四月十日。
怠け者の所有者の整備不足と、海岸ゆえの強烈な潮風と、路面凍結防止剤による塩害と、で、フロントフォークをはじめとして色々な部分が錆びた(というより腐食した)状態で、それこそ海から百年ぶりに引き揚げられた幽霊船よろしく、フジツボこそついてなかったけど真っ白になっていたSRを、化粧し直してもらっていた。
怠け者の所有者の整備不足と、海岸ゆえの強烈な潮風と、路面凍結防止剤による塩害と、で、フロントフォークをはじめとして色々な部分が錆びた(というより腐食した)状態で、それこそ海から百年ぶりに引き揚げられた幽霊船よろしく、フジツボこそついてなかったけど真っ白になっていたSRを、化粧し直してもらっていた。
三月の初めに預けて一ヶ月余り。受け取りに行ってみると、フロントフォークの錆を落とし、透明な塗料でしっかりと塗装され、すっかり落ち着いた姿になったSRが待っていた。このSRでどこへ行こう。
先日の雨上がりの午後。
やっと雲の切れ間から陽が射し始めた。新緑の萌え始めた山々が目の端に入って来る。これを見てしまうと、全くじっとしていられない。「そぞろ神のものにつきて心を狂わせ」、だ。
先日の雨上がりの午後。
やっと雲の切れ間から陽が射し始めた。新緑の萌え始めた山々が目の端に入って来る。これを見てしまうと、全くじっとしていられない。「そぞろ神のものにつきて心を狂わせ」、だ。
どうにもそわそわとしてしまって辛抱することができず、
「ダムを見に行くくらいなら今からでも」
、と思いついて、いそいそと準備を始め、出発する。
で、「やっぱりな」、と実感したこと。
車は屋根を開け、ドアガラスも下して走ると、間違いなくバイクより「余裕を持って」周囲の景色を楽しむことができる。
新緑を眺めながら車を走らせるのも、花吹雪の中で風に吹かれるのも、いつも車はゆったりとしている。バイクはぼんやりしていたら眺めの方にバイクが向かっていこうとする。
「軽しか乗ったことのない者が断定するか?」
「ダムを見に行くくらいなら今からでも」
、と思いついて、いそいそと準備を始め、出発する。
で、「やっぱりな」、と実感したこと。
車は屋根を開け、ドアガラスも下して走ると、間違いなくバイクより「余裕を持って」周囲の景色を楽しむことができる。
新緑を眺めながら車を走らせるのも、花吹雪の中で風に吹かれるのも、いつも車はゆったりとしている。バイクはぼんやりしていたら眺めの方にバイクが向かっていこうとする。
「軽しか乗ったことのない者が断定するか?」
、と笑われそうな気もするけれど、軽も普通も関係ない。おそらく車は多かれ少なかれ同じことを感じるんだろう。スポーツ走行でない、飽く迄も「ツーリングとして」の話なんだけど。
初めから屋根もドアもないバイクだ。
周囲の景色を楽しむ余裕以前に、走り出した途端に否応なく景色の中に放り込まれる。「余裕を持って」、なんて「余裕」はない。「余裕」というクッション自体がない。
「座り心地のよさそうなソファーだなぁ」と思っておもむろに座ってみるんじゃなくて、バイクのシートは、つい座ってしまって「座り心地、いいなぁ」。
片道三十分足らずの山間のダムへの道は、新緑の真っただ中を走る道だ。
その新緑を、そういうわけで余裕を持って眺めることもなくダムの展望駐車場へ向かう。新緑を眺めてはいないけれど新緑に包まれている自分がいる。
初めから屋根もドアもないバイクだ。
周囲の景色を楽しむ余裕以前に、走り出した途端に否応なく景色の中に放り込まれる。「余裕を持って」、なんて「余裕」はない。「余裕」というクッション自体がない。
「座り心地のよさそうなソファーだなぁ」と思っておもむろに座ってみるんじゃなくて、バイクのシートは、つい座ってしまって「座り心地、いいなぁ」。
片道三十分足らずの山間のダムへの道は、新緑の真っただ中を走る道だ。
その新緑を、そういうわけで余裕を持って眺めることもなくダムの展望駐車場へ向かう。新緑を眺めてはいないけれど新緑に包まれている自分がいる。
錆を落として化粧し直したSRが単気筒の鼓動と共に新しい緑を拓いて自分を載せて走っている。
帰って残ったものは、「景色の中にいた」、という実感だけだ。
車で、見渡して焼き付けた景色と、ただ景色の触感だけが残るバイクと。
「還暦、過ぎたんだ。余裕を持って辺りを見渡す方が大人なんだろう」とは思う。
でも、
「辺りを見渡す余裕より、景色の中に入る方が、ずっと気持いいよなぁ」とも思う。
帰って残ったものは、「景色の中にいた」、という実感だけだ。
車で、見渡して焼き付けた景色と、ただ景色の触感だけが残るバイクと。
「還暦、過ぎたんだ。余裕を持って辺りを見渡す方が大人なんだろう」とは思う。
でも、
「辺りを見渡す余裕より、景色の中に入る方が、ずっと気持いいよなぁ」とも思う。
2016.04/26