CubとSRと

ただの日記

波上宮(なみのうえぐう)と沖縄  (中)

2020年01月18日 | 神社
2015.11/16 (Mon)

 社報「靖國」11月号からの部分転載、後半です。
 「左翼的な県民性だ、と思っていたがそうではなかった。それどころか敬神の念に篤く、剛毅・純朴な人々だった」
  こんな人々が、あれだけ猛烈な基地反対運動などするだろうか、と私の疑念を書いたのは、先祖祀りと、社会批判・革命運動とはつながらないからです。
 革命はこれまでのすべてを否定する。先祖を祀ることさえ否定する。当然でしょう、これまでの社会を支えてきた人々なのですから。社会を否定する、ということは支えるという行動をも否定するということです。ということはその社会の人々の先祖もみんな否定することになる。先祖否定=先祖祀りの否定です。
 先祖は否定するのに、先祖祀りはする、というのは変でしょう。社会を否定するということは、先祖祀りも肯定「してはならない」。
 だから孔子の墓だって暴かれたんだし、そんなことをされたらたまらん、ということで周恩来は墓を作らせなかった。
 脱線しました。


 「基地反対運動は革命ではない。大和と琉球は国が違うのだから当然のことだ」
 という人もいるかもしれない。でも、それはまやかしだ、基地反対運動は革命(独立)運動のために利用されているし、沖縄県は間違いなく日本だということを、今回、改めて思わされました。

 明治の「琉球処分」を批判する人があるけれど、先述した通り、「処分」に冷たい意味はありません。
 江戸時代、沖縄は「琉球国」と名乗って島津藩の支配下にありました。日本>島津藩>琉球国です。
 それが新しい国家体制を作るために、明治政府は琉球も同じく一つの県、とした。鹿児島に支配されていたのに、鹿児島と同列に置いた。だから明治天皇を恨んではいない。恨んでいないからこそその明治期の琉球処分を思い、敗戦後の一日も早い本土復帰を願うために明治天皇の顕彰を、と銅像を建立した。そう思うのが妥当ではないでしょうか。

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 「沖縄のこころ」
 ~県民憧れの宮・沖縄総鎮守 波上宮を通して見た沖縄~

 <天照大御神を祀る浮島神社>
 さて、昔の那覇は、海に面し、国場川・安里川・久茂地川と三方を川に囲まれた謂わば浮島のようなものであった。そこで、明国の冊封使が那覇の港に到着し、首里に向かうまでには、どうしても、川を渡る必要があった。
 時に琉球国第一王朝・金福王の時代、那覇に石の橋、堤を築いて冊封使をお通しするようにとの王命が国相の懐機に下った。
 川底は深く、両岸は離れており、どのようにして石堤を築けばよいかと、懐機は途方にくれた。そこで、彼は、福州の人であったが、大和で最も尊い「天照大御神」を祀り、二夜三昼の間、祈り続けた。
 すると、徐々に潮がひき始め、七日の間、再び満ちてくる事が無かったという。懐機は多くの部下を使い石堤を造り上げた。
 それが、のちに琉球八景の一つに称えられる長虹堤である。懐機は、この石堤築造の大工事が無事完了したのは天照大御神の御蔭であるとし、自らの邸宅をこの神に捧げ、そこに「長寿宮」(ウイシノミヤ=御伊勢の宮)を建てた。
 一昨年、伊勢神宮の御遷宮が行われた事は記憶に新しいが、まさに、琉球王朝の最盛期に、伊勢の皇祖神・天照大御神がこの地に祀られた事は特筆大書すべきであろう。
 (大和であればごく自然のことであろうが、当時は「琉球国」だったのである。)

 現在、このお宮は土地問題の為に波上宮の境内に「浮島神社」として祀られているが、今も那覇市松山一丁目五番地には、その石碑が残っている。浮島神社には土地問題、経済的問題もあるが、早く元のお姿に御復興申し上げる事が私共の悲願である。

 <琉球の王様は日本人>
 さて、一四五二年、今の那覇市松山から崇元寺迄の石堤「長虹堤」が完成し、大和の皇祖神・天照大御神が祀られた。しかもそれを祀ったのは、国相・懐機である。当然、王家の許しなくそのような事はできないし、必ずや王家の理解あっての事であろう。
 そこで、尚王家に就いては、「尚」という姓から、中国大陸系統か朝鮮半島系統かと思われがちだが尚姓は明国から第一尚王家の祖「尚巴志」が戴いた外交上の姓である。
 そして元を辿れば「尚巴志」の祖父は鮫川大主、その親は屋蔵大主であって、日本人なのである。 


  (やや長くなりましたので、ここまでを中として、次回を最後にします)
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波上宮(なみのうえぐう)と沖縄  (上)

2020年01月18日 | 神社
2015.11/14 (Sat)

 先日、社報「靖國」11月号が届いていたのを、開封したまま置きっ放しにしていた。
 思い出して、綴じる前に目を通しておこうと開いてみたら、これは大事なことが書いてある。
 今日は何が何でもこれを転載しておかねば。
 でも、部分転載ではありますが、上下二回になりそうです。

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 「沖縄のこころ」
 ~県民憧れの宮・沖縄総鎮守 波上宮を通して見た沖縄~
              大山晋吾(波上宮禰宜)

  < 敬神・崇神の島、沖縄 >
  間もなく、筆者が靖国神社から波上宮に転任して五年となる。東京でいた頃は全く沖縄のことを知らず、テレビで米軍基地反対の市民集会の様子を見て、何と左翼的な県民性かと思っていたが、全くそれは誤解であった。
 人々は皆々、先祖を大切にし、神々を深く信仰している。実に一般の県民は、敬神・崇祖の念篤く、剛毅にして純朴なる気性に満ちていた。

 さて、沖縄総鎮守・波上宮の参拝者数、今年の正月三箇日は三十万八千人を数えたが、当宮は年間を通して参拝者が非常に多く、また崇敬者の参拝時間の長さにも驚かされる。若い方でも五分、十分と祈ってゆかれる。高齢者に至っては二十分、三十分とお座りになって「お拝み」をされるのである。
 また、祖先を敬う県民性は、墓所・墓石の多いことに象徴されよう。丘や山に登れば、必ず墓所がある。それも膨大な数で、その内に生きた人の住む所が無くなって仕舞うのではないかと危ぶまれる程である。
 人々は清明祭やお彼岸等になると一族で先祖伝来の器にお供え物を盛って墓参に行く。そこで、子孫は親たちの拝む姿を見て、自然に崇祖の心を養うのであろう。

         (略)

 < 明治天皇の御尊像 >
 さて、境内に建つ明治天皇の御銅像の建立は、昭和四十五年であり、沖縄が日本への祖国復帰を果たす以前のことであった。
その御銅像の台座には、明治天皇の御宸筆「國家」の文字が刻まれている。そこには戦いに敗れて米国に占領され、祖国から切り離された当時沖縄県民の悲しみが、そして一日も早く日本国に復帰したいという県民の悲願が籠っているように思えてならない。
 波上宮は戦いに敗れ、打ちひしがれた沖縄の人々にとり、祖国日本を偲ぶ唯一の心の故郷、魂の拠り所であった。まさに、その境内地に御銅像は建てられ、それから二年後、沖縄は見事に祖国復帰を果たしたのである。


                   転載終わり

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 「~テレビで米軍基地反対の市民集会の様子を見て、何と左翼的な県民性かと思っていた~」
 しかし、
 「実に一般の県民は、敬神・崇祖の念篤く、剛毅にして純朴なる気性に満ちていた。」

 これ、どう思われますか。大山禰宜が間違ってるんでしょうか。それとも、報道がおかしいのでしょうか。
 いやいや、波上宮に参拝する人々だけが別なんでしょうか。
 それとも参拝している時だけが敬神の念が篤くなるんでしょうか。
 少なくとも、辺野古を初めとして反対運動をしている人々と、参拝者の表情は決して重ならないのではないか。
 今朝も関西のテレビでは「正義のミカタ」という朝の情報ショーで、沖縄国際大の前泊教授が
 「沖縄の民意は基地反対。反対意見が強まれば助成金が増える。飴と鞭だ。助成金は地元には四割しか落ちない」
 などと説明していましたが、これまた
 「敬神・崇祖の念篤く、剛毅にして純朴なる気性の沖縄県民」
 と全く重ならない。


 「境内に建つ明治天皇の御銅像の建立は、昭和四十五年であり、~」

 戦争に敗れたのが昭和二十年。講和条約が二十七年。
 銅像の建立されたのが四十五年。本土復帰が四十七年。
 敗戦から二十五年もたって明治天皇の銅像を建立する。
 何故、明治天皇なんでしょうか?「琉球国」独立を支持する人々は、明治天皇を「『琉球処分を命じた酷い天皇」だと思っているのではないのでしょうか。

 菅官房長官が「粛々と行う」と発言したのを「上から目線だ」と文句をつけたことがありました。言いがかりに近いものです。「粛々」というのは決して「上から見下す」ような傲慢な表現でないことは、普通に学校に行っていれば分かること。
 それと同じく、「処分」という言葉には「冷たく切り捨てる」といったような意味はありません。
 「適材適所」と同じで、「それぞれの処に分類して収める」ということでしょう?「処分」の文字にはそれだけの意味しかない。
 「切り捨てる」、というのなら鹿児島の支配下から「沖縄県」へ、という鹿児島と同等の立場にする施政は成り立ちません。己の勉強不足を棚に上げて批判ならぬ非難ばかり・・・、いやいや、今日はこの辺でやめときましょう。


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