2010.02/15 (Mon)
「刀の話」、じゃありませんよ。
生き方の話です。
たとえば、何か「新しい道具」を手に入れて、使い勝手が良いから、と愛用していたとします。当然使い込むうちに、段々くたびれてきます。そうなった時、どうするか。
安価で、いつでも入手できる代わりのものが既にある、となれば、ほとんどの場合惜しげもなく捨ててしまいます。切り捨てる。
「刀の話」、じゃありませんよ。
生き方の話です。
たとえば、何か「新しい道具」を手に入れて、使い勝手が良いから、と愛用していたとします。当然使い込むうちに、段々くたびれてきます。そうなった時、どうするか。
安価で、いつでも入手できる代わりのものが既にある、となれば、ほとんどの場合惜しげもなく捨ててしまいます。切り捨てる。
そうでない場合。
安価ではない、なかなか手に入らない、代わりのものがない、などの時は修理したり、辛抱したりして使います。
ごく当たり前のことです。何をいまさら、と思われるような質問でした。
さて、本題なのですが、「新しい道具」でなく「新しい考え方」「新しい物の見方」なら、どうでしょうか?
江戸時代、蘭学から洋学に間口が広くなるにつれて、西洋の学問は随分日本に入ってきました。
しかし、明治政府の開化主義は、輸入、といった言葉では間に合わない、大変な勢いでの学問の流入を惹き起こしました。
西欧の学問が日本を席捲してしまったのです。当時、日本人には目に見える全ての物が日本のものより優れている、と見えたのです。
ところが、「全て西洋のものが日本古来のものより優れている」、となった時、日本人は必死になって踏みとどまり、「日本」を、「日本人であること」を守りました。
それが、福澤諭吉の言う「瘦せ我慢」であり、当時の知識人の言う「和魂洋才」でした。
以前にも書きましたが、「和魂洋才」というのは「日本人の心」と「西洋人の技術」という、対等、または「心の方が上」、みたいな気楽なことを言っているのではありません。
99パーセント負けている。とても勝負にならない。けど、「心のレベルは見えない」から上下は判定出来ない。
「心は日本の方が上だ。上に決まっている(根拠のない確信。思い込み)」。
この、僅か1パーセントの、信仰にも似た「心は勝っている」が、本当の意味で日本人を意識させ、日本を世界に知らしめた原動力になっているのでしょう。新渡戸稲造の「武士道」もこれと無関係ではありません。
日本人の、日常のちょっとした仕種や行動、物の感じ方、考え方に欧米人が感心する。誉められることも多々ある。西欧人の認める、我々のよさ(内面の優秀性)はどこに依拠するのか、と考えた新渡戸は、それが武士の生き方にあるのではないか、と考えました。
武士は総人口の一割程度ながら、他の、農、工、商人は武士の生き方を大なり小なり見習うべきものとしていました。
明治時代。開化主義で西欧化の道を突っ走った日本は、しかし、「和魂洋才」という思い込み、「瘦せ我慢」という武士的な意地っ張りで以て、日本、そして日本人であることを守り抜きました。
「感じ方、考え方」は流入しなかったから、辛うじてうまくいったのかもしれません。つまり、日本古来の物を「切り捨てなかった」。
問題は敗戦後の日本です。
徹底的な調査をした占領軍は、とにかく、日本を精神面から変えようとします。
①神道指令を発して、「信教の自由」の名の下に、神道を他のものと同一視して宗教の枠に閉じ込め、国家の形を変える。
(この先には皇室をなくし、国体そのものとされた天皇の退位、廃絶をしようという考えがあるのは言うまでもないことです。)
②憲法を変え、二度と戦争を起させないようにした。
(「諸国民の公正と信義に信頼して我らの安全と生存を保持しようと決意した」、と憲法の前文にあります。日本人の命は世界に預けました、と言っているわけです)
③これまでの国家の精神的支柱となった考え、肯定的だった考えを否定、廃棄する。
(学術書を中心とする、思想関係書籍の焚書。武道の禁止)
これらは新しい「感じ方」「考え方」です。明治時代の、あの「残り1パーセント」を変えるようにと命令されたのです。
ほぼ無条件の降伏をした日本は受け容れるしかなかった。
拒否、保留などという選択肢は初めからなかった。
《自国の歴史を否定的に捉え、これまでの国家の形を否定し、国民主権といいながら、肝腎の命は世界に預ける。》
新しい感じ方、考え方は矛盾に満ちています。
その感じ方、考え方、でもって60年。
生まれた時から矛盾に満ちた考え方の中で育ったのは、今問題になっている「団塊の世代」ではありません。「団塊ジュニアの世代」です。
70年代以降に生まれ育った者は「矛盾している」とさえ気がつかない世代です。
①神道指令も②日本国憲法も③思想関係書籍の焚書等、も、無条件降伏後の占領統治下で強制されたことです。拒否はできなかった。
しかし、7年の長期にわたる占領から、我が国は再び独立したのです。
何事も他国から命令されたり、強制されたりしない国を「独立国」といいますから、上記の①②③は、その時点で無効になります。
「日本国憲法は無効である」という一方の見解は、ここが論拠です。(いや、結局は国会で決めたのだから有効である、というのが現在の主流ですが。)
「団塊の世代」は、「戦前の家庭教育と戦後の学校教育」という二つの教育の中で育ちます。つまり、二つの感じ方、考え方を自分の中で受け容れていかねばなりません。何を信じたらいいのか分からない。だから、まず疑ってかかる。
しかし「団塊ジュニアの世代」は、占領統治時、GHQによる社会主義容認政策の下、一気に広がった日教組教育を受けた団塊の世代が親、なわけですから、家庭教育、学校教育、共に戦後のものです。新しい感じ方、考え方を、矛盾とも思わず受け容れる。
見ようとしても見ることのできない、この矛盾に充ちた「新しい感じ方」「新しい考え方」。
我々はこれを、切り捨てなければならないのですが。
切り捨てることができるでしょうか。
「矛盾に満ちた感じ方、考え方」を、核心から掴もうと努力しているでしょうか。
安価ではない、なかなか手に入らない、代わりのものがない、などの時は修理したり、辛抱したりして使います。
ごく当たり前のことです。何をいまさら、と思われるような質問でした。
さて、本題なのですが、「新しい道具」でなく「新しい考え方」「新しい物の見方」なら、どうでしょうか?
江戸時代、蘭学から洋学に間口が広くなるにつれて、西洋の学問は随分日本に入ってきました。
しかし、明治政府の開化主義は、輸入、といった言葉では間に合わない、大変な勢いでの学問の流入を惹き起こしました。
西欧の学問が日本を席捲してしまったのです。当時、日本人には目に見える全ての物が日本のものより優れている、と見えたのです。
ところが、「全て西洋のものが日本古来のものより優れている」、となった時、日本人は必死になって踏みとどまり、「日本」を、「日本人であること」を守りました。
それが、福澤諭吉の言う「瘦せ我慢」であり、当時の知識人の言う「和魂洋才」でした。
以前にも書きましたが、「和魂洋才」というのは「日本人の心」と「西洋人の技術」という、対等、または「心の方が上」、みたいな気楽なことを言っているのではありません。
99パーセント負けている。とても勝負にならない。けど、「心のレベルは見えない」から上下は判定出来ない。
「心は日本の方が上だ。上に決まっている(根拠のない確信。思い込み)」。
この、僅か1パーセントの、信仰にも似た「心は勝っている」が、本当の意味で日本人を意識させ、日本を世界に知らしめた原動力になっているのでしょう。新渡戸稲造の「武士道」もこれと無関係ではありません。
日本人の、日常のちょっとした仕種や行動、物の感じ方、考え方に欧米人が感心する。誉められることも多々ある。西欧人の認める、我々のよさ(内面の優秀性)はどこに依拠するのか、と考えた新渡戸は、それが武士の生き方にあるのではないか、と考えました。
武士は総人口の一割程度ながら、他の、農、工、商人は武士の生き方を大なり小なり見習うべきものとしていました。
明治時代。開化主義で西欧化の道を突っ走った日本は、しかし、「和魂洋才」という思い込み、「瘦せ我慢」という武士的な意地っ張りで以て、日本、そして日本人であることを守り抜きました。
「感じ方、考え方」は流入しなかったから、辛うじてうまくいったのかもしれません。つまり、日本古来の物を「切り捨てなかった」。
問題は敗戦後の日本です。
徹底的な調査をした占領軍は、とにかく、日本を精神面から変えようとします。
①神道指令を発して、「信教の自由」の名の下に、神道を他のものと同一視して宗教の枠に閉じ込め、国家の形を変える。
(この先には皇室をなくし、国体そのものとされた天皇の退位、廃絶をしようという考えがあるのは言うまでもないことです。)
②憲法を変え、二度と戦争を起させないようにした。
(「諸国民の公正と信義に信頼して我らの安全と生存を保持しようと決意した」、と憲法の前文にあります。日本人の命は世界に預けました、と言っているわけです)
③これまでの国家の精神的支柱となった考え、肯定的だった考えを否定、廃棄する。
(学術書を中心とする、思想関係書籍の焚書。武道の禁止)
これらは新しい「感じ方」「考え方」です。明治時代の、あの「残り1パーセント」を変えるようにと命令されたのです。
ほぼ無条件の降伏をした日本は受け容れるしかなかった。
拒否、保留などという選択肢は初めからなかった。
《自国の歴史を否定的に捉え、これまでの国家の形を否定し、国民主権といいながら、肝腎の命は世界に預ける。》
新しい感じ方、考え方は矛盾に満ちています。
その感じ方、考え方、でもって60年。
生まれた時から矛盾に満ちた考え方の中で育ったのは、今問題になっている「団塊の世代」ではありません。「団塊ジュニアの世代」です。
70年代以降に生まれ育った者は「矛盾している」とさえ気がつかない世代です。
①神道指令も②日本国憲法も③思想関係書籍の焚書等、も、無条件降伏後の占領統治下で強制されたことです。拒否はできなかった。
しかし、7年の長期にわたる占領から、我が国は再び独立したのです。
何事も他国から命令されたり、強制されたりしない国を「独立国」といいますから、上記の①②③は、その時点で無効になります。
「日本国憲法は無効である」という一方の見解は、ここが論拠です。(いや、結局は国会で決めたのだから有効である、というのが現在の主流ですが。)
「団塊の世代」は、「戦前の家庭教育と戦後の学校教育」という二つの教育の中で育ちます。つまり、二つの感じ方、考え方を自分の中で受け容れていかねばなりません。何を信じたらいいのか分からない。だから、まず疑ってかかる。
しかし「団塊ジュニアの世代」は、占領統治時、GHQによる社会主義容認政策の下、一気に広がった日教組教育を受けた団塊の世代が親、なわけですから、家庭教育、学校教育、共に戦後のものです。新しい感じ方、考え方を、矛盾とも思わず受け容れる。
見ようとしても見ることのできない、この矛盾に充ちた「新しい感じ方」「新しい考え方」。
我々はこれを、切り捨てなければならないのですが。
切り捨てることができるでしょうか。
「矛盾に満ちた感じ方、考え方」を、核心から掴もうと努力しているでしょうか。