CubとSRと

ただの日記

ツーリング考(謙虚と傲慢)

2020年01月04日 | バイク 車 ツーリング
 もう何年も前のことだけれど、二輪雑誌だったろうか、こんな記事を読んだことがある。
 家族連れをターゲットに各地に作られたレジャーランド。
 特に変わったものがあるわけではないけれど、小動物に触れたり、遊び場があったり、と休日を楽しく過ごせるように色々なアイデアが詰め込まれていた。
 中には車で入り、好きなところで車を停めて、その場で食事をしたり、遊んだりできるという所もある。

 それが、あるところで、車は(当然)良いけれど、バイクは入園禁止ということになった。何故?

 理由は、バイクは不安定だから、停めていても子供がさわって、倒れたり下敷きになったりする。マフラーやエンジンに触れると火傷をする。
 だからだ、という。危険なのだ、と。

 何だかありそうな話だけれど、「あったから」ではない。
 どこかしら、おかしい。
 「起こるまで待つべきだ」と言っているわけではない。それでは、人が犠牲にならなけりゃ、と言っている事に等しい。

 電車の中で子供が騒ぐ。「静かにしなさい」と子供を叱る。
 本来なら、
 「他のお客さんに迷惑だから静かにしなさい」
 と言うのは親の仕事です。ところが全く知らん顔をしている親が増えて来た。
 で、見かねて注意をする。
 そこで、親は初めて子供を諭(さと)す。
 「おじちゃんに叱られるからやめようね」

 最近では
 「お金払って乗ってんのよ。何よ少しぐらい!」なんてのも。

 全く正反対のこともある。
 「車が居ないから、横断歩道を渡ろうとしたら、『ママ、信号が赤でしょ』と子供に言われた。反省しなけりゃ」
 という「負うた子に浅瀬を教えられ」の典型みたいな話。
 また、
 「子供は自由にのびのびと育つのが一番。しつけなんて。大らかな方がいいでしょう?」 
 「小さなおとな。同じ人間なんだから。話せば分かるんだから」
 「子供の時、よく叩かれた。とても嫌な思いをした。だから、子供には手を挙げない。」
 
 状況も事由も違うものをズラズラと書き並べたけれど、実はこれ、共通していることがあります。
 全て、これまでの日本文化にはなかったもの。日本人の特性とは違った発想と意思からのものだ、ということです。
 ここにあるのは「傲慢」と「思い込み」。

 「お金を払ってるんだから」「赤信号なんだから」「子供だって同じ人間」「私はよく叩かれたから」
 これ、みんな「自分の思い込み」が判断基準です。
 そして、相手のこと周辺のことを、全く「思い遣って」いない。

 ここにあげた中で、「?」と思われるだろうことを一つ。
 「赤信号で渡ろうとしたこと」も傲慢?社会ルールを守ってるのに?
 
 バイク乗りは思います。(歩行時ですよ、飽く迄も)
 「赤信号で車は停まる。青信号で車は走る。青信号で横断歩道を歩いて、車にはねられた。悪いのは車だ。その通り。でも、死んだ人は生き返らないよ」
 大事なのは、青信号でも車が来ないかどうか確かめることです。

 制限50kmの道を70kmで車が流れている。頑なに50kmで走行するとどうなる?悪いのは70kmで流れている車全体だ。みんな交通違反で検挙する?
 そのやり方は実社会で可能か?

 車道は危なくて仕方がないから、歩道を自転車で走る。違反で検挙する?極力スピードを抑えれば、日本では道を譲ってくれますよね?「ありがとうございます」の一言で笑顔だって返って来る。
 ルールというのは、みんなのために良かれと思って作られたものだから、その基本には「思い遣り」があるはずです。(他のために良かれと思う)

 二十代の頃、伊丹十三のエッセイをよく読んだのですが、
 「イギリス人は忍耐強くよく並ぶ。全く文句を言わない。日本人はどうだ」
 みたいなことが書いてありました。
 少なくとも「北京の五十五日」が作られた頃の日本人というのは、今の、隣国ほどではないにせよ、並ぶということがあまり得意ではなかったようです。
 つまり、行儀が悪かった。
 最近は団体でやって来て電化製品(主に電気釜?)をいくつも買い込んでいく大陸旅行団が有名ですが、同じように数十年前は、札束持って小旗を先頭にゾロゾロやって来てブランド品を買い漁る日本人を、西欧の人々は「ノーキョー」と呼んで冷笑していたことをご存知ですか?

 今は昔、の話です。あの頃より今の人々の方がよっぽどルールを守るし、マナーもエチケットもある。けれど、「謙虚さ」とか「思い遣り」となると、どうだろうか、と・・・・・。

 初めの「バイク入園禁止」の話に戻ると、
 「倒れて来るかもしれない」「下敷きになるかもしれない」「マフラーで火傷するかもしれない」
 だから禁止?それ、「思い遣り」でしょうか?ということなんです。

 子育ての段階で、「思い遣り」という感性は、教えていくものです。言葉で、とは限りません。感性(感受性)、感情ですから。
 「思い遣り」は日本人の国民性。そして、教えられなければ「国民性」というものは身につくものではありません。
 「国民性」というのは感性を基盤とする文化そのものです。

 子供がバイクに近づこうとしたら、いきなり
 「危ないよ!下敷きになるかもしれない」
 「危ないよ!やけどするよ」
 などと言わず、まず、子供を安全な所に留め、それから一緒に眺めることをすればいい。そこで子供が手を伸ばしたら、初めて何らかのアクションを起こす。

 そういうことをしない親。クレームを回避したい経営者。
 結果、バイク入園禁止。
 引き換えに多くの教育チャンスを無にしてしまっている。

 あの・・・・・・・。ツーリングについて書いているつもりなんですが。
 「バイク乗りの心の裡を」、と思っていると、なかなか本題に入れません。

 「心の在りよう」が分からないと、たとえば「バイク乗り」に関して言えば、
 「ただのバカ」
 としか思ってもらえないと、思うものですから。


2011.08/07
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「倣うのは簡単」・・・・・?

2020年01月04日 | 重箱の隅
 「人を見て、いいなあと思ったことは真似る、あれは良くないというところはまねしない。そうしていれば、悪くなるはずがない」
なんて言いますけど、そう簡単にはできることじゃありません。

 反対に、普通は
 「もっといいことを習いなさい!変なことばかり真似して!」
と、父親にくっついて歩く男の子が、母親に叱られる。

 これは子供に限ったことではありません。大人だってそうです。
 「これが最高峰、究極の技である」といくら提示されたって、誰も真似しません。
 「真似しない」んじゃなくて、「真似できない」んですね、ホントは。

 「それ、話が飛んでる。次元が違うよ」と、ここまで書けば必ず突っ込まれるんですが、実は意外に、違ってない。

 剣道を習ったことのある人ならご存知ですね、剣道には「日本剣道形」という太刀七本、小太刀三本の組み型があります。簡単そうに見えますがとても高度な技術で、なかなかまともに出来るものではありません。
 それもそのはず、で本来は、武徳会教師となった各流儀最高の術者が、自流の最高の「型」を持ち寄ったからです。
 つまり、諸流儀の精髄が十本。これを学べば、みんな日本一になれるわけです。

 では、実際は?
 竹刀を持っての稽古の中で、この剣道形が遣われることは、まず、ありません。
 遣えないのです。

 各流儀の最高の技(極意の技)というのは、それぞれの流儀が工夫をこらして修練を積み重ね、その結果つくり上げた集大成、最高傑作、なのです。
 言い方を換えれば、何十年もかかって一途にその流儀だけを習ってきた、その証し。それが、その流儀の「極意の技」です。
 
 海上に見える氷塊が「極意の技」ということです。海中には途方もなく大きい、山のような氷塊がある。長い熱心な修業がある。

 そんな海上の氷塊だけを十個寄せて、海に浮かべたら十個分の高さになるか。ありえません。十個全部沈みます。

 「良いこと」と言われるものの殆どは、それなりの習練の結果、その人が
自身の力で手に入れたものです。
 簡単には手に入らない、と感じるからこそ、そして、直感的にレベルの差が分るからこそ、「良いもの」と認定されます。

 だから、
 「良いことだけを習って~」というのは道理上無理、です。
 気持ちは大事なんですよ。
 「悪いことも習え!」って言ってるんじゃないんです。

 そうじゃなくて、良いことだけを習おうと、一所懸命に取り組んだって初めはうまくいく筈がない。(うまくいったとしたら、それは大して良いものじゃない。)

 その時(うまくいかない時)に、この道理を知らないと
「やっぱり、オレ、才能ないんだ」とか
「いつ芽が出るか分からないし、これ以上迷惑かけられない」と
途半ばにして無念のリタイア、となる。
それを言いたいんです。

 言葉遊びに見えそうになってきたので、実例を一つ二つ。

 悪いところを倣ってしまう例。

 私の習った師範代に聞いた話です。
 子供の頃、一人で稽古をしていると、普段は顔をあわせることのない門人がやって来た。
 会釈だけして稽古を続けていると、不意に「○○さんに習ったな」と言われる。
 その通りなものだから、驚いて「はい」と応え、
 「わかりますか?」と問うたら
 「わかる。○○さんの悪いところばかり習っているからな」

 「どうしたら良いんでしょう」と今度は私。
 すると
 「そりゃ、一人じゃなくて、二人、三人から習えばいい」。
 「それなら、あまり悪くならないんですか?」
 「いいや。それぞれの悪いところばかり習ってしまうよ」
 「???」



 昔の門人の話。
 その門人は、とにかく神経が鈍いというか、センスがないというか、いくら教えてもちっともうまくならず、一年、二年と経つうちに、後から入った者にどんどん追い越されていく。
 怠けているどころか、その正反対。誰よりも稽古熱心で、とにかくひたむきに取組むんだが、やっぱり上手にならない。
 さすがに、師範は気の毒に思い、
「人には向き不向き、ということがある。お前には剣術より槍術の方が向いているかもしれない。それだけの熱心さがあれば、必ず世に出られるぞ」と替え流を勧めた。
 その門人は黙って話を聞いていたが、頭一つ下げて何も言わず帰って行った。
 
 次の稽古の日、師範が道場に出てみると、その門人が稽古をしている。
 かわいそうなことをした、と思ってはいるが、話をしたことが分からなかったんだろうか、とまた前回のように稽古の後、その門人を呼んで諭した。
 門人は、というと、同じくだんまりで、頭一つ下げて帰って行った。

 次の稽古日も、その次もちっとも聞えた風がない。師範も終に腹を立てて叱りつけた。
 すると門人は、自分はここの道場以外で習う気はないから、とにかく居させてくれと頼み込む。
 流儀の教えを信じて通っているのだから、と正論で以って頼みこむ門人に師範も、そこまで言うのならわかった、と稽古を続けさせる。

 その後も相変わらずの状態が続いたが、いつか急に腕を上げ、門人の全てが一目置く師範代になった。


  今、日本の優れた産業技術や、目新しい文化が、諸外国で人気です。日本ほどではないけれど、随分な短期間で実力をつける国もあります。
 「日本から新幹線を買ったが、改良して、もっと早く走らせることができるようになった。もはや日本の技術力は、我が国の敵ではない。」
 自信満々でこう言う国もすぐそばにあります。

 良いこと、優れていることには、それなりの海面下の部分があるんです。海上の一部だけ真似したって、それはその場でしか通用しない。
 ここまでは当たり前にできるけれど、目標に到達するのは、どんな分野でもそう簡単なことではありません。

 しかし、「日本には何でもあるから」、と油断していれば、追い抜かれるのは一瞬、のことです。
 今の日本は先人がつくったのですから。「先人の業績」と「今の日本人」はイコールではありません。



2013.09/30
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「教育勅語の思ひ出」

2020年01月04日 | 重箱の隅
 確か中学生の頃だったと思うのですが、何かの拍子に「昔は、みんな教育勅語を覚えていた」、と母が言いました。
 私から聞いたのか、それとも世間話からそんな展開になったのか、覚えていません。
 けど、その時、母が「朕(ちん)惟(おも)フニ、我カ皇祖皇宗(こうそこうそう)國ヲ肇(はじ)ムルコト宏遠(こうえん)ニ徳(とく)ヲ樹(た)ツルコト深厚(しんこう)ナリ。~」と、冒頭をすらすらと諳(そら)んじたのを聞いて、何となく、「戦前の教育と、戦後の我々が受けた教育とは、随分違っているのではないか」という直感はありました。

 その時はそれだけでした。母も最後まで諳んじたわけではありません。もしかしたら、その先はちょっと曖昧になっていたかもしれない。
 それっきり忘れていました。

 数年後。学生の頃です。
 寮では毎朝点呼がありました。班ごとに縦一列に並び、正座する。「~班。~名病欠、~名帰省。計~名」と出欠を報告。
 全班の点呼が終われば、今度は全員で神棚に向かって教育勅語を一斉読する。暗誦による一斉読です。
 出来の悪い学生だったから、教育勅語を一読しただけでは分からないことがたくさんありました。
 いや、たくさん、なんてもんじゃない。分からないところがほとんどです。
 個々の文言は分かっても、その文語文の展開の仕方が、(普段、口語文しか読んでいないからでしょう)、どうにもピンと来ない。
 ちょうど幸田露伴の「五重塔」を読んだときみたいな感じ、だったでしょうか。
 調子に乗ってすらすらと言えそうなリズムの文章なんだけど、中身は当然、千金の重みがあるわけです。漱石のような、「読みやすいけど調子には乗らない確固とした文章」とは対極なのかもしれません。

 で、とにかく、意味は分からずとも他の寮生と共に声を合わせて暗誦しなければならないわけです。いつまでも覚えられないでいると、一つしか歳の違わない上級生に叱られる。
 考えてみれば、入学式の前に入寮しているわけで、翌日から「朝拝」という名前で、点呼と一斉読に参加しなければならない。新しい環境の中で、怒涛のようにこういう新しい生活規則が押し寄せてくる。
 だからというわけでもないのですが、暗記は大の苦手だったので、「こんなの、覚えられるか?」と、とても不安になったことを覚えています。
 けど、人間、切羽詰まると何とかなるもののようで。確か三日目の朝には何とか覚えることができ、四日目には当たり前に暗誦していました。

 この教育勅語の一斉暗誦は、寮にいる二年間は続けられました。だから、きっと、五、六百回は口にしていると思います。
 では、「意味は分かっていたのか」。そして、「それは実践できていたのか」。
 覚えてしまっているわけです。字面を見れば、おおよそのことは分かります。
 けど、「実践できていたのか」と言われたら、これは落第でしょう。
 「覚えては、いる。意味は、分かる」

 ということは、理解はできるけれど、「分かる=身についている(実践する)」には程遠い。
 結局、二年間の寮生活で、「教育勅語」は覚えたものの、「覚えた」だけ。
 「正しいことが書いてある、良いことが書いてある、ということだから、多分そうなんだろう」
 、としか思わなかった。
 本当に恥ずかしくなるくらい、一歩も踏み込むことなく二年間を過ごしてしまったのです。
 
 三年生からは寮を出る(寮は、当時、二年まで、でした)。従って、三年、四年は教育勅語の一斉読はしない。
 で、冒頭はともかく、「我カ臣民、克ク忠ニ、克ク孝ニ、億兆心ヲ一ニシテ世々厥ノ美ヲ濟セルハ、~」以降は、自分でも呆れるくらい、きれいさっぱりと忘れてしまいました。

 それでも、二年間、毎朝暗誦していたこと(少なくともその間は、それなりのはっきりとした声で暗誦していたこと)は、事実なわけで、卒業してからも、何かの拍子に「教育勅語」という言葉を耳にすると、
 「朕惟フニ、我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ。~」
 という辺りまでは頭に浮かんできます。
 道歌や格言と一緒で、それぞれの状況の中で即座に言葉が浮かんでくると、それぞれの状況の中での意味合いも同時に考えることになる。
 折々の、そういったことの繰り返しで「教育勅語」の意味の分からなかったところが段々に身に沁みてくる。

 そうなってくると、テレビや新聞で、コメンテーター、論説委員が話したり書いたりしていることに、疑問符がついてくるようになります。
 身に沁みてくると、彼らの言や文章が机上の空論というか、どこかから拝借してきただけの上辺だけ、表面的な理解だけ、からの空理空論、或いはその場限りのやっつけ仕事だ、ということを感じるようになりました。
 学者の言より修行者の言の方が重みがあるのと同じです。

 となると、今は訳も分からず唱えているだけのあの園児達も・・・・。


   2017年3月25日の日記

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