し回りやっとわずかな知識を手に入れる、ということと同じようなものかもしれない。

 統合すれば容易に資金が手に入る。
 統合子供園は自治体にとっては良いことばかりだけれど、園近隣の住人も、当然子供の親も日常生活を大きく変化させることを強いられる。それに親にとっては数年の事であっても、近隣の住民は、そこに住んでいる限り日常生活の譲歩を余儀なくされる。
 何よりも問題なのは、ここでは子供の成長過程、精神の発達に関しては一顧だにされていない、ということだ。家庭という小さな社会から、いきなり数百人もの同年齢の「幼児」が集められた特殊社会の中に放り込まれることの異常性に関してどれだけの議論がなされただろうか。早い話が子供のための事なのに子供のことは全く考えられてないということだ。

 ネットで手繰れば時間も金もかけずに易々と大量の、それも貴重な情報が手に入る。
 しかし、僅かな知識しか得られない書籍探しを延々とやることによって身につく持久力は、結果として探求心を強める。何より手に入れた知識を十分に活用できる読解力を身につけさせてくれる。そして、実はそうやって手に入れた読解力こそが他人の用意してくれた多くの知識を活かす最良の手段だ。読解力がなければ情報は猫に小判。宝の持ち腐れ。

 目的に至るために設定される目標。実はその目標に至るまでの過程が、合理性・効率性という名のもとに軽視されてしまっているのが「結果至上」とか、「実力主義」とか言われるものなのかもしれない。

 ・・・・・・なんて。ただ、口実作ってバイクに乗りたいだけなんですが。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする