2013.03/18 (Mon)
「占領は終(おわ)った。六年八カ月間の長い長い占領は終った」と1952(昭和27)年4月28日の小欄は筆を起こしている。末尾は「占領よ、さようなら」の言葉で締めくくった。独立という、戦後の新しいステージへの静かな高揚が伝わってくる
▼サンフランシスコ平和条約が発効したその日、日本は主権を回復した。同時に沖縄、奄美、小笠原は本土から切り離された。沖縄ではその後20年にわたって米軍統治が続くことになる。「屈辱の日」として記憶されてきたゆえんである
▼平和条約をめぐって、国論を分かつ議論が起きたのはよく知られる。東西の両陣営と講和するか、米国など西側だけとの講和か、である。世論は沸騰した。しかし「日本」とは本土だけを指し、沖縄は忘れられていた
▼それから61年、「主権回復の日」の式典なるものを政府が初めて行うそうだ。沖縄から反発の声が上がったのは当然だろう。復帰後も基地は集中し、治外法権的な地位協定は残る。今なお「占領よ、さようなら」と言えずにいる人は少なくあるまい
▼「日本には長い占領期間があったことも知らない人が増えている」と安倍首相は言う。その通りだろうが、4・28は沖縄などを「質草(しちぐさ)」にしての主権回復だった。沖縄では日の丸も自由に掲げられなかった
▼安倍さんの祖父の岸信介氏らは条約発効に伴って公職追放が解かれている。それはともかく、沖縄への想像力を持たずしてこの日は語れない。万歳三唱で終わるなら、やる意味もない。
~天声人語~
3月18日 朝刊より
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
《「占領は終(おわ)った。六年八カ月間の長い長い占領は終った」
で始まり、
「占領よ、さようなら」の言葉で締めくくった。
独立という、戦後の新しいステージへの静かな高揚が伝わってくる。》
前半は当時の朝日新聞の編集子の思いであり、後半は現在の編集子の解釈である。そう取って間違いなかろう。
「日本は主権を回復したのだ。解放されたのだ」
そういう安堵感は確かに伝わってくる。「占領」という言葉が、どれだけ重くのしかかっていたか。ほんの数行のこの文からでもそれは痛いほど分かる。
この間に、日本国憲法が押し付けられ、それが今に至るまで憲法として存在している。
そのことについて、
「あれは、天皇の御名と御璽があるから、『押しつけ』ではない。国民自らが決めたのだから日本に主権はあったのだ。実際、日本は軍隊を持てと言われても拒否しているではないか。それで『主権がない』等と言えるのか」
等と言う人もいる。
しかし、当時の日本国民にとって、いや、現在の日本人だって、そういう意見は詭弁にしか聞こえないだろうことは、この僅か数行に込められた編集子の思いで十二分に分かる。
それこそ、耐え難きを耐え忍び難きを忍んで憲法を受け入れ、それこそ、吉田首相を中心とした国会が、命を懸けて国軍設立を拒否したのではないのか。
それら万感の思いを胸に編集子は
「占領は終(おわ)った。六年八カ月間の長い長い占領は終った」
と書いた筈である。
では、そこに「沖縄への思い」はあったのか。なかったのか。
いや、忘れてはならない。奄美や小笠原はどうなのだ。
「沖縄、奄美、小笠原も一緒でなければ占領が終わったとは言えない!」
そんな風に考えていたのだろうか。
もしそうならば
「占領は終(おわ)った。六年八カ月間の長い長い占領は終った」
と書いたか。
ここに、沖縄、奄美、小笠原が「信託統治」とはされていないことで、いずれは日本に帰って来る、という(希望的観測ではあるけれども)思いが見え隠れする。
信託統治とされたならば、いずれは独立するものの、日本に帰属することはなくなるのだから。
「狼魔人日記」にあったように、「占領下」ならば主権(潜在主権)は日本にあるのであって、いずれは占領を終えることになるその時、自動的に日本に復することになる。
しかし、現在の編集子は
「沖縄、奄美、小笠原は本土から切り離され」、「屈辱の日」として記憶されてきた」
と説き、未だ「占領よ、さようなら」と言えずにいる、とする。
例によって「私が言っているのではないけれど」、との布石はちゃんと打ってある。
そして、とんでもない表現で自身の捉え方を述べる。
《4・28は沖縄などを「質草(しちぐさ)」にしての主権回復だった。》
「沖縄を人質としてアメリカに差し出して主権を回復したのだ」、と。
あの時の、昭和27年4月28日の編集子の思いは全く省みられてはいない。
大先輩の思いをまるで土足で踏みにじっているかのように。
そして、安倍「現総理」を安倍「さん」と書き、祖父岸信介氏の公職追放がその時、解かれたことをわざわざ書いて「それはともかく」と軽く流す。
占領軍の指令により行われた公職追放が主権回復の日に解かれることは、考えてみれば当たり前のことではないか。
「沖縄への想像力を持て」「万歳三唱で終わるなら意味はない」
大先輩の思いを手前勝手に解釈し、沖縄は未だ占領が終わらず人質のままである、と決めつけ、沖縄への「想像力を持て」と。
「占領は終(おわ)った。六年八カ月間の長い長い占領は終った」と1952(昭和27)年4月28日の小欄は筆を起こしている。末尾は「占領よ、さようなら」の言葉で締めくくった。独立という、戦後の新しいステージへの静かな高揚が伝わってくる
▼サンフランシスコ平和条約が発効したその日、日本は主権を回復した。同時に沖縄、奄美、小笠原は本土から切り離された。沖縄ではその後20年にわたって米軍統治が続くことになる。「屈辱の日」として記憶されてきたゆえんである
▼平和条約をめぐって、国論を分かつ議論が起きたのはよく知られる。東西の両陣営と講和するか、米国など西側だけとの講和か、である。世論は沸騰した。しかし「日本」とは本土だけを指し、沖縄は忘れられていた
▼それから61年、「主権回復の日」の式典なるものを政府が初めて行うそうだ。沖縄から反発の声が上がったのは当然だろう。復帰後も基地は集中し、治外法権的な地位協定は残る。今なお「占領よ、さようなら」と言えずにいる人は少なくあるまい
▼「日本には長い占領期間があったことも知らない人が増えている」と安倍首相は言う。その通りだろうが、4・28は沖縄などを「質草(しちぐさ)」にしての主権回復だった。沖縄では日の丸も自由に掲げられなかった
▼安倍さんの祖父の岸信介氏らは条約発効に伴って公職追放が解かれている。それはともかく、沖縄への想像力を持たずしてこの日は語れない。万歳三唱で終わるなら、やる意味もない。
~天声人語~
3月18日 朝刊より
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
《「占領は終(おわ)った。六年八カ月間の長い長い占領は終った」
で始まり、
「占領よ、さようなら」の言葉で締めくくった。
独立という、戦後の新しいステージへの静かな高揚が伝わってくる。》
前半は当時の朝日新聞の編集子の思いであり、後半は現在の編集子の解釈である。そう取って間違いなかろう。
「日本は主権を回復したのだ。解放されたのだ」
そういう安堵感は確かに伝わってくる。「占領」という言葉が、どれだけ重くのしかかっていたか。ほんの数行のこの文からでもそれは痛いほど分かる。
この間に、日本国憲法が押し付けられ、それが今に至るまで憲法として存在している。
そのことについて、
「あれは、天皇の御名と御璽があるから、『押しつけ』ではない。国民自らが決めたのだから日本に主権はあったのだ。実際、日本は軍隊を持てと言われても拒否しているではないか。それで『主権がない』等と言えるのか」
等と言う人もいる。
しかし、当時の日本国民にとって、いや、現在の日本人だって、そういう意見は詭弁にしか聞こえないだろうことは、この僅か数行に込められた編集子の思いで十二分に分かる。
それこそ、耐え難きを耐え忍び難きを忍んで憲法を受け入れ、それこそ、吉田首相を中心とした国会が、命を懸けて国軍設立を拒否したのではないのか。
それら万感の思いを胸に編集子は
「占領は終(おわ)った。六年八カ月間の長い長い占領は終った」
と書いた筈である。
では、そこに「沖縄への思い」はあったのか。なかったのか。
いや、忘れてはならない。奄美や小笠原はどうなのだ。
「沖縄、奄美、小笠原も一緒でなければ占領が終わったとは言えない!」
そんな風に考えていたのだろうか。
もしそうならば
「占領は終(おわ)った。六年八カ月間の長い長い占領は終った」
と書いたか。
ここに、沖縄、奄美、小笠原が「信託統治」とはされていないことで、いずれは日本に帰って来る、という(希望的観測ではあるけれども)思いが見え隠れする。
信託統治とされたならば、いずれは独立するものの、日本に帰属することはなくなるのだから。
「狼魔人日記」にあったように、「占領下」ならば主権(潜在主権)は日本にあるのであって、いずれは占領を終えることになるその時、自動的に日本に復することになる。
しかし、現在の編集子は
「沖縄、奄美、小笠原は本土から切り離され」、「屈辱の日」として記憶されてきた」
と説き、未だ「占領よ、さようなら」と言えずにいる、とする。
例によって「私が言っているのではないけれど」、との布石はちゃんと打ってある。
そして、とんでもない表現で自身の捉え方を述べる。
《4・28は沖縄などを「質草(しちぐさ)」にしての主権回復だった。》
「沖縄を人質としてアメリカに差し出して主権を回復したのだ」、と。
あの時の、昭和27年4月28日の編集子の思いは全く省みられてはいない。
大先輩の思いをまるで土足で踏みにじっているかのように。
そして、安倍「現総理」を安倍「さん」と書き、祖父岸信介氏の公職追放がその時、解かれたことをわざわざ書いて「それはともかく」と軽く流す。
占領軍の指令により行われた公職追放が主権回復の日に解かれることは、考えてみれば当たり前のことではないか。
「沖縄への想像力を持て」「万歳三唱で終わるなら意味はない」
大先輩の思いを手前勝手に解釈し、沖縄は未だ占領が終わらず人質のままである、と決めつけ、沖縄への「想像力を持て」と。