CubとSRと

ただの日記

日中交流武術演武大会

2020年01月26日 | 心の持ち様
2010.01/27 (Wed)

 もう、20年以上前になりますが、日本武道館で古武道演武大会がありました。

 この古武道演武大会というのは、毎年2月に行うということで、始まったものですが、普段ならまず見ることのできない、全国各地に伝承されている古武術が東京で見られる、と一回目は大変な盛況でした。

 当時、まだ市販されて間もないビデオカメラとそのための大きなバッテリーを引っ張って会場を歩く外人が居たのには驚かされました。一目で、何らかの武術を習いにやって来たのだと判りました。

 最初はそうでした。
 でも、殆どの流儀が、型稽古です。演武も殆どが「型」です。素人相手にウケ狙い、という気持ちはこれっぽっちもない人ばかりです。

 毎年繰り返される同じ演武に、観客はすぐに減っていき、関係者だけの年に一度の発表会、みたいになっていきました。

 別にそれでもいいのです。見せたいからやっているのじゃない。
 人前で演武をする、それによって普段には感じることのできない緊張感を味わう。これは型稽古しかやらない古武術には、貴重な稽古のひとつなのですから。
 また、これを励みに高齢の術者が、後進を育て、流儀の廃絶を阻止しようとする。
 この演武大会は武道館を母体とする古武道協会のGJ。

 でも、やっぱり、あの広い武道館、観客席ががら~んとしているのは寂しいものです。

 そんな時に「日中交流武術演武大会」が行われることになりました。その年だけの特別版、ということになります。

 日本の方はいつも通りの古武術の重鎮、全国的に名の知られている流儀と、斯界では知らぬ人のない武術家の面々。

 来日する中国(ここはシナとは言えませんね)の武術家は、というと、今でも名前を覚えていますが、これまた、当時の中国武術界の最高レベル。陳家の有名なおばあさん、それから、陳小旺、形意拳の何福生、若い所では少林長拳の李志州。そして、八極拳の馬賢達。
 南派拳術、北派拳術、硬気功から短兵(短い武器)、長兵(槍、棍)、対打(約束組み手)と、まあとにかく見た目も派手で観客も大喜び。

 観客もこの回は一体どうしたことかと思うくらいの人数。アリーナ席とか言ってましたが、いつもなら同じ料金なのに随分高かったことを覚えています。
 雰囲気も、いつもとは違ってました。
 この演武大会は、いかにも田舎から出てきましたといった感じの、ジャンパーやよれよれの背広の人ばかりなのですが、この回はどうしたことか、何だか若々しい。それもそのはず、デートスポットになったのかと思うくらい若い男女の二人連れが多いのです。
 それだけ、当時の中国武術ブームはすごかったんでしょう。

 NHKの解説席には有名な松田隆智、隣に、何となく場違いな感じのする華やかな雰囲気の女性。後で、由美かおるだとわかりましたが。

 地味な日本武術と派手な中国国術が交互に行われましたが、当然観客は国術に目を奪われます。間にはさまれるインタビューも、中国人の通訳付きばかり。

 実際、派手です。日本の武術と根本的に違うのは、とにかく伸び伸びとしていること。動作も陳家の小架式や形意拳を除けば、体軸からして全く違うようでした。

 さて、私の見たかった人が出てきました。
 (あえて名前は書きません。詳しい人ならすぐわかるでしょうけど)
 単独演武でしたが、洗練という言葉は遣えない、武骨な足の踏みしめ方。レンガだったら割れるだろうなと感じる力強さです。体当たりの技術、平拳の掌で打つ打法。
 どれをとっても、さすがにこの拳技の第一人者、と言われるだけのことはあるなあ、とひたすら感心して見ていました。

 ところが、演武の後、インタビューを受け、息ひとつ切らした風もなく、演武台を駆け降り、実に軽やかに控室へ駈け戻ろうとした時、通路にさっきの演武で遣われた棍や槍が置かれていました。それも急いでいたせいか、ちゃんと脇に寄せられず、3分の1ほど通路にはみ出ていたのです。

 軽やかに駆け抜けようとした武術家は気付いた瞬間、、、、、。

 もうお分かりでしょう。日本武術と中国国術、正反対の片付け方をします。
 彼は駆け抜ける速度を落とすこともなく、実にあっさりと槍を脇に蹴り寄せました。
 殆どの人は気が付かなかったのではないでしょうか。あまりに自然だったから。

 武術は人を殺傷する技術です。一方的にではなく、逆にこちらが殺されるかもしれない。
 だから、死と真剣に向きあうのだから、日々の生き方そのものである、と得心して「武道」という言葉が遣われるようになりました。(武道をやる、でなく武の道を歩く、ですね。)
 あえて「武術」と言う流儀も、日本武術の場合には、
「敵も自分と同じ修練をしているに違いない。」と相手の実力を認める謙虚さがあります。
 居合いをやっている人なら当たり前のこととして「刀礼」をします。他の武術にしても、兵器を目の高さに挙げる敬礼をします。
 
 武術だけではありませんね、日本人は。
 机に腰掛けたら叱られました。今は学校の先生が机に腰掛けて生徒と話したりしていますが。

 実は「日本人だけがちゃんとしていて他国の人は」、じゃないんです。
 日本の心を知って、手に入れようとした人は、そこらの日本人なんか足元にも及ばないほどの立派な日本人になるんです。

 「国手(国で一番の腕前)」と賞された意拳の王向斎は弟子の澤井健一に「日本は文と武のバランスが取れた素晴らしい国だ。我が国は武の価値が余りにも低い」と言ったそうです。「武術は人殺しの道具」だから?
 それもあります。
 でも、恐ろしい本当の理由は
「武術は少人数しか相手にできない。文(政治)は生殺与奪はいくらでもできる」。
 そうでしょう?「書き残せば真実になる」じゃないですか。
「三十万人殺された」と書いてあったら、いくら二十万しかいなかったと言っても、「証拠がない」で終わりです。

 けれど、王向斎ほどの人は、生身の人間と真っ向からぶつかる事を通して謙虚、思い遣りを実感した。だから、文と武は両立、バランスが取れていなければいけない、日本はそれが文化としてできている、と。王向斎の本棚には剣道の本があったそうです。

 槍を脇に蹴り寄せた武術家には失望しましたが、その後に王向斎のことを知り、早計は禁物と思うようになりました。
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ハングルが普及したのは?

2020年01月26日 | 重箱の隅
2010.01/23 (Sat)

 大体あの絵だか記号だかわからない、でも、妙に気持をひきつける形。ずっと気にはなってたんだけど、ネットの世界でウロウロし始めるまではほったらかしでした。別に習いたいわけじゃない、まあ、ペルシャ文字に対する気持より、モダンアートっぽい形が面白いなあ、と思っていたくらい。

 昔の韓国の新聞は、このハングルの間に漢字がところどころ混じっているようでした。一文字ならモダンアートでも、団体になるとありふれたものになり、間に漢字が混じると途端に野暮ったく感じられたものです。

 ところが最近は、大学生でも自分の名前を漢字で書けなくなっている、のだそうで、これでは古典の研究どころか二、三十年前の文書だって読めなくなってしまう、との嘆きが聞こえるようになっているのだそうです。
 (今、wikiで見たら、1948年、ハングル専用法というのがつくられ、1990年代後半まで、漢字はほとんど遣われなかった、とありました。これなら、漢字で名前が書けないのは当然ですね。)

 漢字のかけら(一片)で発音をメモしようとした「片仮名」が遣われるようになったのは奈良時代末期だそうです。
 漢字の崩し書きで発音をメモしようとした「平仮名」は平安時代。

 片仮名は学僧が講義を記録するために、平仮名は宮中の女官が歌を書きとめる(和歌は万葉仮名で書きとめるものですから)うちにできた、ということで、いずれも「とりあえずの文字」、で「仮名」。ちゃんと書く漢字は「真名」です。(マナ、カナ。ん?)

 片方は寺という閉ざされた世界。世に知られることはあっても、一般的になったのは何と明治時代から。
 もう一方は女文字、ということで、あまり一般的ではなかったのですが、それでも、その使い勝手の良さから
「男もすなる日記といふものを女もしてみむとてするなり」
と、女の立場、という設定で日記が書かれるなど、本来が万葉仮名、わりに普及は早く、室町時代には相当にひろがっていたようです。

 さて、ハングルは、というと室町時代。
 李氏朝鮮の4代国王「世宗大王」が、学者に命じて簡便な表記法を発明させた。それが出発点だそうです。

 「宗主国の文字こそが正しいのであって、方言である朝鮮語の文字など作るべきではない」と家来の学者達は猛反対したそうですが、世宗王は強行した。新進の学者の手により、僅か2年で文字は完成。仏典、儒学の書、実用教書など、国家的事業として多くの本がハングルで著された、とあります。

 事大主義の学者、開明思想の国王という図式が見えます。
 指導者は「独立国としての誇り」を胸に、家来は「生き延びることを第一に」、でしょうか。
 これ、逆じゃ、困りますよね。指導者が
「まず生き延びよう。生活が第一」なんて言ってたら。属国になるしかありませんから。
ん?どこかで聞いた言葉だなあ。
 「国民のみなさまのお暮らし、生活が第一」?

 ここに、現在の韓国人の精神性が垣間見えるようです。
 世紀の大発明品「ハングル」は、その優秀性を無視され、「方言を記すだけの下賎なもの」として、扱われます。
 そして、歴史の波に隠され、忘れられて行きます。
 「合理的で簡便で、故に容易く身につけることができる」のに。
 「良いことばかりだから広がる、というものではない」、典型的な例でしょう。

 両班は「漢字が書けるのに、こんな子供だましを」とバカにする。
 残りの九割近い国民は、文字の利便性など初めから知る筈もない文盲で、当然のこと文字を習う余裕もないし、習う場所もない。習ったって何の得にもならない。

 日本だってそうだったじゃないですか。
 「学問で腹一杯になるか!」「百姓に学問なんかいらん!」と子供が叱られていたのは、それほど昔のことではありません。(それでも、江戸時代、識字率70%以上だったそうですからすごいことだけれど)

 指導者(国王)の高い志を、国民の一割強の知識層(両班)が支え、行動すれば、国は動きます。

 両班は、国王の志を理解し支えようとはしなかった。
 「独立国の誇り」より、「宗主国の家来であることを自慢する」方を採った。つまり、「国王より、シナの皇帝の方が偉いんだから、そっちの言う事を聞く」。

 筋道が通っているようで通ってない。この考え方には、国家内の主従、上下が、ありません。

 指導者を軽視し、協力しない知識者層。何も知らず、学ぶ術もない一般大衆。洋の東西を問わず、これでうまくいくほうが不思議です。

 ハングルが本当に広がったのは、明治時代だそうです。
 日本人が新聞作りを始めるにあたって、このハングルを採用し、少しでも多くの読者を獲得しようとした。
 日韓併合時には「日本人となったのだから日本語を」ではなく、ハングルを教え、識字率は飛躍的に向上します。(これを見ただけでも、日本人になることを強要したわけではない、と思うのですが、、。) 



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まずは、所変われば、と思ってみる。

2020年01月26日 | 重箱の隅
2010.01/29 (Fri)

 「これ!立て膝なんかするんじゃない!行儀の悪い。朝鮮人みたいに!」
 よく母にこう言って叱られました。

 立て膝イコール行儀が悪い。朝鮮人は立て膝をする。
 で、朝鮮人イコール行儀が悪い、と理解する。
 子供ですからね。いや、バカだったからかな?
 
 「朝鮮人は偉い人の前でも、ちゃんとした席でも立て膝をする」
と聞いたこともあります。
 「分からんのだろうか(常識がないのだろうか)」
と聞いたら
 「さあ?それで良いらしい」。
 だったら、それは朝鮮の礼法なんじゃないか?
 「偉い人でも立て膝をする。」
 「正座は?」
 「正座はしない」

 やっぱり、それが朝鮮の礼法なんだ、と自信を持って言えるようになったのは高校生になってからだったと思います。
 「立て膝は行儀が悪い」。「日本では」、なんですね。
 「立て膝は礼儀正しい」。「朝鮮では」、なんです。

 実際、平安時代、宮中の女官はどんな風にして座っていたか。
 正座ではありません。横坐り(女坐り)、でもない。そうです。立て膝です。
 あの緋の袴に、何枚も着物を羽織っているんです。
 雛人形みたいに坐っている姿は想像できても、歩いている姿はちょっと、、、、。
 なにしろ「十二単(じゅうにひとえ)」、ですよ。それも、基本、全部が上着として通用する物を着てるんです。
 一枚が一キロとしても、12キロ。それに、ちょっとした行事でもあれば、この時、とばかりに十二枚以上でも着たそうですから。
 「丸々として、とても見られたものじゃない」
と痛評したのは、清少納言でしたか。(ちがったかな? )

 ともかく、立って歩いたら、昔の高校野球の、腰にロープを付けてタイヤを引張って走るトレーニングを思い出してしまふ。
 何より「十二単で正座」となると、見た目がアンバランス、と思いませんか?それに疲れる。

 ゆったりと坐りっ放しの宮中では、坐法はできるだけ楽に、となったか、当時は間違いなく日本と同レベルか、ちょっと先を行くかだった朝鮮(その頃はまだ、朝鮮ではありませんが)の坐法を取り入れたか、よくわかりません。

 正座は、日本ではいつか分からないくらい昔からだったみたいだし、普段は胡坐をかいていたみたいだったし。
 ただ、「あぐら」は「胡坐」と書くように大陸伝来と考えられていたから、正座よりは新しいのでしょう。
 「正座」は、名前どおり日本では「正しい坐りかた」ですが、シナ、朝鮮では、両膝を地に着けるから、「跪く(ひざまづ)く坐りかた(跪座)」と呼んで、奴隷、罪人の、服従の姿勢としてきました。(踵を立てているけど)
 彼等から見れば、理由もなく服従の姿勢をとる日本人は奇異に映ったのではないでしょうか。

 カレーを手で食べる、というのは今でも気分的に抵抗があります。
 でも、インドに行って「感じが悪いし、野蛮ですよ。箸かスプーンを遣いなさいよ」
なんて、絶対言いません。
 当たり前ですよ、その国の文化なんだから。

 「食物を直接、指で食べる。金属の冷たい感触や木の感触を間に感じるのと違って、指の温かさが食物の味をそのまま伝えてくれる」。
 そんな合理性で、食べ方を正当化しようなんてナンセンス。それぞれの国の、それぞれの文化なんだから、定規を外からあてるなんて愚かだし、失礼なことです。

 元に戻って。

 「朝鮮人は誰の前でも立て膝をする。だから、行儀が悪い」
 以上の通り、これは間違いです。
 「日本人は訳もなく、すぐ謝る」
 これも間違いです。

 どちらも、相手の文化を知らない、又は認めようとしないから起こる誤解です。
 「努力しろよ。」
 「お前らがしたら、努力してやる。」
 「お前らが先にしろよ。」
 「じゃあ、いっしょ、な。一、二の三!」
 「あ~っ!嘘つき!」
 「お前らもだろ!」

 未だにガキみたいなことを国家間でやってます。

 隣国にレッテル貼りをするのは簡単だけど、いくら貼ったって隣国は消えない。「引っ越しして何処かに行って!」と叫んだって引っ越しなんかするわけがない。できるものでもない。

 嘘をつかれたり、褒め殺しにされたり、でも大概は圧倒的な腕力でねじ伏せられてきた国。その折々に前後の見境なく爆発して、その都度いとも簡単に抑え込まれた国。その国は我々の隣国です。そして、日本だけが「とにかく、自分の力でやってみろ」と、方法はともかく、自立の手助けをしたのです。

 今度は第二段階です。
 彼らが「失った歴史」を取り戻せるように(李氏朝鮮の時代が最悪の時代だった、と冷静に思えるように)。ヒステリーは愚策、と理解できるように。
 彼等自身が「覚醒」しなければ。
 そして、その手助けは、我々日本人にしかできない。
 外国人参政権付与、なんてことをすると、彼らは二度と目覚めない。
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