CubとSRと

ただの日記

夢の方がいいか ③

2020年01月12日 | バイク 車 ツーリング
 調子に乗って、ツーリングの話をする前から、脱線して割り子蕎麦のことを書き始め、またまた脱線して「割り子蕎麦」と「わんこそば」の名前の由来がどうのこうのと。

 最後になって「皿そば(出石蕎麦)」のことをやっと思い出して。
 でも、出石蕎麦のことは以前に書いてますからね。
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 昔々、職場の旅行で出石(いずし)に行ったことがあります。出石は兵庫県の日本海側にある山間の町です。
 そこで初めて「皿そば」というものを食べました。
 ほんの二口ずつを五つの皿に盛り分けてあって、とろろ芋をすりおろしたのと生卵とを混ぜ込んだ(自分で混ぜる)出し汁につけて食べるのですが、びっくりするくらい美味かったのを覚えています。

 ところが前の晩の痛飲のせいで、帰りがけに寄った出石名物「皿そば」は、気持ちが悪くって一皿か二皿しか食べられなかった。
 もう、美味しいやら、二日酔いで気持ち悪いやら、食べられなくって口惜しいやら、で、
 「これは絶対に、いずれ思いっきり食ってやる!」
 と、誓いをたてて、出石を後にしました。
 食通ではないけれど「食い物の恨み」、です。呑み過ぎて二日酔いになった自分が悪いんだから八つ当たりもできない。ただのいやしんぼ、食い意地が張ってるだけの話なんですが。
        (略)
 大体、蕎麦切りを盛った「ざるそば」なんてのは、十口以内で啜り終わるものなんだそうですが、試してみたら、八口か十口ですね、やっぱり。
 そうすると、五皿。なかなか、でしょう?
 でも気になるんですよ。何で五皿なんだ?

 というわけで、色々調べてみました。けど、分からない。
 ただ、どうも出石の殿様というのが、信州から移封されたらしいということと、その殿様が無類の蕎麦好きで、蕎麦打ち職人も連れて来たらしいということだけは分かりました。
 だから、とろろ芋や卵はともかく、五皿に盛り分けるのはあっちから持って来た習慣なのではないか。                         
                                      「五皿に盛り分ける(前)」  2011.9/12
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 出雲そばは松平直政が信州松本からの国替え時に蕎麦職人を連れて来たのが始まり。
 兵庫県(但馬国)の出石(いずし)蕎麦は仙石氏が同じ信州上田からの国替え時、同じく蕎麦職人を連れて来た。

 出雲そばは松平不昧の流行らせた蕎麦が、三段重ねの風流な「割り子蕎麦」となった。
 出石蕎麦は何故か五枚の小皿に分けて供される。風流からでもないし、客への御馳走、といったわけでもない。
 ただ、上田より北部の信州一帯では、戸隠の蕎麦が最高とされ、そこでは「ぼっち盛り」(法師盛り)と呼ばれる「一つのざるに、五つに分けて盛る」という盛り方が一般的で、これは山法師(修験道の行者)が戸隠の五柱の神々に捧げる蕎麦の形と同じだ。
 
 三段重ねの器が目の前に置かれる。なかなかいいもんだ。
 五つの小皿が目の前に並べられる。これまたなかなかいいもんだ。
 いずれもその絵を想像するだけでうれしくなってしまう。
 それを食べるためだけのツーリング。
 左右に展開する秋の景色の中、バイクの振動と共に風に向かって進む。


2015.10/22



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夢の方がいいか ②

2020年01月12日 | バイク 車 ツーリング
 田舎(島根)に帰っていた時、偶然テレビで割り子蕎麦のことが採り上げられているのを見た。
 現在の体裁は「割り子」と呼ばれる丸い器の三段重ねで出てくるのだが、なんで「割り子」と言われるのか、さっぱりわからない。
 それがテレビでは、実は元々は丸い器ではなく四角な器だったのだという説明がなされていた。
 なんでも
 「四角い器では洗った時に隅に汚れが残る。隅のない丸い器にすると洗いやすかろう。その方が清潔だ」
 、と警察(!)の指導があって、丸い器になったんだそうだ。
 (警察の指導云々は、ネットで調べたらすぐ出てきた。明治期は警察が厚生省の仕事までしていたようだ)

 それにしても、だから何で「割り子」、なんだ???
 で、しばらくして、「割り子」じゃなくて「割り盒(わりごう)」なんじゃないかと思い始めた。飯盒のような箱型で、それがいくつかに分けてあり、重ねて用いる。
 三段重ねに拘るのではなく、単に「重箱」と考えたら「簡便な重箱」という意味で「割り盒」。「割り盒蕎麦」。

 そう考えたら盛岡の「わんこ(椀子)蕎麦」と似た名前ながら、違った形が見えてくる。あちらは、食べるとき、きれいに漆を塗り重ねた蓋つきの美しい椀が置かれる。
 その椀に給仕が次々に少量ずつ、しかしいつ果てるともなく蕎麦を入れ続ける。「はい!じゃんじゃん」「どんどん!」等の励ましの掛け声(?)と共に。
 椀とともに御馳走が並ぶのだそうだが、とても食べる暇なんかないだろう。

 対して「割り子蕎麦」の方は器自体がそれぞれ独立していて、持ち運びを考えて簡便に仕立てられている。
 「わんこ」と「わりご」は似たような名前ながら、「わんこ」の「こ」は接尾語で意味はない。「わりご」の「子(ご)」は「盒」の意味と思われる。深さがあるから「盒」。

 更に名前の由来より興味があるのは、それぞれの蕎麦の「在り方」だ。
 一方は客を歓待する方法として、「蕎麦」がある。
 対して出雲の方は、「野山に出掛けて」の気軽な食事。それも「風流」「風雅」を愛する心から、のもの。
 早い話が「家での接待」と「ピクニック」の違い、だ。

 そう考えると寛永年間、松平直政が、「国替え」で信州松本から蕎麦職人を連れて来たものの、これを流行させ、今日、「三大蕎麦」の一つとしての名声を定着させたのは、やはり、あの松平不昧からなのだろうと思う。
 風流人が野山に出掛け、、或いは「花の下(はなのもと)」で連歌を、という時、握り飯に酒、というより、ここではやっぱり蕎麦の方が風流だろう。

 ・・・・あ!「わんこ蕎麦」と比べるんじゃなくて、「皿そば」の事を書くんでした。


                                                    (また続く)


2015.10/21
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夢の方がいいか

2020年01月12日 | バイク 車 ツーリング
 神戸に戻って来る時、もう一度「割り子(わりご)蕎麦」を食べておきたいものだと思った。帰途、頓原(とんばら)というところに、「一福」という蕎麦屋があるので其処に寄ってと思ったのだが、残念なことに通過時間が早過ぎて店は開いてなかった。
 勿論、食べられなかった。九時前だから当然か。
 ということはしばらくは出雲そばは食べられないということだ。
 食べられないとなると、余計に食べたくなる。「食い意地が張ってるだけ」と言われてもしょうがない。食べたいんだもの。

 それで帰ってからネットで探してみたら、神戸市内に一軒だけ、ちゃんとした割り子蕎麦を出す店のあるのが分かった。
 名前からして「雲太(うんた)」、とそれらしい店名がついている。
 この名前はおそらく、能く引き合いに出される「口遊み(くちずさみ)」という平安時代頃のわらべ歌のようなものにあるという「雲太(うんた)、和二(わに)、京三(きょうさん)」の文言から採られたものだろう。
 平安時代の高い建物の順なのではないか、と言われている。

 もっとも、中には建物ではなく強い政権の在った国の順なのではないかという考えもあるようで、成る程、出雲、奈良、京都、「そして神戸」、じゃなかった、東京と来れば「雲太・和二・京三・東四」となって、何となく納得、となりそうなんだけど。(勿論、当時は東京はないんですけどね)
 でも、それじゃ出雲王国があったことになってしまって、それが平安時代に口遊みの一つに残っている、というのは、やっぱり少々以上に無理がある。あ、脱線した。

 建物の高さに戻ると、出雲大社(杵築大社)が一番、東大寺大仏殿が二番、平安宮が三番、ということらしい。
 「何で出雲(大社)が大仏殿より大きいと謳われるのか。」
 という辺りから、実は本来、出雲の社殿の高さは現在の二倍(今でも神社としては特別に大きいんですよ)、太古はさらにその二倍だった、という伝承の検証が始まった、と聞いたことがある。
 最初は三本の柱を束ねて宮柱としたという「金輪造営(かなわぞうえい)図」なんて誰も信じなかったんだけど(当時の建築技術じゃ無理だ、って)、2000年に敷地内からその「宇豆柱(うずばしら)」の跡が発掘され、大騒ぎになった。あ、またまた脱線。

 そんな出雲人の誇り、ともいうべき「杵築大社(きつきたいしゃ・きずきたいしゃ)」を思い起こさせる「雲太」という言葉を店名にするくらいなんだから、きっと出雲出身の、出雲に相当思い入れのある人が店主なんだろう。
 なんて勝手なことを思いながら、街中の事、車を停める場所を探すよりはバイクの方が、とSRで行ってみた。

 確かに出雲そばだった。
 開店前で、まだ打ちあがっていない処に行ったから、食べたのは打ち立て、すぐ、の茹でたてで、本当なら30分くらい経ってからが良かったんだろうけど、この日開店一番の客、文句は言わない。当たり前に食べて、十分に満足して帰ってきた。

 というわけで、割り子蕎麦を食べて満足した。満足はしたけれど、今度は皿そばを食べたくなった。
 そうなると今度は出石(いずし)まで行かなきゃならない。
 「やっぱり食い意地が張ってる!」
 と言われてもしょうがない。食べたいんだもの。

 藩主の移封で、信州から出雲に入って「出雲そば」、となり「割り子蕎麦」という体裁ができた。
 藩主の移封で、北信濃の「ぼっち盛り」が出石に伝わり、「皿そば」という形になる。
 一方は三段重ね。もう一方は五枚の小皿に盛られて出てくる。

 「あ~っ、食べたい!」

 ・・・・・というわけで、神戸に戻って、初の日帰りツーリング。

                 (続くかも)


2015.10/20


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安全弁

2020年01月12日 | バイク 車 ツーリング
 どうでもいい話ですよ。
 もう二週間も前に書いていた、ただの日記です。
 「暇つぶしに読むか、な」
 という方だけどうぞ。


 先日、免許証の更新をするようにという葉書が来たんです。
 田舎に帰ってから二回目の更新になる。
 「何とかうまく都合をつけて行かなきゃならんな」
 と思いながら、葉書を剥がしてみると、「区分」というところが「5年」になっている。

 十数年前に「5年」と書かれた金色ラインの免許証になったんです。
 ところが、なって数週間で一時停止違反をしてしまった。
 だからと言って5年が3年に書き換えられるわけじゃない。
 ・・・・・だったんですが。

 半年後だったか、バイクの大型免許を取ったんですよ。
 前の違反は三ヶ月で消えるわけだから、別に気にもしてなかったんですが、違反は消えても、それまでの無違反の結果の金色ラインまで消えてしまうとは思いもしなかった。
 「大自二」のところが「0」から「1」になったのと引き換えに。金色は青色に逆戻り。

 それ以来、金色の免許は持ったことがありません。まあ、見事に三年毎の更新になった。
 世話になってるバイク店の話では、5年になっても、これからはそう簡単に金色にはならないんだ、とか。

 で、もう生きてる間にはお目に掛かれないのかな、と思ってました。
 実際そうなんでしょうけど。でも、5年の免許も、もうお目に掛かれないんだろうと、何となく思ってました。いつも不思議なくらい捕まるんですよね~。

 直近の違反。
 「例によって」、というか「鈍い」、というか「野生の勘がない都会人(!)」というか、張ってるのを全く気付かず、40キロ制限のところを20数キロオーバーしてしまった。
 車を買って、必要に迫られているからとはいえ、車ばかり乗っていて、その車での用事は午前中に済ませ、偶然に訪れた、「天気も良し、用もなし」という「魔の午後」。バイクに乗らないわけにはいかないでしょう??
 

 久し振りで気持ちがいい。
 R1100RSで「調子に乗るなよ」と思いながら、車のほとんどいない田舎道を走っていた。
 郊外の集落に入る辺りで40キロ制限になっていたんですよね。それは知ってた。でも、気持ちよく流してた。速度計なんか見てない。

 「飛んで火に入る夏の虫」、です。晩秋だったけど。
 イルカの餌のイワシ状態、でしょうか。二十数キロ違反だって大量に検挙すれば業績を上げた、ということになるんでしょうね。ま、それは良しとしましょう。(田舎に帰って来て捕まったのは4回目。速度違反が三回、見通しの良い丁字路での一時停止違反一回)
 地元のナンバーじゃないし、9万5千キロ余りの中古車だって外車だし。
 で、しばらく世間話をしてその場を離れたけれど、そりゃ癪だった。
 何が癪だった、と言って張ってる姿を全く見なかったんですから。

 当然引き返しましたよ。用事はない、ただ走るだけ、行先は決めてない、だったから。
 「ぐるっと回って30~50キロ走ったらいいや」と思っていた。
 だから、せめて現場は見て置きたい。

 折り返して、どこにいたんだろうと思って、きょろきょろ辺りを見回しながら走ってたら、居ました!民家の軒下に、忍者みたいに壁際に衝立立てて。
 あれじゃ、保護色のカメレオン、野戦時の兵士です。
 もうっ!腹の立つ!!!

 勿論、反省しましたよ。あの程度のカモフラージュに僅か60数キロで走っていて全く気が付かなかった。
 通り過ぎてから「あっ!」とでも思ったのならともかく、停められるまで全く気が付かなかった。それじゃ十分、事故、起こすでしょう。完全に注意力不足。

 「くっそ~っ!ダマされた」「きたない隠れ方しやがって!」と心の中では悪態をつくし、捕まった瞬間は血の気が引いていくのが分かるし。

 理不尽だとかなんだとかいう思いが渦巻いて、そうこうするうちに自分を納得させようとし始める。
 何よりの思いは「捕まらないでここを抜けた時に、事故に遭って来たんじゃないか」、と思い始めること。

 反則金は高いけど、修理代はもっと高い。
 身体の修復に至っては、金ではどうにもならない場合もある。
 そう思ってみると
 「安全弁、ってこれしかないよなぁ」
 という考えに行き着く。
 ABSがついてたって、エアバッグベストを着てたって、安全弁その物にはならない。

 「そんなこと、いっぱいあるなぁ・・・・・・・」
 で、「安全弁」、って本人の能力・気力を殺ぐわけだから、当人はちっとも嬉しくない。
 だから当然「安全弁」は感謝なんかされないし、それどころかみんなに嫌がられるし。でも必要だし・・・・・。う~ん・・・・・。

 そうか!安全弁ってのは、リスクそのものなんだ。
 「これさえあれば、いざという時に安心!」なんて言うけど、安全であればあるほど、反作用としての不快感は大きいんだ。シートベルトの着用義務なんてその最たるものだ。安全を目指せば目指すほどドライバーや乗員には嫌がられる。4点式なんかになると「そんなのあり得ない!レースしてるんじゃないんだから!」と猛反対。

 早い話、危険だからこそツーリングは楽しいし、疲れるからこそ楽しい。
 捕まった時の不快感も、事故を起こした時の不快感も同じ不快感だ。そんな不快感の上に快感は成り立ってる。
 そうだ。赤ん坊は初めに「驚該」、次は「不快」、それから「快」の感情が形成される。

 要は「同じく不快なら、ツーリングに行かなきゃいいじゃないか。そうすれば不快感は経験しなくて済むだろう?」と言われて頷くか?だな。

 福島原発のベント。原発なんかなくしてしまえばいい・・・のかな?
 それって逆立ちしてないか?


2014.10/30
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