先日、日帰りツーリングに行ってきた。
「五月の連休明け、人出も落ち着いた頃に」と思ってから、五ヶ月も経っていた。
勤めていた頃は、毎日通勤にバイクを使っていた。それなのに飽きもせず、休日、それも連休ともなれば月初めから休みが待ち遠しくて仕方がなかった。
仕事を辞めて八年。すっかり一人になって二年。
だから本当なら「ツーリングし放題!」の筈なのに「暇はあるけど金はない」という典型的な隠居暮らし。泊まり掛けは言うまでもない、一日かけての遊興三昧(?)ツーリングは、もはや無理。
でも、やっぱり日帰りでもいいから、たまには二十年近く行動を共にしてきた相棒に乗って、出てみたい。
今は二輪、四輪、共にあるのだから、両方、それぞれ旅の足にしてみたい(現実、四輪は買い物の足のみ、に定着しているけれど)。
というわけで、やっとのこと、日本海を見てきた。
しかし何度も行っているところだし、特に目新しいことがあったわけでもない。出石(いずし)で蕎麦を食べ、但馬海岸道路を半分だけ走り、台風の後のひどい波飛沫に呆れ、帰りはいつもの通り(?)、道を間違えて、という既定路線(規定路線?)。
目新しいことはなくても構わない。季節ごとの景色や空気の違いを感じることが楽しみの大半を占めているんだな、と毎回、思う。五月に行けば、五月の風。十月に行けば、十月の風。
「五ヶ月も遅れた」と書いたけど、そうしてみると「遅れた」のではなく、行けなかった「五月のツーリング」。
今回は「十月のツーリング」。五月は行けなかったけど、十月は行けた。それだけのことか。
台風が立て続けに来て、なかなか秋の気配を感じにくい九月、だった。
それがいきなり物寂しい風に変わった。ずっと先に進んでいる季節に気分が追い付かない。
今回一番の失敗。
レザーメッシュ(パンチングレザー)のグローブで出たこと。
ガレージにメッシュのグローブしか置いてなかった。普通のグローブは六月から家の中で休憩している。
パンチングメッシュのレザーグローブというのは気の毒なやつだ。夏の暑いときには化繊のメッシュと違って「ちっとも涼しくないな」と文句を言われる。
そのくせ、ちょっと涼しくなると気付かず使われなくなり、手入れもされずにほったらかされ、年を越す。
「涼しくない」ということはちょうどいい、ということなのに、ちっとも感謝されない。
そのグローブで「ま、いいか」と思って走り出す。数百メートル走って、選択ミスに気づき、後悔する。
後悔したんなら戻りゃいいのに、気分は盛り上がっているから、このままでも行けそうな気が勝る。取り換えに家の中に入るのが面倒くさいという気持ちと、久々のツーリングで盛り上がっている気分が手を組んで、「疲れるかも」という不安と綱引きを始める。そしてあっという間に勝敗が決定する。
「何とかなるだろう」。「ケンチャナヨー」、だ。
実際、走りはじめや他のことを思っているうちは何とかなる。けど、日陰を走ったり、変化のない道を通ったり、夕暮れ時に近付いたり、となった時、手の甲から伝わってくる冷えが後ろ向きの気持ちを呼び覚ます。
「手放したバイクの方が良かったかなぁ~」
「瀬戸内の方が良かったかな。好き好んで何もない日本海に行かずとも」
「もっと早く出てたら、余裕で帰れたのに」
随分と身勝手だ。
「このSRで稚内から坊津まで行ったんだよな」
「寒くなる前の日本海は瀬戸内海とは全然違う」
「早く出てたら厚着してるから、昼は汗だくになってたな」
グローブの選択ミス。たったこれだけのことで、ちょっと状況が悪くなればすぐ後ろ向きになる。
これ、以前に書いた「黴の臭いのせいで日記が書けない」というのと同じ理屈かもしれない。
で、思った。
「グローブ、間違ってなかったら、どうだったろう」
「黴臭くなければ、本当に日記を書けたろうか」
さて・・・・?
「五月の連休明け、人出も落ち着いた頃に」と思ってから、五ヶ月も経っていた。
勤めていた頃は、毎日通勤にバイクを使っていた。それなのに飽きもせず、休日、それも連休ともなれば月初めから休みが待ち遠しくて仕方がなかった。
仕事を辞めて八年。すっかり一人になって二年。
だから本当なら「ツーリングし放題!」の筈なのに「暇はあるけど金はない」という典型的な隠居暮らし。泊まり掛けは言うまでもない、一日かけての遊興三昧(?)ツーリングは、もはや無理。
でも、やっぱり日帰りでもいいから、たまには二十年近く行動を共にしてきた相棒に乗って、出てみたい。
今は二輪、四輪、共にあるのだから、両方、それぞれ旅の足にしてみたい(現実、四輪は買い物の足のみ、に定着しているけれど)。
というわけで、やっとのこと、日本海を見てきた。
しかし何度も行っているところだし、特に目新しいことがあったわけでもない。出石(いずし)で蕎麦を食べ、但馬海岸道路を半分だけ走り、台風の後のひどい波飛沫に呆れ、帰りはいつもの通り(?)、道を間違えて、という既定路線(規定路線?)。
目新しいことはなくても構わない。季節ごとの景色や空気の違いを感じることが楽しみの大半を占めているんだな、と毎回、思う。五月に行けば、五月の風。十月に行けば、十月の風。
「五ヶ月も遅れた」と書いたけど、そうしてみると「遅れた」のではなく、行けなかった「五月のツーリング」。
今回は「十月のツーリング」。五月は行けなかったけど、十月は行けた。それだけのことか。
台風が立て続けに来て、なかなか秋の気配を感じにくい九月、だった。
それがいきなり物寂しい風に変わった。ずっと先に進んでいる季節に気分が追い付かない。
今回一番の失敗。
レザーメッシュ(パンチングレザー)のグローブで出たこと。
ガレージにメッシュのグローブしか置いてなかった。普通のグローブは六月から家の中で休憩している。
パンチングメッシュのレザーグローブというのは気の毒なやつだ。夏の暑いときには化繊のメッシュと違って「ちっとも涼しくないな」と文句を言われる。
そのくせ、ちょっと涼しくなると気付かず使われなくなり、手入れもされずにほったらかされ、年を越す。
「涼しくない」ということはちょうどいい、ということなのに、ちっとも感謝されない。
そのグローブで「ま、いいか」と思って走り出す。数百メートル走って、選択ミスに気づき、後悔する。
後悔したんなら戻りゃいいのに、気分は盛り上がっているから、このままでも行けそうな気が勝る。取り換えに家の中に入るのが面倒くさいという気持ちと、久々のツーリングで盛り上がっている気分が手を組んで、「疲れるかも」という不安と綱引きを始める。そしてあっという間に勝敗が決定する。
「何とかなるだろう」。「ケンチャナヨー」、だ。
実際、走りはじめや他のことを思っているうちは何とかなる。けど、日陰を走ったり、変化のない道を通ったり、夕暮れ時に近付いたり、となった時、手の甲から伝わってくる冷えが後ろ向きの気持ちを呼び覚ます。
「手放したバイクの方が良かったかなぁ~」
「瀬戸内の方が良かったかな。好き好んで何もない日本海に行かずとも」
「もっと早く出てたら、余裕で帰れたのに」
随分と身勝手だ。
「このSRで稚内から坊津まで行ったんだよな」
「寒くなる前の日本海は瀬戸内海とは全然違う」
「早く出てたら厚着してるから、昼は汗だくになってたな」
グローブの選択ミス。たったこれだけのことで、ちょっと状況が悪くなればすぐ後ろ向きになる。
これ、以前に書いた「黴の臭いのせいで日記が書けない」というのと同じ理屈かもしれない。
で、思った。
「グローブ、間違ってなかったら、どうだったろう」
「黴臭くなければ、本当に日記を書けたろうか」
さて・・・・?
2016.10/12