CubとSRと

ただの日記

徒然に

2020年01月16日 | バイク 車 ツーリング
2016.11/11 (Fri)

 今日は11月11日で「ポッキーの日」なんだそうだが、当然のこと、ポッキーは買ってない。
 
 信じられないくらいの好い天気で、どうにも我慢ができず、二時を回ってから外に出ようとした。
 なのに、準備万端整えて出ると、何故か急に曇ってきた。それでも、出る。
 今日こじつけた目的は「常盤堂製菓の駄菓子を買うこと」。

 住んでいる町は東西にバス道(幹線道路)が走っている。勤めている時はいつもこの道をバイクで通っていた。
 真正面から日が昇り、帰宅時には正面に落日を見ながら帰る。その道が銀杏並木だ。この時期になると朝日を受けて逆光に、帰宅時には夕陽に透かされて金色に銀杏並木が輝く。
 
 仕事を終えて帰ってくるとき、何も気がかりなことがなければ、この金色の並木道を通りながら「本当に良いところに引っ越してきたなあ」といつも思っていた。
 普段は六甲山の西側の尾根で、風の通り道。決して穏やかな環境ではないのに。

 風は大概西から吹く。それに併せて雲も西側から流れてくる。六甲の端、標高400メートルの山の尾根は風の通り道であり、雲の通り道だ。だから雨上がりはずっと雲の中、霧の中、だ。
 それが晩秋のこの一時期だけは、「なんでこの山の上にこんな美しいところをつくったんだろう」と、いつも思わせてくれる。

 さらにもう一つ、少し離れたところに緩やかなカーブを描く銀杏並木がある。これを過ぎれば郊外になり、その先には日記にも何度か書いた、車やバイクが集まる、ダムへと続く道がある。

 「我慢ができなかったのはこの道のせいだな」
 、とダム沿いを走りながら思った。
 いつもの、その溜まり場に入り、すぐUターンして帰る。予定通り駄菓子を買って帰路に就く。
 目的地の生協に着くのに、十数倍の遠回りをしたことになる。

 でも、駄菓子を買いに直行するのなら、当然金色に輝く銀杏並木は見られなかったわけだし、しんと静まり返ったダム湖沿いの道を走ることもなかった。

 効率やら合理性やら、と喧しいことだけれど、その発想の薄っぺらなことを実感すれば、まず言えないことだ。
 朝(あした)に三千、夕(ゆうべ)に八千、馬鹿みたいに立木(たてき)を打つ。
 そこには「効率」とか「合理」とかいった軽薄な計算は、ない。
 しかしこのバカみたいなことこそが、何よりも効率的であり、合理的であるのだ、とこの頃やっと感じ始めた。

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ええっ?これもぉ~っ?

2020年01月16日 | 重箱の隅
2014.03/19 (Wed)
 知らんかった・・・・・。
 さっき、偶然なんですけどね、あの
 「カムサハムニダ」。

 能く聞く言葉だけど意味を知ろうという気もなく今日まで生きてきました。
 ちょっと大袈裟ですか?
 で、まあ、この「カムサハムニダ」が、「ありがとうございます」と言う意味だと書いてあったのを見て「ふんふん。なるほどね」となったのは良いんですが。

 読み進んでいくうちに「カムサ(感謝)・ハム(する)・ニダ」と書かれていることに行き当たった。
 「???・・・・えっ!何だってぇ~~?」
 びっくりしました。皆さん知ってました?
 だって「カムサ」、って「感謝」、の訛りですよ?「カンシャ、カンサ、カムサ…バンザ~イ」じゃないですか。

 他のところを見ると、
 「感謝の概念がなかったところに日本から持ち込まれ、日常語となった」
 とまで書いてある。
 こりゃ面白いと思って「ニダ」を調べようとしたら、こちらは
 「ニダ→~です」と書いてある。
 おいおい。ちょっとちょっと。それ丁寧語でしょう?
 「ニダ」は、「のだ」、じゃないのか?
 「感謝するのだ」・・・・バカボンのパパか。

 以前に沖縄方言の「うみんちゅ」を、漢字で「海人」と書くのは間違いであって、正しくは「海(の)衆」と書くべきだし、「ちゅらうみ」を「美ら海」と書くのもおかしい、「清ら海」でなければ変だ、と書いたことがあります。
 (御嶽を「うたき」と言うのも「おんたけ」→「うㇺたキ」、でしょう?御嶽・御岳は「神の坐(いま)すところ」の意味ですから)

 「カムサハムニダ」。
 いかにも昔からの朝鮮語、みたいに思っていたけど、意味を知ってみると、確かに儒教にはない「感謝」の語を日常的に使うなんてこと、どう考えてもおかしいんですよね。発音できないのに存在する言葉なんて、普段は使わない「YHWH」くらいなもんでしょう。
 ホントに、能く能く考えなけりゃならないことばかり。
 実に、「歴史を直視しなきゃ」なりません。日本に命令してる場合じゃない。
 ついでに「チョッパリ」、を「豚足野郎!」と訳すのもいい加減です。「チョッパリ」の「チョ」って豚じゃなくて猪ですよね。勿論、シナに倣って「豚」のことを「猪」と書くからなんでしょうけどね。
 当然、「鼻緒のある履物のせいで親指が離れているから」、なんて説明は間違いですよ。足袋を見て奇異に思ったが故の「蹄があるみたいだ」という揶揄表現です。とても低度、幼稚な発想、と言って置きましょうか。

 昔、イギリス人が清の役人の辮髪をつまみ、からかって
 「こんなもの、何の意味があるんだ」
 と言ったんだそうです、勿論英語で。
 シナ人が英語なんか分かるわけないだろうから、と安心してですよ。どこの国にもヤな奴は、いるもんですね、端から相手を見下すのが。
 そしたら、この役人、笑顔でイギリス人のネクタイをつまんで、
 「こんなもの、何の意味があるのかね?」
 と流暢な英語で言い返したんだそうです。

 英国人、驚いて目を白黒させて何も言えなかった。
 そりゃそうでしょう、散々英語で言いたいこと言ってたのを、この役人、ニコニコして聞いてただけだったんだから。
 悪口言ってたのをみんな知ってて、黙ってたんですね、人が悪い。
 でも、こんな役人、今のあの国には居ないんでしょうね。

 大脱線でした。

 漢字で書きゃ良いものを、どうでも「訓民正音」(諺文って言うのは蔑称だそうだから)だけで書こうとするものだからややこしくなる。
 この清の役人のように、全て知った上で朝鮮人が
 「カムサハムニダ」
 と素知らぬ顔で生きようとすれば、日本人は
 「さすが!高麗の末裔!」
 と、尊敬しますよ。少なくとも一目置きます。

  今みたいに「尊敬しろ!」って無理強いされたって、金輪際しませんけどね。 

追記
 「鼻緒」ってのは、本来は「鼻」ではなく、「先端」を意味する「端(はな)緒」のことだったんでしょう。とは言っても、ずいぶん昔から「端(はな)」のことを「鼻」と書くようになってますけど。(例えば、「長崎鼻」って地名、ありますよね)
 ついでに。「橋」は今、「地面の端ともう一方の端をつなぐ建造物」のことを指しますが、これだって本来はただ、「端」を意味する言葉です。
 建造物は「建て」なければ。
 それで、「天の橋立」なんて言葉が生まれる。
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恥ずかしながら

2020年01月16日 | 神社
2017.08/22 (Tue)

 僅か七年前、靖國神社・護国神社に参拝することにためらいがありました。

 勿論「靖國神社にはA級戦犯が合祀されているから」、などというふざけた理由からではありません。そんなものは存在しない。
 しかし、「家族・一族に戦死者がいないのに参拝する、というのは見ず知らずの他人が葬式や法事に行くようなもので、それは遺族に対して失礼なのではないか」。
 そう考えていました。五十歩百歩、ですね。
 五十も半ばを過ぎていたけれど、そんな浅墓なことしか考えてなかった。今思い出しても、冷や汗三斗、です。
 本当なら、その正反対で「家族・一族でもないのに、顔を見たこともない、まだ生まれて来てもいない我々を命を懸けて守ってくださった。そのことに感謝し、今度は我々が後生を守る、と誓い(明かし)に参拝すべきだ」、となる筈です。

 そんな時に「夕刻の備忘録」氏の文を読んで、考え違いに気づかされ、次のような短い日記を書きました。
 ↓
・・・・・・・
 「連絡事項」

 「大家と言えば親も同然」と同じではありませんが、「靖国神社崇敬奉賛会」に入会することにしました。
 譬えは適切ではないけれど、「貧者の一灯」になるかもしれないから。

         2010年01月16日

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 正直なところ、それでも半分くらいしか分かってなかったんじゃないかな、と思います。「分かる(理解)」ではなく、「感じ取れる」ようになってきたかも、となったのはもっと後です。
 おそらくは備忘録氏が、「産経抄」の文を採り上げて厳しく糾弾され、私もその産経の記事に「?」と思った時から、でしょう。
(産経の記事、転載)
 ↓
▼「菅さんの権力に対する執着心が、自身の再生エネルギーになっている」と渡辺喜美・みんなの党代表はうまいことを言うが、それほどまでに延命したいのなら抄子が知恵をお貸ししよう。
 霊験あらたかで効果抜群の妙案を。
▼最近の歴代首相は、さきの大戦で亡くなった人々を悼むため6月23日の沖縄を皮切りに広島、長崎を巡り、8月15日の全国戦没者追悼式に参列するのが常である。
 これに靖国神社参拝を加えればいいだけの話である。
▼国のために命を捧げた兵士の霊に首相が頭を垂れるのは、どの国でも当たり前の話である。
 毎年参拝した小泉純一郎首相が5年の長期政権を全うし、参拝しなかった首相が、いずれも短命に終わっているのは偶然ではない。
 ひとたび首相が参拝すれば、支持率はアップし、政権延命は間違いない。
                        (2011.6.25 02:35)

 ・・・・・・・・・・
 (ここから「夕刻の備忘録」本文)
 産経は靖國問題をオモチャにしているのだ。
 この記事を書いた人間の品性の下劣さは譬えようもない。靖國参拝が「霊験あらたかで効果抜群」の延命策だとハッキリ書いている。
 本気なら許せない、冗談ならなお許せない。この程度の認識で、自民党歴代総理の靖國参拝問題を論じ、様々な批判を書き連ねて自民党支持率の低下に貢献してきたのが、彼等の正体だということになる。
 よくもまあ、「靖國に行けば支持率アップで延命間違いない」などと書けたものである
 (中略)
 靖國問題における対応においても、麻生太郎は一つの模範を示した。参拝云々を無力化させることに尽力した。
 これは安倍晋三の「曖昧戦法」と同様の効果があった。
 麻生の靖國に対する思いは、その著作に存分に書かれている。
 そして、その任期中にマスコミに対して最も激しい怒りを示したのは、靖國参拝を云々したぶら下がり取材であったことも忘れてはならない。
 その時に吐き捨てるように言った言葉が、全てを表している。
 「靖國は静かに祈る場所であり、政治から最も遠くにあるべき場所である」と。

 次は2013.03.26の氏のブログからです。
 ↓
 「靖國参拝問題」で自称「保守派」から、政治家に向けて繰り返し発せられる言葉は、「国家を護るために命を捨てた英霊に対し、国民の代表として敬意を表し参拝するのは当然の義務である」というものである。
 そこでこちらも繰り返しになるが、靖國参拝問題は政治問題ではなく、国民の心の問題であり、これに「国民の代表」などという代理人は無用である、と強く主張したい。
 敬意を表し参拝するのが当たり前なのは、我々国民であって、政治家はその後ろに続く存在にすぎない。国民主権を声高に言うなら、これは国民がまさに先頭に立つべき大問題であり、政治家は主役ではないのである。
          (略)
 ここには、現代の批評病の影は全く無い。色々と考えて、政府の対応を批判して、是々非々に論じて、あれはダメ、これはOKと区別して、それから漸く腰を上げたのではない。
 そんなことをしていては、政権が弱くなる。国家が弱体化する。内部分裂を毛ほどでも匂わせれば、他国はより露骨に入り込んでくる。それが分かっているから、(英霊となられた諸先輩は)全てを飲み込んで行動されたのである。

 今、我が国は危機にある。この危機に際して、政府の大方針に賛成だ反対だと騒いでいる暇は無い。
 無能政府は既に倒した。これも繰り返し論じてきたことであるが、批判がしたいなら小声ですればいい。
 間違っても「国論を二分する」などと形容されるような手法を採るべきではない。それはそのまま日本の危機をより深刻化させるからである。

 また平和な時が来れば、思う存分に議論を戦わせればいいだろう。今は国民の団結心を見せる時である。
 その団結心の強さ、深さを相手に見せることが出来れば、戦争は回避出来る。もし、安物の議論に溺れて、国内が分裂していると思われれば、敵はその瞬間に攻め込んで来るだろう。
 この辺りの機微を、どれだけの国民が理解することが出来るか。それが全てを決することになるだろう。

 「秘すれば花」は芸術論ではない。
 我々日本人の生き方の指針である。
 無言が雄弁に遙かに勝ることを教えた先人の遺訓である。
 その生き方に徹することが出来れば、日本は護られる。
 それを侮れば、直ちに日本は消え失せる。

                     (以下略)
      ~夕刻の備忘録~
             靖國と「秘すれば花」より
 2013.03.26
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 「秘すれば花」のもとは
 「千万の軍なりとも言揚げせず取りて来ぬべき男ぞと思ふ」
 どれだけの敵であろうとも無駄なことを言わず、全て討ち取って切り伏せてくる男。
 「葦原の水穂(瑞穂)の国は神ながら言揚げせぬ国」
 我が日本は神代の昔から、言い立てたり言い募ったりしないで、思い(言霊)のままに生きる国。
 言霊の幸合ふ国だから、言霊の霊威を尊び、軽々に言葉を多用して言い立てたり言い募ったりしない。正しい言葉のままに行動すれば思いは現実のものになる。

 最後にもう一度。
 《敬意を表し参拝するのが当たり前なのは、我々国民であって、政治家はその後ろに続く存在にすぎない。国民主権を声高に言うなら、これは国民がまさに先頭に立つべき大問題であり、政治家は主役ではないのである。》

 「議員や閣僚は参拝するな」と言っているのではありません。
 この参拝に「義務」とか「責任」とかいうことを声高に唱えることがおかしいというのです。言挙げするものではあるまい、と。
 国民として当たり前のこと、或いはやむに已まれず参拝するのが本当ではないでしょうか。

 議員や閣僚以前に「一国民として参拝する」、という至極当たり前の光景が展開されることになる。
 これ(国民各人が事由に参拝すること)は他国がとやかく言う筋合いのものではありません。
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単一民族

2020年01月16日 | 神社
2010.02/01 (Mon)

 「日本は単一民族の国」と発言したら、
「アイヌ人は日本人じゃない!事実誤認だ!」とやられ、さらに
「沖縄だって、ずっと琉球王国だったのを薩摩が武力統治したんじゃないか!」というのまで入って、えらい目に合わされた国会議員がいましたね。

 「旧土人法」というのがあって風俗、習慣の違うこれらの人々を普通の日本文化になじませようとの努力がなされました。
 もっとも、これは朝鮮人にやったことと同じくアイヌ人にとっては大きなお世話だったと思います。
 保護(事実、保護といえば、保護です。感じ方は別にして)の内容は、生活習慣を日本人と同じにする。狩猟採集、移動の生活をやめ、定住する。日本風に名前をつけ、定職を持つ。文字を持たないから、日本語を教える。などです。

 名前が変り、生活習慣を根本から変え、文字を読み書きするうちに、アイヌ語は忘れ去られていきます。生活習慣を変え定住することによって、アイヌ人のアイデンティティ-がぼやけていきます。
 「我々はアイヌ民族だ。日本人ではない」との主張がやっと認められ、「北海道旧土人法」が廃止になったのは、1997年のことです。明治からの法律がやっと十数年前、アイヌ人の血を持つ国会議員の奔走でやっとなくなったのです。

 ところで、富士山を祭る神社の名前を御存知ですか?
 「富士浅間神社(ふじせんげんじんじゃ)」ですね。同じ名前の山が長野県にあります。
 「浅間山」。「浅間神社」の「せんげん」は音読みですが本来訓読みで「浅間」と表記したのです。だから、本当は「あさま神社」。けれど、富士山と浅間山は同じものではありません。
 伊勢神宮の御神領地に「朝熊山」があります。「あさまやま」と読みます。「あさま」というのはアイヌ語で「むこうのやま」という意味なのだそうです。(ついでながら神戸から西ノ宮にかけて広がる「むこうのやま」に字をあてて、「六甲山」。これは紛れもなく日本語です。武庫も「向こう」の当て字。兵庫と武庫は関係ない。)
 つまり、我々の知るアイヌ人は「千島アイヌ」「樺太アイヌ」と北海道の蝦夷と呼ばれた人々なんですが、古代は富士山、浅間山どころか伊勢神宮の辺り(三重県)にも居住していたことになります。
 それが、我々の先祖、大和民族が段々に勢力を伸ばして来たため、対立はしなかったものの、アイヌ人は移動して遂には海を越え、北海道に渡った。ということなんだそうです。

 「追いやられたちょっと気の毒な民族」という感じで、長い間捉えていましたが、どうもそんなものではないらしい、と思い始めたのは北海道ツーリングで網走に行き、私立の先住民博物館を見てからでした。
 ここには、昔オロッコ(オロチョン)族が居住していた。そこへアイヌ民族がやって来たため、彼らは列島沿いに大陸へ渡り、遂にはロシア(モスクワ)に程近い土地に住むことになったそうです。
 オロッコ族が居て、アイヌ人が来て、和人が来た。この小さな島国の中でも、これだけの変化がある。これが、単一民族と言われてもさほど不自然でない、由緒正しい、と言えば世界最古と言ってもいい日本です。(最近の研究では、北海道アイヌ以前から和人がいた形跡もある、とか。)

 隣の半島国なんかは、戦さがないのが不思議なくらい。占領されてない時期のあることが不思議なくらい。さらに隣の人口十数億と言われる超大国は、殷の昔は小さな国ですよ。とても今みたいに尊大に「大中華」なんて言えませんよ。
 それが、周となると大きくなり、大きくなると分裂し、戦国時代に入って、また統一される。
 戦いに敗れた人々は南の方に逃れ少数民族となる。大きくなった国は国防に金をかけ過ぎ、貧しさから叛乱が起り、滅びる。今度は近隣の国が隙ありっとばかりに侵入、まとめあげる。
 纏め上げたら政治が腐敗し、また内乱が起り、ドサクサにまぎれてまた、攻め込まれる。この国の怖いところは内乱が起き、滅びる度に周囲を侵食するということ。今、チベットとウィグルです。
 ということは、次は間違いなし、日本と台湾ですよ。
 脱線したまま終わります。


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