これでは事故を起こしてしまう。練習するしかない。
というわけで、早速自動車学校へ行き、ペーパードライバー用の実技講習はないかと尋ね、翌々日に実技講習を受けることにしました。
あの時の「嫌々ながら」、の感じはありません。
不安はあります。
でも、何しろ、庭には、実技講習を受けることを決意させた、届いたばかりの赤いチョロQが停まっている。隣家の車が隣にあって、比べたら半分しかない。そのくせ、車高はある。
本当にゼンマイ仕掛けのオモチャみたいで、どうしたって「嫌だな」という気分にはならない。これに乗れなきゃ、乗る車はない。
一日置いて、教習所へ行き、20年近く触れることすらなかったハンドルを握りました。(教習所への行き来は勿論バイクです)
初め、何とも覚束ない具合だったのが、外周を一周した辺りから妙に楽しくなって来て、本当に劇的空間、
「何と言うことでしょう!」
です。
あれだけ嫌いで不安だったものが、ちっとも嫌じゃない。
あっと言う間の一時間。
あれ?こんなに楽しかった?と不思議に思ったくらいです。
勿論、リーンしながらカーブを抜ける楽しさとか、ひやひやしながらクランクやS字を、でも適度にバンクさせて通る楽しさ、アクセルの開け閉めで倒しこみ、起こすスラロームの面白さ、などはありません。
けど、バイクほどではないにせよ、気分を先に持って行ってハンドルを追随させるような気持ちでいると、面白いように向きを変えていく。これは楽しい。
一日置いて、二回目。
あの時の楽しさをもう一度、と思っていました。でも、まだ、あれじゃあ公道は走れない、と思って、家に帰ってからはハンドルを握っていません。
「何をしましょうか」
と聞かれ、
「ほとんど20年ぶりにハンドルを握ったばかりで。まだ、全部最初からの状態です」
と言うと、
「今日は外に出ましょう。」
えっ?こっちの意見は無視か?
でも、大人ですからね。
「先達はあらまほしきことなり」、です。教える方の見る目の方が確かなんですから。何とかいける、と、踏んでくれたんでしょう。
三瓶山の麓までのショートツーリング。
「まだ、少し力が入ってるけれど、力が抜けたらいいですよ」
と言って置いて
「でも」
と続ける。
「力、抜こうとしても、抜けませんけどね。抜けるようになります」
「何と無責任な!」・・・なんて、ちっとも思わない。
大正解だ、と思いました。
「力が入っていて疲れて来れば、手抜きをして、イヤでも力を抜くようになりますよね」
と言うと
「そうです、そうです。」
こんなことを思い出していました。
初めて、「これも稽古の一つだから」、と演武会に出してもらった時のことです。
何しろ初めてのことだし、日本武道館主催で、年に一回の全国規模のもの。緊張します。
師範代は
「いつもの通りの稽古(演武とは言われなかった)をすればいいんだよ。見てる者は分かりゃしないんだから」
と言われるけれど、何しろ全国から各流の宗家、高弟が一堂に会するわけです。緊張するなという方が無理でしょう。
「新前の自分がヘマをして、不細工な演武をしたら流儀の名折れ」
、なんて、勝手に自分一人で流儀を支えているつもりになっている。
それが出番の前、これまで一度しか一緒に稽古をしたことのない(それも数年前)人と組むのだから、
「一度合わせておきなさい」
、と言われます。
それで、各流派の人が、それぞれに最後のチェックをしているところで同じように合わせてみることになりました。
「いつもの通りの稽古を~」と言われていたものだから、いつものつもりで切り掛かった瞬間、それぞれの流派の掛け声で随分賑やかだった練習場が、静まり返ってしまいました。それどころか動きも止まってしまった。
あれっ?と思ったけれど、こっちのことで精一杯。気を抜いたら怪我をする。
二、三手打った辺りで、師範代が近づいて来られたので手を止めると、
「他の人がいるから、声は出さないでいいよ。」
時間が止まった、「だるまさんがころんだ!」状態になった原因は私にあったわけです。恥ずかしいやら、おかしいやら。
でも、その時、思いました。
緊張していればいいじゃないか。無理に解さなくても。今はそれしかできないんだから。破れかぶれとはちょっと違うんですが。「今、できることをする」
道を見て、「力を抜かなきゃ」、でなく、「ちゃんとハンドル切らなきゃ」と思ってればいい。疲れて来れば力は抜けて来る。
用心は「折節毎に改め」られるようにもなる。車に乗っている人は、みんな当たり前にやっていることなんですから。急いだってしょうがない。
というわけで、やっと車に乗る練習が始まりました。
外から見ることで、バイクツーリングを見る目が、これで少し上等になるかもしれません。
というわけで、早速自動車学校へ行き、ペーパードライバー用の実技講習はないかと尋ね、翌々日に実技講習を受けることにしました。
あの時の「嫌々ながら」、の感じはありません。
不安はあります。
でも、何しろ、庭には、実技講習を受けることを決意させた、届いたばかりの赤いチョロQが停まっている。隣家の車が隣にあって、比べたら半分しかない。そのくせ、車高はある。
本当にゼンマイ仕掛けのオモチャみたいで、どうしたって「嫌だな」という気分にはならない。これに乗れなきゃ、乗る車はない。
一日置いて、教習所へ行き、20年近く触れることすらなかったハンドルを握りました。(教習所への行き来は勿論バイクです)
初め、何とも覚束ない具合だったのが、外周を一周した辺りから妙に楽しくなって来て、本当に劇的空間、
「何と言うことでしょう!」
です。
あれだけ嫌いで不安だったものが、ちっとも嫌じゃない。
あっと言う間の一時間。
あれ?こんなに楽しかった?と不思議に思ったくらいです。
勿論、リーンしながらカーブを抜ける楽しさとか、ひやひやしながらクランクやS字を、でも適度にバンクさせて通る楽しさ、アクセルの開け閉めで倒しこみ、起こすスラロームの面白さ、などはありません。
けど、バイクほどではないにせよ、気分を先に持って行ってハンドルを追随させるような気持ちでいると、面白いように向きを変えていく。これは楽しい。
一日置いて、二回目。
あの時の楽しさをもう一度、と思っていました。でも、まだ、あれじゃあ公道は走れない、と思って、家に帰ってからはハンドルを握っていません。
「何をしましょうか」
と聞かれ、
「ほとんど20年ぶりにハンドルを握ったばかりで。まだ、全部最初からの状態です」
と言うと、
「今日は外に出ましょう。」
えっ?こっちの意見は無視か?
でも、大人ですからね。
「先達はあらまほしきことなり」、です。教える方の見る目の方が確かなんですから。何とかいける、と、踏んでくれたんでしょう。
三瓶山の麓までのショートツーリング。
「まだ、少し力が入ってるけれど、力が抜けたらいいですよ」
と言って置いて
「でも」
と続ける。
「力、抜こうとしても、抜けませんけどね。抜けるようになります」
「何と無責任な!」・・・なんて、ちっとも思わない。
大正解だ、と思いました。
「力が入っていて疲れて来れば、手抜きをして、イヤでも力を抜くようになりますよね」
と言うと
「そうです、そうです。」
こんなことを思い出していました。
初めて、「これも稽古の一つだから」、と演武会に出してもらった時のことです。
何しろ初めてのことだし、日本武道館主催で、年に一回の全国規模のもの。緊張します。
師範代は
「いつもの通りの稽古(演武とは言われなかった)をすればいいんだよ。見てる者は分かりゃしないんだから」
と言われるけれど、何しろ全国から各流の宗家、高弟が一堂に会するわけです。緊張するなという方が無理でしょう。
「新前の自分がヘマをして、不細工な演武をしたら流儀の名折れ」
、なんて、勝手に自分一人で流儀を支えているつもりになっている。
それが出番の前、これまで一度しか一緒に稽古をしたことのない(それも数年前)人と組むのだから、
「一度合わせておきなさい」
、と言われます。
それで、各流派の人が、それぞれに最後のチェックをしているところで同じように合わせてみることになりました。
「いつもの通りの稽古を~」と言われていたものだから、いつものつもりで切り掛かった瞬間、それぞれの流派の掛け声で随分賑やかだった練習場が、静まり返ってしまいました。それどころか動きも止まってしまった。
あれっ?と思ったけれど、こっちのことで精一杯。気を抜いたら怪我をする。
二、三手打った辺りで、師範代が近づいて来られたので手を止めると、
「他の人がいるから、声は出さないでいいよ。」
時間が止まった、「だるまさんがころんだ!」状態になった原因は私にあったわけです。恥ずかしいやら、おかしいやら。
でも、その時、思いました。
緊張していればいいじゃないか。無理に解さなくても。今はそれしかできないんだから。破れかぶれとはちょっと違うんですが。「今、できることをする」
道を見て、「力を抜かなきゃ」、でなく、「ちゃんとハンドル切らなきゃ」と思ってればいい。疲れて来れば力は抜けて来る。
用心は「折節毎に改め」られるようにもなる。車に乗っている人は、みんな当たり前にやっていることなんですから。急いだってしょうがない。
というわけで、やっと車に乗る練習が始まりました。
外から見ることで、バイクツーリングを見る目が、これで少し上等になるかもしれません。
2011.10/23
