CubとSRと

ただの日記

「右翼」と「左翼」

2020年01月23日 | 重箱の隅
2010.01/05 (Tue)

「右翼」と「左翼」。
聞いたところによると、議場の右側を「右翼」、左側を「左翼」と言うんだそうですね。

議長から見て、右側、右翼席は、国政の「伝統」を守るべき、と言う主張の議員が集まり、左側、左翼席には国の発展のためなら少々のリスクは覚悟の上で(多少の流血、怪我)、改革を進めるべき、という議員が集まったんだそうです。

まあ、議論をする上で、この対立する考えの者が、ごちゃ混ぜの混浴状態で議場にいたら、蜂の巣をつついたみたいになって、収集がつかなくなって大変だろうし、議論をするのも、ややこしくてしょうがない。
で、自然にこうなっていったんではないか、とは思います。

問題は、これ、両方(両翼)とも
「国のために良かれ」と思って討論をしているのだ、ということです。
一方は「伝統を、しっかりと守ることが、結局は国を発展させるのだ」と言い、
もう一方は「国を発展させるためには、少々の犠牲は覚悟しようじゃないか」と言っています。

つまり、喧嘩、流血の惨事を引き起こす場合にも、そこには必ず「我が国を心底から大事に思っている」という共通の熱い心がある、ということです。

「今の日本に左翼はいない。左翼の仮面をかぶった、似非左翼しかいない」という意見も聞いたことがあります。なるほど、そうだな、と思います。

「左翼」と目されている、彼ら「似非(えせ)左翼」は言います。
「今の日本は正しい発展をしていない。歴史を振り返り、まずは迷惑を掛けたことを許して貰えるまであやまる。その上で、近隣の国々と手を取り合って、共に発展することをめざすべきだ。」

正しいことを言っていますね、確かに。
けど、「ちょっと待てよ」、なのです。どこが「似非」なのか。
つい、目先の言葉に惑わされてしまいます。ほとんど詐欺の手口です。

「この国を大事に思うからこそ」
という一言が、彼ら似非左翼の主張の底流にはないのです。
本当の左翼は「国を愛する」人の筈です。

だから「似非左翼」の別名は、「売国者」「売国奴」、
或いは「亡国を目論む者」。


平成25年は、伊勢神宮の式年遷宮の年です。御正殿から全ての調度品に至るまで、全て、全く同じ物が作られ、交替されます。20年に一度、です。
お気づきの通り、神殿と言い、調度品と言い、20年で駄目になるものはほとんどありません。それを、敢えて全く同じ物を作る。
初めは、弟子だった者が20年後、中堅の職人になる。更に20年後、一流を成す親方になる。
常に変えることによって、不変を貫く。逆に、守りぬくことで、発展し続ける。共通するのは「それ」を大事に思うこと、です。「似非」にはその「誠心」が、ない。

今の日本の政治に「それ」が、「国を大事に思う」があるか。
読み間違い、どころではない。一国の総理が「伊勢神社」とはなんたることか。

追記
これ、ちょうど十年前になるんですが。
当時のH総理が「伊勢神社に参拝してきました」と言ってるのを聞いてひっくり返るくらい驚いて、だんだんに腹が立って書いた日記です。未曽有を「みぞうゆう」と読むのより桁違いに酷いと思ったんだけれど、全く話題に上らなかった。

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神道は宗教か?

2020年01月23日 | 神社
2009.12/31 (Thu)

 宗教というのは、「宗」(もと)の「教」(教え)、つまり、「根っこ或いは大本の考え方」です。

 「すべての元になる考え方」だから、これまで折々に身に着けてきた「物の考え方」と対立するかもしれません。そんな時はどうするか、というと、当然宗教の考え方を採らざるを得ません。「全ての元」になるものの考え方、だからです。
 「神は押しのけつつ抱きしめる」と言うのはそういうことです。

 対して、「信仰」という言葉は、全人格をあげて絶対的に他者(神仏)に頼ることであって、その場合、考え方(つまり、理解)は特に問題視されません。「自分」という「人格」はそのままで肯定されます。自らを投げ出すだけ、です。
 宗教はより高みに導くため「今ある人格」をも全否定するのが前提、と言ってもいいかもしれません。

 となると、「今の日本は危ない。貴方も早くめざめてほしい」と周り(知人、友人、肉親、全て)に働きかけることは、される側にしてみれば(勿論、大いなる思い違い、誤解なんですが)、今の自分を間違いなく否定されたということになってしまいます。
 絶対に何とかして分かってほしいという、こちらの気持ちは空回りして、「大きなお世話だ!」となる可能性大です。


 「目を覚ませ!」でなく日本の良さを態度、何気ない所作であらわす。それは周りの人が日本へ好感を持つきっかけになる。
 そうなると、小さな信仰心の芽が出るようにするには、何をしてみれば良いのだろう、となりませんか。
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十年一昔

2020年01月23日 | 重箱の隅
 十年一昔、と言いますが、あの人が今度は国賓待遇で来日するんですね。
あの時から、今後どうなるのか色々と予想されていましたが、大体予想通りになっているようです。国力が左前になる、というのもあの頃から言われてはいましたが、なかなか転覆とまでは・・・・。
 それどころかとにかく脅威そのものの面はさらに強まってきています。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2009.12/29 (Tue)

 12月29日付の朝日新聞に、天皇陛下がシナ国家副主席と会見(正確には格が違うので「会ってやる」、という意味の「引見」という言い方をするのだそうです)をされたことについて大きく記事が出ていました。
 社説のページで、社説以外、全面だから、朝日としては力を入れた特集、論文といったものなのでしょう。

 見出しは「天皇と政治 越えた一線」
 「問題は一ヶ月ルールの妥当性、陛下の健康、陛下の負担、などではない。宮内庁、外務省が、いったん決めたものを、そして、官邸もいったん了承しながら、直前に首相、官房長官が職務命令を出して、ひっくりかえしたことだ。」といった前書きがあって、
1、中立を守るのが内閣
「内閣が責任を負うというのは、内閣、党(与党)、の都合や政治判断で天皇を動かしても良いということではない」
2、陛下の御意思はどの国も変わりなく
「今上陛下は多数の国家元首を迎える時も着座の優先順位ができぬように丸テーブルにしたり、立ったままで一人ひとりと言葉を交わされる」
3、政権は外交への利用を自制すべき
「現陛下の、象徴としてのあり方を、というご意思から、各所の求めに積極的に応じて来たが、政治的思惑で利用すると、繊細な織物のような皇室の活動の一糸が乱れ、乱れは乱れを呼び、織物は台無しになってしまう」
こうまとめてありました。

 朝日新聞は二週間前のこの問題について、終始一貫してこの姿勢を採ってきているようです。

 「ああ、ややこしい。むずかしいんだなあ。皇室典範とか宮内庁の内規とかその上に、国事行為だとか会見?引見?。謁見、なんてのも聞いたような。分かってないとどうにもならない。」
 つい、そう思ってしまう。
 でも、政権与党の幹事長が、あとから訂正したとは言え、記者に向けて「憲法読んだ?何て書いてある?内閣の助言と承認が必要だと書いてあるでしょ?」なんて説教をする。
 其の場にいた記者の誰一人として、
「幹事長。あれは国事行為には該当しない筈ですが、、。」
と言わない。(言えなかったんでしょうね。あんまり怖そうだったから。テレビで見ててもコワかった。ビビッてしまった)  
 そして、一番詳しい宮内庁の長官と、内閣総理大臣、官房長官、誤認訂正後の幹事長が、それぞれ違ったことを、自説としてまた主張するんですよ。知識、分別能力の問題じゃない。

 考えてみれば、法律だって、解釈次第で随分と違った答えが出ますね。人気テレビ番組の「行列のできる~」などを見ればわかります。
 憲法だって「一番偉い」けど「法律」は「法律」です。その上に、降伏して主権のなかった日本に「これを検討しなさい」と英文の草稿が渡され、返答を急かされたものだった(これ、意外と知らない人、多いですよね)。
 そして、主権がないんだから、拒否はできないこと。それこそ占領軍の「助言と承認」がなければ何もできなかった中での日本国憲法成立です。

でも、
「天皇は日本の象徴であって、その存在は国民の総意に基く」
なんてのはけしからん、大日本帝国憲法の
「天皇は神聖にして侵すべからず」
が良いんだ、というのも、完璧ではないでしょう。
「日本の象徴~」も
「~神聖にして~」も
憲法に明記してあるということは、憲法に「規定」されるということで、その憲法は内実はおき、表向きには国民がつくったことになっています。つまり、理屈で言えば天皇陛下より国民の方が上ということになります。これはだから大日本帝国憲法だって同じこと。「天皇は神聖にして侵すべからず」と憲法に明記された時点で憲法に規定されているということになります。
(だから、憲法から皇室、天皇陛下を考えると、どうしても、不敬、失礼がでてきます。)

 さて、やっと、また初めの方、
「ああ、ややこしい」
に戻るわけですが、これは(大概のことはそうなんだけれど)知識、教養のある人だけが議論することじゃない。
 我々みんなの大問題なんだから、みんなが議論しなけりゃならない。
そして、実は、議論するのに知識、教養は、あまり関係がない、と言いたいんです。
 「思いやる」、もっと即物的に言えば「類推」すれば、本筋ははずさない
のではないか、と思うのです。
 今日のことで言えば、「天皇陛下には人権がない。人としての全ての「権利」というものが、天皇陛下には、ない」
これだけ知っていたら、後はそんなに問題は難しくないのではないか。

 「人としての権利が何一つないのに、常に国のため、国民のために、と神を祀り、国、国民のいやさか(いやさかえ)に栄えることを祈る。世界中の全ての国に常に平等に、又、公平に接する。公平無私の存在」。

自身と、ほんのちょっとでも比べて、自身を振り返ってみたら、その間のあまりにもの距離に驚くしかないのでは?

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すり替えてない?

2020年01月23日 | 重箱の隅
2010.01/26 (Tue)

 帰化人と渡来人。
 昔、学校では
「大陸から朝鮮半島を渡って、文字や文化が伝えられた」
と習いました。
 「文字、文化を伝えた人々は、そのまま日本に定住したので、彼等を帰化人と言う」、と。

 大人になって、何かの拍子に「帰化人」と言ったら、
「帰化というのは、『その土地に同化する』ということで、レベルの低い者がレベルの高い者に付くということをあらわす言い方だから、差別的で良くない」
と言われました。
 「どう言ったらいいんです?」と聞くと、
「海を越えるなどしてやって来たんだから、渡来人と言うのが普通だ」
というのが回答。

 そりゃ、そうですね。日本の場合、何でも海を越えてやってくるのが普通です。文字から始まって、建築術、仏教、儒教、音楽、絵画。(絵なんか、聖徳太子の肖像画と言われている、あの有名な絵とそっくりな三人の立像画が、韓国でしたっけ?古墳の壁画かなんかに、にあったとか。テレビで見た時はびっくりしました)
 礼式作法などもそうだ、と言いますね。

 何だか、こうやって書いていると、
「そうか。日本には何もなかったんだな。何もなかったんだから色々輸入せざるを得なかったんだ。未開の野蛮な土地だったんだ、やっぱり。帰化人、なんて偉そうな言い方しちゃいけないんだ。渡来して、住みついて下さった、渡来人さまのおかげ、と思わなくちゃいけないのかな」
なんて思いにとらわれてしまう。

 でも、さにあらず、ですよ。ここです。日本人の特性。
 良く言えば謙虚な性格。悪く言えばあきれるほどの人の良さ。
 この特性の上に、日教組の親ソ、親中教育の結果はぐくまれた感性が、あるんです。

 冷静になってみると、何だか変でしょう?
 別に「なかったから輸入する」とは限らない。
 いや逆に、なかったら「自分の理解能力を越えている」から不安を感じて入手しないものです。
 手に入れようとするのは、「それに何らかの価値を見出したから」であって、「自分の持っている物が劣っているから、それと交換(持っている物を捨てる)する」、ことではないんです。
 
 ややこしい。簡単に言えば、
「優れているから輸入する、とは限らない」

 建築術が伝わる前、日本人は洞穴にすんでいたんでしょうか。
 古代神道の概念があったからこそ、仏教は対立しながらも、ついには天皇までが信仰するところまで根付いたのではないでしょうか。

 目的は同じでも外見が違う。その「違うところから、何かを見出せる」かもしれない。そして、少なくとも、「わたってきた物は優れているような」気がする。
 これが島国日本の基本です。我儘なところがかけらもない。謙虚でしょう?相手に対して疑いの念なんてちっとも持たない。(大体が、疑って己の理解能力でやっとこさ納得して受け入れる、というのが、一番詐欺に遭いやすい。)

 しかし、外見の違うものを入手したあと、日本人は驚くべき速さでそれを改良し、実用化します。更に入手したものの、不要となったら、これまた実にあっさりと捨ててしまいます。
 渡来人が、色々な有形無形のものを持って来るのは、日本では当たり前のことなんです。
 「持って来てやる」、ではない。ただ、「持って来る」んです。
 そして、彼らはみんな日本人に「化る(なる)」んです。彼らは劣っているわけではありません。上から目線で日本を見下しているわけでもありません。望郷の念に駆られながらでも、日本に住んだ。
 つまり、彼等も我々の先祖であり、結局は日本人なんです。
 
 「帰化」の「帰」は、「帰る、元に戻る」の意味で、「化」は「変化して成る
、成立する」の意味ですから、実は「帰化」の語句に「レベルの低い者が云々」という上下の概念なんてないんです。

 「こんなところからも、巧みな感性の操作が行われたんだ」
などと言うから
「右翼は思い込みが激しい」とか
「陰謀説ばかり」と
似非左翼に突っ込まれるんですが、彼等(似非左翼)は、自身、そうやって言葉の本来の意味を考えようともせず、感じだけ、雰囲気だけで、言葉を遣い、教育をしてきた(されてきた)。
 「参政権がほしかったら、帰化すればよい」と言うと、「無理矢理つれてこられた」だとか「国籍が変ることを祖父母が悲しむから」とか言います。
 でも、こんな欺瞞的な発言より、参政権付与に肯定的な人々の意見を聞くべきです。
 難しいことを言っていても、実は「帰化」という言葉一つに、ネガティブなイメージ(帰化するのは劣等な人々)を持っていて、「遣いたくない」と無意識に行動していないか。

 どちらかといえば学業優秀、素直で常識的な考えの持ち主。修羅場をくぐりぬけたわけではない、かと言って「生きるとは何か」と長いこと悩みぬいたわけでもない人。これが日本人の大半です。洗脳なんかじゃない。
 こんなに人の良い民族を
「日本は駄目な国、悪いことをした国、周辺の国々を苦しめたひどい国」
と昭和20年から言い続け、27年以降も約束どおり言い続けた結果が、今、です。


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「あり得ないよ」

2020年01月23日 | 重箱の隅
もう八年も前になりますが、NHKの日曜大河ドラマ「平清盛」。
散々な悪評だったけれど、もう話題に上ることもなくなりました。
リアルさを追求したということでしたが、リアルさよりも小汚さ、妙な歴史解釈、聞き慣れない言葉ばかりが目立っていました。
「そう言えば・・・・」と思い出される方も多いのではないでしょうか。皇室、皇族について何度か日記を書いてきたので、そのころ書いた日記を挙げておこうと思います。
・・・・・・・・・・・・・・・
2012.01/27 (Fri)

 「王家」、かあ・・・・。「王家」、ねえ・・・・・・。
 間違った言い方ではないけど・・・・。

 実際の平安期~鎌倉期「天皇」とか「皇室」という文字は古文書にはほとんど見られず、確かにあるのは「王」とか「王家」の文字。北畠親房の「神皇正統記」なんてのはあるけど。
 なのに、「王家」と聞くと、「天皇家」と聞くこと以上に嫌~な気分になるのは何故なんでしょうね。
 王と言えば国王。国王と言えば、皇帝の家来で、「国という地域に封ぜられた者」ということだから、何だか他の国と一並びで、「漢族皇帝」の家来みたいに見える(感じる)からでしょうねえ、きっと。

 あ、それらしい理由がひとつあった。
 「誰がその言葉を口にするか」ということがあります。
 嫌いな人が言えば、嫌な雰囲気が漂う。
 同じように「カッコいいね」と言われても、見るからに虫酸がはしるような人物に言われたら、端から皮肉か嫌味にしか聞こえないのと同じです。

 先日、NHKの「平清盛」の関連で、「あの」東大准教授(「王家というのは普通のこと」と言った人)の顔を見て、「あ、嫌いな顔だ」と思ったもの。
 「顔立ちが」、ではないですよ、「顔つきが」、ですよ。
 顔つき、見りゃ、大体その人の性格が見えるでしょう?
 あ、いやいや、もっと大事なことがあった。
 と言うより、相乗作用になることがあった。

 「王家」とか、「王」とかいうのは、書き言葉としては用いられても、話し言葉としては遣われなかった、と考えるべきじゃないでしょうか。
 勿論、だから、普通は発音しない。つまり、「口にしない」。
 何故?簡単な理由です。
 「畏れ多い」から、です。

 そうじゃありませんか?「大王」と書いて「だいおう」と発音していたでしょうか。
 あの大伴家持の歌、「海行かば」には「おおきみの辺にこそ死なめ」、とありました。文字は「大君」とも当てるし「大王」とも当てる。
 けど、「きみ」、であって「わう(おう)」ではない。
 書き記す時、「君」と書いたとしたら、貴人全てを指す言葉です。貴族も皇族もない。古来からの言葉では全て「きみ」。
 だから、皇族に関しては(特に天皇に関しては)「おおきみ」と言っただけです。
 護良「親王」のように、「~王」という言い方はあったでしょうが、まず口にすることはなかったろうし、「~王家」という話ことばが口にされること自体がなかった、と考えるのが妥当でしょう。
 「おおきみ」は「宮」におわすから、「家」は、ない。今だって、「~の宮」と言うでしょう?

 全く違う例えだけれど、ユダヤ教の「神」は「エホバ」と言いますが、本当は「YHWH(JHVH)」でした。発音できません。「口にするのも畏れ多い」から、です。大事なものは洋の東西を問わず、口に出さない。
 あえて口にするのは、言霊の力を発揮して欲しい時だけです。

 だから、日本では「王」などとは言わない。どうしてもという時には、「みかど」、でした。「帝」と当てるからややこしいのですが、「みかど」は「宮門」。宮の入り口の門、だと言われています。「みかど」と言えば天皇(おおきみ)のことだった。
 「門」が「天皇」、ではありませんよ。「宮」と言うのも畏れ多いから、と敢えて「門(みかど)」と言ったのです。

 それくらい「畏れ多い」と敬っている者が、「王家が~」と普段に喋るでしょうか。そんなことはあり得ない。
 それを敢えて(?)劇中の科白やナレーションに使う。そして、いかにも薄汚れた建物と何とも汚らしい垢まみれの扮装の演者。
 そういう環境で、「王が~」「王家が~」「王の犬が」なんて科白をまくしたてられたら、そりゃあ確かに平静に聞いて居られる方がおかしい。

 手紙を出す時、「様」が一般的ですが、畏まった時は「殿」と書きます。
 「殿」は床の高い建物です。そんな偉い人に手紙を出す。だから「殿」は尊称。これが更に(本当に)偉い人だったら、「殿」に直接、は憚られるので、「殿」の下に出します。ということで「殿下」になる。
 役所などの、大きな平屋の建物の主になら、「閣」下。
 陛(きざはし・階段)があるようなところと言えば、神社がそうですが、床下に家が入るほど床が高いので階段も多い。勿論、天皇「陛」下。
 上司になら机の下、「~机下」、なんて書いてたそうです。

 「王」、「王家」というのは文書にある。だけど、普段に武士が問題意識を持って、口にするようなことはあり得ない。
 平安末期には、板葺き、或いは藁葺きの家が一般的だった。だからと言って武士が乞食のような汚れ放題の汚い格好をしていた、ということにはならない。
 あれだけの武器、武具をつくり、身につけて戦った者が、普段の生活は犬以下? 常人の神経なら、あんな汚らしい生活をするわけはないでしょう。

 ということで、「王家」という言葉が普段に口の端にのぼる?あり得ないでしょう。

 忘れていました。
 戊辰戦争の頃、新政府軍の武士は天皇陛下のことを文書で「玉(ぎょく)」と書き、「玉を取る」とか、「玉を取られたら~」とかいう表現をしているそうです。
 それで、「だから新政府軍は革命と自覚し、天皇を将棋の駒のように思っていたのではないか」という研究がなされたそうです。
 それに対し、海音寺潮五郎氏は
 「当時の武士は尊王の念篤く、そんな態度を取るわけがない。『玉』と書いたのは『王』と書くのがあまりにも畏れ多いからだ、ということすら(今の学者は)分からんのか!」
と大変立腹して反論を挙げたといいます。
 歴史から筋道、論理を見出そうとするならば、海音寺氏の反論は全く筋の通ったことと首肯できるものです。

 今回の「王」、「王家」の遣い方、相当に無理がある。
 やはり意図的なものを感じる、というのは、自然なことなんじゃないでしょうか。
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