2010.02/10 (Wed)
「南京攻略までに敵兵を百人以上斬る。どちらが先か競争だ!」
片桐部隊の向井、野田の両少尉は、こんな約束を交した。
攻略の後、両少尉は刃こぼれした日本刀を片手に対面。
野田「俺は105だ」
向井「俺は106だ」
「引き分けか。じゃ、今度は150でやろう」
昭和22年、向井少尉、東京軍事法廷に召喚されるが、事実ではないと釈放。
しかし、2ヶ月後、中国軍事法廷に再召喚され、
「獣行により、日本女性の欲心を買わんとしたことは現代人類史上聞いたことがない」と死刑判決。
翌23年1月28日、両少尉、南京にて処刑。(同時に300人斬りをしたとされる田中大尉も処刑)
「日本女性の欲心を買わんとした」?
この意味は取材を受けた当時、手足に重傷を負っていた向井少尉が冗談に、記者に「嫁さんを世話してくれ」と言ったら「戦功を挙げたら、候補者はいくらでも出てくる」と返されたことがもとになっているらしい。100人斬りの案も、対談するかのような記事も記者の作文であることが明らかになっている。
100人斬り裁判は有名になった。弁護に立ったのは、あの稲田朋美弁護士(現衆議院議員)。
事実無根の事件であるから、と故人の名誉回復、出版社のお詫び広告の掲載などをあげて戦われた裁判は、敗訴。
初出の毎日新聞は、戦闘時の100人斬りを標榜し、「あり得ない」となった。
数十年後、朝日の本多記者は「捕虜を虐殺(据え物切り、斬首)」と書く。これならできるだろう、というわけだ。
裁判所は「刀で百人を切ることは甚だ疑わしい。が、そのような事実が全くなかったとは考えられない」と。
つまり、
「戦闘時の百人斬りは、甚だ疑問である」
「捕虜を坐らせて置いて、百人切るのも疑わしい」
「しかし、切ってないという証拠はない」
「一人も切ってないという証明もできない」
「百人斬りがなかったとは言えない」
だから、出版物を差し止めたり(回収ではない)、お詫びの広告を載せる必要はないし、本人、遺族の名誉毀損も不問、なのだそうだ。
この論理は、
「百人斬り」という名称が世に出た以上、その名の下で、一人でも死者が出たならば「百人斬り」は「あった」、ということであり、百人斬殺されたかどうかは大して意味はない。
つまり(?)、「百人斬殺されたのである!」
と似ています。
「数千であろうが数万であろうが、虐殺という事実があったことが、問題なのであって、我々の心には三十万人が虐殺されたという記憶が事実となって残っているのだ。今は四十万人となっても、虐殺されたという事実(?)は消えない!」
南京大虐殺、それにからむ百人斬り競争。
「一件でもあったなら、あったという事実は消えない」
だから、他国人は猛追する。そして、賠償を要求し続ける。
しかし、向井、野田両少尉の遺族は、今も戦犯の子として、世間から蔑視され、行き続けねばならない。敗訴、というのは、そういうことです。
蛇足になりますが、刀で100人殺すことは、可能です。
それは、棍棒、木刀、包丁、タオルでも可能というのと、同レベルです。
剣術の或る程度以上の腕の人なら、間違いなく
「百人?可能ですよ」と答えるはずです。
しかし、
「同じ刀で百人を斬首することは可能ですか」
と聞けば、ほぼ全員が不可能と応えるでしょう。
頸部の骨は、一番細いところで指の太さほどだそうです。
それでも、煉瓦の数十倍と言われる硬さの骨ですから、幾ら切れ味の鋭い日本刀であっても、よほどうまく斬り込まねば硬度の高い切っ先はすぐ傷んでしまいます。(刀は切っ先三寸が命です。特に斬首の場合は。)
中国軍事裁判はその判決理由から、「処刑のための裁判」ということが分かります。(日本女性の歓心を買う為に、人命をないがしろにした)
が、遺族の起こした裁判は、裁判所によって「疑わしきは罰せず」の正反対、「百人斬りはなかったと証明できないから、あったことにする」といった判決です。
我々は、素朴な疑問の声をもっと上げなければならないようです。
「日本刀ってそんなに切れるの?」
「人を毎日十人ずつ切れるもの?」
「刀を持って切り込む、なんて本当にあったの?」
もう一つ。これは事実です。
三人の処刑時の写真が、本に載せられていて、そこの説明文には
「三人の殺人魔は『軍国主義のスローガン』を叫んでいた。執行の兵士は彼らの後頭部に向かって銃を発射し、三人は直ちに倒れて命が消えた。群集からは(略)歓呼の声がとどろいた」
(ちなみに、この本は1998年刊。処刑は国民党軍がやっている)
三人が叫んでいた「軍国主義のスローガン」。
それは
「中国万歳 日本万歳 天皇陛下万歳」
だったことが明らかになっている。
「南京攻略までに敵兵を百人以上斬る。どちらが先か競争だ!」
片桐部隊の向井、野田の両少尉は、こんな約束を交した。
攻略の後、両少尉は刃こぼれした日本刀を片手に対面。
野田「俺は105だ」
向井「俺は106だ」
「引き分けか。じゃ、今度は150でやろう」
昭和22年、向井少尉、東京軍事法廷に召喚されるが、事実ではないと釈放。
しかし、2ヶ月後、中国軍事法廷に再召喚され、
「獣行により、日本女性の欲心を買わんとしたことは現代人類史上聞いたことがない」と死刑判決。
翌23年1月28日、両少尉、南京にて処刑。(同時に300人斬りをしたとされる田中大尉も処刑)
「日本女性の欲心を買わんとした」?
この意味は取材を受けた当時、手足に重傷を負っていた向井少尉が冗談に、記者に「嫁さんを世話してくれ」と言ったら「戦功を挙げたら、候補者はいくらでも出てくる」と返されたことがもとになっているらしい。100人斬りの案も、対談するかのような記事も記者の作文であることが明らかになっている。
100人斬り裁判は有名になった。弁護に立ったのは、あの稲田朋美弁護士(現衆議院議員)。
事実無根の事件であるから、と故人の名誉回復、出版社のお詫び広告の掲載などをあげて戦われた裁判は、敗訴。
初出の毎日新聞は、戦闘時の100人斬りを標榜し、「あり得ない」となった。
数十年後、朝日の本多記者は「捕虜を虐殺(据え物切り、斬首)」と書く。これならできるだろう、というわけだ。
裁判所は「刀で百人を切ることは甚だ疑わしい。が、そのような事実が全くなかったとは考えられない」と。
つまり、
「戦闘時の百人斬りは、甚だ疑問である」
「捕虜を坐らせて置いて、百人切るのも疑わしい」
「しかし、切ってないという証拠はない」
「一人も切ってないという証明もできない」
「百人斬りがなかったとは言えない」
だから、出版物を差し止めたり(回収ではない)、お詫びの広告を載せる必要はないし、本人、遺族の名誉毀損も不問、なのだそうだ。
この論理は、
「百人斬り」という名称が世に出た以上、その名の下で、一人でも死者が出たならば「百人斬り」は「あった」、ということであり、百人斬殺されたかどうかは大して意味はない。
つまり(?)、「百人斬殺されたのである!」
と似ています。
「数千であろうが数万であろうが、虐殺という事実があったことが、問題なのであって、我々の心には三十万人が虐殺されたという記憶が事実となって残っているのだ。今は四十万人となっても、虐殺されたという事実(?)は消えない!」
南京大虐殺、それにからむ百人斬り競争。
「一件でもあったなら、あったという事実は消えない」
だから、他国人は猛追する。そして、賠償を要求し続ける。
しかし、向井、野田両少尉の遺族は、今も戦犯の子として、世間から蔑視され、行き続けねばならない。敗訴、というのは、そういうことです。
蛇足になりますが、刀で100人殺すことは、可能です。
それは、棍棒、木刀、包丁、タオルでも可能というのと、同レベルです。
剣術の或る程度以上の腕の人なら、間違いなく
「百人?可能ですよ」と答えるはずです。
しかし、
「同じ刀で百人を斬首することは可能ですか」
と聞けば、ほぼ全員が不可能と応えるでしょう。
頸部の骨は、一番細いところで指の太さほどだそうです。
それでも、煉瓦の数十倍と言われる硬さの骨ですから、幾ら切れ味の鋭い日本刀であっても、よほどうまく斬り込まねば硬度の高い切っ先はすぐ傷んでしまいます。(刀は切っ先三寸が命です。特に斬首の場合は。)
中国軍事裁判はその判決理由から、「処刑のための裁判」ということが分かります。(日本女性の歓心を買う為に、人命をないがしろにした)
が、遺族の起こした裁判は、裁判所によって「疑わしきは罰せず」の正反対、「百人斬りはなかったと証明できないから、あったことにする」といった判決です。
我々は、素朴な疑問の声をもっと上げなければならないようです。
「日本刀ってそんなに切れるの?」
「人を毎日十人ずつ切れるもの?」
「刀を持って切り込む、なんて本当にあったの?」
もう一つ。これは事実です。
三人の処刑時の写真が、本に載せられていて、そこの説明文には
「三人の殺人魔は『軍国主義のスローガン』を叫んでいた。執行の兵士は彼らの後頭部に向かって銃を発射し、三人は直ちに倒れて命が消えた。群集からは(略)歓呼の声がとどろいた」
(ちなみに、この本は1998年刊。処刑は国民党軍がやっている)
三人が叫んでいた「軍国主義のスローガン」。
それは
「中国万歳 日本万歳 天皇陛下万歳」
だったことが明らかになっている。