2016.11/11 (Fri)
今日は11月11日で「ポッキーの日」なんだそうだが、当然のこと、ポッキーは買ってない。
信じられないくらいの好い天気で、どうにも我慢ができず、二時を回ってから外に出ようとした。
なのに、準備万端整えて出ると、何故か急に曇ってきた。それでも、出る。
今日こじつけた目的は「常盤堂製菓の駄菓子を買うこと」。
住んでいる町は東西にバス道(幹線道路)が走っている。勤めている時はいつもこの道をバイクで通っていた。
真正面から日が昇り、帰宅時には正面に落日を見ながら帰る。その道が銀杏並木だ。この時期になると朝日を受けて逆光に、帰宅時には夕陽に透かされて金色に銀杏並木が輝く。
仕事を終えて帰ってくるとき、何も気がかりなことがなければ、この金色の並木道を通りながら「本当に良いところに引っ越してきたなあ」といつも思っていた。
普段は六甲山の西側の尾根で、風の通り道。決して穏やかな環境ではないのに。
風は大概西から吹く。それに併せて雲も西側から流れてくる。六甲の端、標高400メートルの山の尾根は風の通り道であり、雲の通り道だ。だから雨上がりはずっと雲の中、霧の中、だ。
それが晩秋のこの一時期だけは、「なんでこの山の上にこんな美しいところをつくったんだろう」と、いつも思わせてくれる。
さらにもう一つ、少し離れたところに緩やかなカーブを描く銀杏並木がある。これを過ぎれば郊外になり、その先には日記にも何度か書いた、車やバイクが集まる、ダムへと続く道がある。
「我慢ができなかったのはこの道のせいだな」
、とダム沿いを走りながら思った。
いつもの、その溜まり場に入り、すぐUターンして帰る。予定通り駄菓子を買って帰路に就く。
目的地の生協に着くのに、十数倍の遠回りをしたことになる。
でも、駄菓子を買いに直行するのなら、当然金色に輝く銀杏並木は見られなかったわけだし、しんと静まり返ったダム湖沿いの道を走ることもなかった。
効率やら合理性やら、と喧しいことだけれど、その発想の薄っぺらなことを実感すれば、まず言えないことだ。
朝(あした)に三千、夕(ゆうべ)に八千、馬鹿みたいに立木(たてき)を打つ。
そこには「効率」とか「合理」とかいった軽薄な計算は、ない。
しかしこのバカみたいなことこそが、何よりも効率的であり、合理的であるのだ、とこの頃やっと感じ始めた。
今日は11月11日で「ポッキーの日」なんだそうだが、当然のこと、ポッキーは買ってない。
信じられないくらいの好い天気で、どうにも我慢ができず、二時を回ってから外に出ようとした。
なのに、準備万端整えて出ると、何故か急に曇ってきた。それでも、出る。
今日こじつけた目的は「常盤堂製菓の駄菓子を買うこと」。
住んでいる町は東西にバス道(幹線道路)が走っている。勤めている時はいつもこの道をバイクで通っていた。
真正面から日が昇り、帰宅時には正面に落日を見ながら帰る。その道が銀杏並木だ。この時期になると朝日を受けて逆光に、帰宅時には夕陽に透かされて金色に銀杏並木が輝く。
仕事を終えて帰ってくるとき、何も気がかりなことがなければ、この金色の並木道を通りながら「本当に良いところに引っ越してきたなあ」といつも思っていた。
普段は六甲山の西側の尾根で、風の通り道。決して穏やかな環境ではないのに。
風は大概西から吹く。それに併せて雲も西側から流れてくる。六甲の端、標高400メートルの山の尾根は風の通り道であり、雲の通り道だ。だから雨上がりはずっと雲の中、霧の中、だ。
それが晩秋のこの一時期だけは、「なんでこの山の上にこんな美しいところをつくったんだろう」と、いつも思わせてくれる。
さらにもう一つ、少し離れたところに緩やかなカーブを描く銀杏並木がある。これを過ぎれば郊外になり、その先には日記にも何度か書いた、車やバイクが集まる、ダムへと続く道がある。
「我慢ができなかったのはこの道のせいだな」
、とダム沿いを走りながら思った。
いつもの、その溜まり場に入り、すぐUターンして帰る。予定通り駄菓子を買って帰路に就く。
目的地の生協に着くのに、十数倍の遠回りをしたことになる。
でも、駄菓子を買いに直行するのなら、当然金色に輝く銀杏並木は見られなかったわけだし、しんと静まり返ったダム湖沿いの道を走ることもなかった。
効率やら合理性やら、と喧しいことだけれど、その発想の薄っぺらなことを実感すれば、まず言えないことだ。
朝(あした)に三千、夕(ゆうべ)に八千、馬鹿みたいに立木(たてき)を打つ。
そこには「効率」とか「合理」とかいった軽薄な計算は、ない。
しかしこのバカみたいなことこそが、何よりも効率的であり、合理的であるのだ、とこの頃やっと感じ始めた。