CubとSRと

ただの日記

帰って来た。初めに戻る。

2020年01月10日 | バイク 車 ツーリング
 時速50キロ余りを気にしながら、30分ほど走り、
 「大丈夫かなあ」
 と思いながら自動車道に入る。

 流入しても、なかなかスピードが出ない。
 アクセル開けて80キロ。集中して、やっと100キロ。
 前半で書いたように何だかフレームがヨレるようで、頼りない。
 でも、そんな不安な気持ちで乗っていると、これまでのツーリングのことを色々と思い出す。

 SRでのツーリングは、いつもアクセル開け気味で80キロ。集中して、やっと100キロだった。
 勿論、全開にすれば140キロは今でも出る。
 何となくフレームがヨレるような頼りなさだって、今に始まったことじゃない。初めからそうだったのだ。

 大型免許を取ったのが2000年。
 免許入手と同時にXJR1300に乗り始めたのだけれど、その時、手に入れたばかりのXJRは置いて、北海道にはSRで行った。
 フェリーで神戸から鹿児島(志布志)に渡り、用事のなかった一日、枕崎や開聞岳まで行ったこともある。
 半年乗ってなくても、いつもキック一発でエンジンがかかり、バイク店の店主も感心していた。
 前後左右に撓るような車体が、殆んど回転を上げずとも、しなやかに走りはじめる。
 爆発的でも、猛烈でもない。でも、いきなり大股で走り始めて周囲を慌てさせる陸上選手みたいな爽快さがある。本気になった他の選手にすぐ追い越されるんだけれど。

 不安だったフレームのヨレるような頼りなさは、高速道の単調な走行の中で、
 「そうだ。ツーリングって、いつもこんな感じだったんだ」
 という記憶を、感触と共に思い出させはじめた。
 
 不安さが、頼りなさが、SRを信頼する感覚に変わるまでに、二時間くらいかかっただろうか。

 S・A、二つに一度は必ず停まる。
 振動のせいで指が痺れている。他のバイクでもそれはあるけれど、この痺れが心地良いのはSRだけだ。それも思い出した。
 当然のことながら、休憩後、エンジンをかけるためにキックアームを出し、体重を掛けて圧を抜き、改めて踏み込む。一瞬あってエンジンがかかる。
 それだけで前向きになる。
 「良し!行くぞ」
 と思っている。
 セルボタンを押す時には考える筈もないことで、どうでも良いようなことだけれど、SRは何だかエンジンがかかっただけでうれしい。
 確かにこれは
 「昨日の便利は今日の当たり前。今日の当たり前は明日の不便」
 、だ。

 何もわざわざ前近代的なキックのみの始動法に拘る必要なんか、ない。
 軽くてコンパクトなシングルエンジンだ、セルフモーター一個付けたくらいでパフォーマンスに大した影響はあるまい。
 そんなことよりも、もっとお洒落にもっと馬力アップを、という事で、SRXができた。カッコ良かった。でも、今はつくってない。
 SRは時代遅れだ。初めて生産された時だって、目新しいものは何もなかった。初めからそうなのだから、今はもう化石みたいなものだ。だから、生産は終了した。
 けど、またつくっている。望む人がいるからだ。
 便利、合理、損得ではない何かが支持されるからだろう。

 エンジンがかかったらうれしい。
 走り出した時のしなやかさがうれしい。
 勢いでニコニコしていたらどんどん進んでいくからうれしい。
 何だか何があってもうれしい。

 調子に乗ってる時の、前を向いている時の日本人の心情って、案外こんなものなのかもしれない。
 馬力もないし、新しさもない。
 けど見飽きないのは、「進化」でなく、「深化を続けているから」との惹句の通り、男のスーツよろしく、細部がどんどん精緻になってきているからだ。
 日本の職人の技術、精神の粋が、神宮の造営、神宝づくりに表れているように、日本人の生き方の一例がSRにも見られるような気がする。

 帰り着いて軒下にSRを停め、センタースタンドを掛けた。
 フロントフォークは白く錆が浮き、シミのようになっているが、厚くメッキを施された前後のフェンダーは、数年ぶりのツーリングを終えて、やっぱり輝いている。 


2013.05/27
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帰って来た

2020年01月10日 | バイク 車 ツーリング
 バイク二台を手放した。
 一時期はヤマハの1300を筆頭に、狭いガレージの中にバイク5台を停めていたのだが、無収入で、もうすぐ年金生活に入る者の辛さ、遂にカブ90と、SR400だけになってしまった。
 田舎に帰って6年目。いつまた神戸に戻ることになるか分からない。
 これまでの間、一台だけ、乗って帰って、あとの4台は神戸で留守番だった。
 そして半年経ったら乗り換えに戻り、乗り換えた以外は留守番続行。
 
 それでも神戸に戻ったら全てのバイクに一度は乗るわけだから、車検や保険を切らすわけにはいかない。というより、車検が切れると、何だかバイクに申し訳ないような気がしていた。毎年、車検のためだけに神戸に戻り、乗れる状態にして置くことだけを目的とする、なんてことをしていた。

 しかし、二年に一度の車検の費用も、整備費もバカにならない。何よりこんなことなら乗りたいという人に乗ってもらった方が良いのかも、と思うようになった。
 R1100RSでのツーリングは疲れない。神戸から陸路福島まで行ったこともある。
 燃料はハイオクで高くつくものの、リッター20キロ強というのはリッターバイクにしては安上りだ。XJRはリッター15キロしか走らなかった。小回りが利いて楽しかったけど。
 R80はエンジンが止まっているかと思うくらい静かだった。
 でも、不用意にハンドルから手を放すとハンドルが暴れ回って死ぬかと思う事もある。巡航速度が140キロでも至って平常、というのには驚くしかなかった。
 大きなパニアケースとエンジンガードのおかげで、転倒しても車体への影響はほとんどないことにも驚かされた。
 残念なのは二台ともパニアケースのおかげで、滅多にツーリングだと思ってもらえなかったことだろうか。
 本当はそれが一番残念なことだったのかもしれない、と今にして思う。
 ・・・・・というわけで、正直後ろ髪を引かれる思いで、二台を手放し、とうとうカブだけになったガレージを振り返りながら、数年ぶりにSRで田舎に戻ることにした。

 6万7千キロ近くで留守番(ガレージ番)
に入って4年以上。だから色々心配もあった。それで、車検を通す際、ケーブル類をみんな、前後タイヤと共に交換してもらった。ケーブルが一本切れそうになっていたのを見せてもらった。
 250からSRX4に乗り換え、中年太りで前傾姿勢がきつくなり、SRに乗り換えようと思った。20年余り前のことだ。
 キックのみの始動。僅か26馬力のエンジン。
 「走った後にはネジが緩んで何かしらの部品が落ちている」
 、とからかわれた、評判の単気筒エンジンの振動。
 いいとこなんか一つもない。
 それなのに色々にパーツを換えて、一台として同じのはないんじゃないかと思うくらいに形を変える変なバイク。 
 それがGマークもついたことのあるSRXの御先祖様、SRだ。

 「400って言ってもSRXに比べたら力がないんでしょう?ツーリングに出て疲れませんかね~」
 とバイク店の店主に言うと
 「400という排気量は馬力関係なしに余裕があるから、やっぱり違いますよ。」

 言われた通りだった。一回の燃焼でこんなに進むのかと驚いた。
 SRXよりストロークが長いから、らしい。

 雨の日もお構いなしの通勤バイク。ツーリング、買い物、等々、長い間SRとセロー、日替わりで乗っていた。
 或るとき、妙にエンジンのかかりが悪くなり、数日後、大汗かいてキックアームを踏み込んでも遂にかからなくなってしまった。
 仕方なしに押し掛けで何とか走り出したものの、一旦止まるともういけない。
 調べてもらったらダイナモが雨水のせいですっかり錆び付いてしまっていた。
 当時のSRは一体型で、直すにはエンジン丸ごと載せ替えるしかない、ということで、泣く泣く廃車にして、で、また性懲りもなくSRを買った。

 今度は最初にシート、サイドバー、ウィンカー、テールランプ等付け替えてもらって喜色満面で乗り始めた。
 数年後、またもや浸水。今度は改良型だったので一部だけ交換。
 「雨水が入らないように、隙間を金属パテでとめてみました。」
 見ると確かに隙間がハンダ付けしたみたいになっている。

 或る時は自動車道でスピードメーターのケーブルが切れ、実速度がわからないまま、400キロ。
 或る時は仕事から帰宅途中でクラッチケーブルが切れ、立ち往生。
 北海道ツーリング中、ウィンカーバルブが切れ、家もあまりないようなところでバイク店を見つけ、駄目でもともと、と飛び込んだら、在庫が一つだけあった。
 気が付いたら十八年を超えている。

いつどこで、どこが壊れるか分からない。そんなSRで、田舎に帰る。

 朝6時半。出発する。
 フレームが撚れるような気がする。思ったようにスピードが出ない。
 気がつけば40キロ。距離ではない。時速40キロだ。
 注意してアクセルを開けてないと、50キロを維持できない。
 
 (後半へ続く) 


 2013.05/26
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日御碕(ひのみさき)神社へ

2020年01月10日 | バイク 車 ツーリング
 10月の三連休、最終日に日御碕(ひのみさき)神社へ行って来ました。
 日帰りのショートツーリング。
 と言っても、片道一時間半に満たないんですが。
 ・・・・・・・・でも、気分はツーリング!

 日御碕に行くのは二回目なんですが、前回行ったのは随分昔で、もう二十年以上前のことです。だからあんまりよく覚えてない。
 遠い記憶の糸を手繰ろうとするんですが、どうもそこら中切れていて上手く手繰り寄せられない。

 それでもやっと思い出したこと(そういうことってのは、ちゃんとツーリング日記に書いたから、そこだけ覚えているみたいです)は・・・・。

 日御碕神社は海岸線をくねくねと進んで行った道の先にありました。
 両側から小山の迫った谷間(たにあい)の海近くに、突然、社殿が現れる。
 朱に塗られているんだけれど、潮風ですっかり色褪せ、全く人気(ひとけ)がないのと相俟って、周りの深い緑に溶け込んでしまっている。
 夕刻の西に傾いた陽射しの中では、随分と寂しそうな雰囲気でした。
 由緒書の看板を見ると、例によって、徳川家光の寄進で立派な権現造りの社になった、とある。
 「こんな人気のないところに、こんな立派な神社が?」と思う。
 事代主命を祀る「美保関神社」が、同じ島根半島の反対側、東端にある。
 「日御碕」と「美保関」。書いてみると違う神社だと分かるけど、聞いただけなら「ヒノミサキ」「ミホノセキ」。
 何だか紛らわしい。

 大体、こんなことを思い出しました。
 今回は日御碕灯台には行かない。神社だけ参拝しよう、と思っていたので、急ぐこともあるまい、と、窮屈になったレザージャケットを着込みます。
 勿論、ジャケットが縮んだわけではありません。着る側が膨らんだだけです。
 排気音が久し振りにちょっと変、だから、とキャブレターの辺りを見ると、径一センチ余りの、薄茶色の水玉が沈んでいる。
 現金なものです、それを捨てたら一遍に、機嫌の良さそうな音になった。
 10時過ぎ出発。
 ほどよい秋晴れのツーリング日和。

 連休最終日、ということもあって、結構ツーリングらしいバイクと出会います。
 大方は十名弱のグループで、ソロは二人ほどでしょうか、見たのは。
 手を振ってみるんですが、たまに無視されます。
 そんな時は
 「あ~、無視されたぁ~~」
 なんて思うんだけれど、それより私の後ろについている車が、
 「ん?何やってんだ?こいつ」
 なんて思ってるんだろうな、と思うと、そっちの方が恥ずかしい。

 で、走りながら反省会をする。
 「やめようか?」
 無視されたんじゃなくて、
 「視界に入らなかった」,「見る暇がなかった(そんな余裕はなかった)」?
 それとも反対に
 「バカか?こいつ」と一瞥して無視。
 無視されたんじゃないのか、無視されたのか、さあ、どっち?
 答えはいつも主観で、99%「無視じゃない!」

 目が僅かに動いただけでも、ミラーシールドでなければ何となく感じるものです。ちらっと見たら、ヘルメットが僅かに動く。
 そしてちらっとでも見た者は、まず間違いなく頭をわずかでも上下に動かす。目礼、というやつです。もっと余裕があれば会釈をする。
 走るのに一所懸命でピースサインどころじゃないから。

 それで思いました。
 車に乗っている人でも、普段はバイクに乗っている人がいるかもしれない。
 車の中からは、バイクの一挙手一投足は見えるけれど、バイクの方からは車の中は全く見えない。

 車しか乗らない人は、「バイクに乗ってる者は車なんか眼中にない」、または「バイクは車を無視してる」と思っている。
 けど、バイクしか乗らない人は「車に乗ってる者はバイクなんか眼中にない」、または「車はバイクを無視している」と思っている。

 ということで、車にも乗るライダーは、車に乗ってる時でもバイクに親近感を持ってるだろうし、バイクにも乗るドライバーは、「車がバイクを無視してる」、なんて決めつけない。これ、何だか残念だな、と思います。

 ドライバーのみんながみんな、
 「バイクなんか、地球上から消えてしまえ!」
 、なんて思ってるわけじゃない。
 ライダーの全てが
 「車なんか邪魔なだけだ!」
 と思ってるわけではない。

 だったら、ライダー兼ドライバーが仲介役になって何とか二輪と四輪が気持ちよく走れるような環境、つくれないのかなあ、なんて。

 もやもや思ったわけです。
 「他のこと考えながら走ったら危ない」って?
 大丈夫です。
 バイクに乗ってる時は走るのが楽しくって、そんなもやもやしたこと、深刻に考えてる暇はありませんから。 


2012.10/12


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急に思いついて

2020年01月10日 | バイク 車 ツーリング
 急に思いついてふらっと出発しました。
 水辺を走ることが好きで、それも海沿いより湖の周辺、湖の周辺より川沿い、というのが、どうも好きなようです。

 ここは江の川(ごうのかわ、ごうがわ)の河口にある江津(ごうつ)の旧市街、江津本町から少しさかのぼった所です。
 上流の「粕渕(かすぶち)」というところまで、何となく走って来ました。しばらくは三江線(三次と江津を結ぶ)と並走です。
 春霞の立つ中、田舎の県道ゆえ、行き交う単車もありません。

 流れの明らかな「川」
 流量が多く逆巻くように流れる「河」。
 そして、まるで入り江のように、ゆったりとした水面に漣を立てているだけの「江」。
 勿論、江の川はこれです。相当な上流からこんなゆったりとした流れが始まっている、中国地方一の大河です。
 昔は、この河の穏やかな流れを利用した水運が盛んだったらしく、戦国初期には広島の吉川(きっかわ)氏から分家した、石見吉川氏というのがいました。 

2012.06/02

追記
  長い年月をかけてやっと完成したこの三江(さんこう)線は、度重なる水害(橋の崩落等)や過疎による乗客の減少により、残念ながら廃線となりました。
 江の川の上流から切り出される豊富な木材を収入源とした石見吉川氏の昔から、川沿いに安全な交通路を確保するのが、この地域の悲願だったんですが。
 切り捨てられるのはあっという間でした。

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