CubとSRと

ただの日記

自粛警察、或いは二枚重ねのマスク(思い込みと思い遣り)

2021年03月18日 | 心の持ち様
 以前に書いた日記の一部ですが。

 
 「人もどきから人へ」 (育つチャンス)

  中学生の頃に読んだ雑誌だったと思うけれど、こんな話がありました。

 電車に乗っていると、母親と子供らしい二人連れが乗ってきた。
 その車両には他に乗客がなく、席はどこでも空いていたのだが、その二人は座ろうとしない。
 しばらくして電車が動き出すと、母親は持っていた鞄の中からビニール袋を取りだし、車内のゴミを拾ってはその中に入れ始めた。
 子供も同じようにゴミを拾っては母親に渡す。

 乗っていた車両の端から端までゴミを拾い終わると、ビニール袋を足元に置き、やっと席に座った。近くの席だったので、その人が鉄道の関係者かと尋ねると、そうではない、と言う。
 何か大事なものでも?と再び聞くと、いつも乗せてもらってるから、やっています、との返事。
 「折角、乗っているのだから、車内がきれいな方が気持ちが良いと思って。」

 勿論、乗車賃は払っているのだ。
 そこで考え方が二つに分かれる。
 「金を払って乗ってるのに、何だ、この汚い車両は!」
 「きれいな車両の方が気持ちが良い。汚れていたら掃除をしよう」

 「己の欲せざるところを人に施すこと勿れ」という言葉があるけれど、この言葉を積極的に捉えたら、この話のようになるのかもしれない。
 権利とか義務とかいうのではなく、飽く迄も良かれと思っての行動なんだけれど。

 さて、「金を払っているんだぞ!」というような傲慢な心ではこういう行動は思いつく筈もない。
 それどころか逆に「何だ、この汚い車両は」という、「きれいであって当然」との「思い込み」から不満の方が先立つのが当たり前だろう。

 「謙虚」からの「思い遣り」か。
 それとも
 「傲慢」からの「思い込み」か。

 日本人はどっちだったか。
 そして、それはみんな本当に身に着けているのか。 
・・・・・・・・・・・・・・・
 「自粛警察」がどちらなのか言うまでもない。マスクも「他人様に迷惑だから」自発的にする。

 もう一つ。
 「子供は自由にのびのびと育つのが一番。しつけなんて。大らかな方がいいでしょう?」 
 「小さなおとな。同じ人間なんだから。話せば分かるんだから」
 「子供の時、よく叩かれた。とても嫌な思いをした。だから、子供には手を挙げない。」
 
 状況も事由も違うものをズラズラと書き並べたけれど、実はこれ、共通していることがあります。
 全て、これまでの日本文化にはなかったもの。日本人の特性とは違った発想と意思からのものだ、ということです。
 ここにあるのは「傲慢」と「思い込み」。

 「お金を払ってるんだから」「子供だって同じ人間」「私はよく叩かれたから」。
 これ、みんな「自分の思い込み」が判断基準です。
 そして、相手のこと周辺のことを、全く「思い遣って」いない。

 制限50kmの道を70kmで車が流れている。頑なに50kmで走行するとどうなる?悪いのは70kmで流れている車全体だ。
 みんな交通違反で検挙する?
 そのやり方は実社会で可能か?

 車道は危なくて仕方がないから、歩道を自転車で走る。違反で検挙する?極力スピードを抑えれば、日本では道を譲ってくれますよね?「ありがとうございます」の一言で笑顔だって返って来る。
 ルールというのは、みんなのために良かれと思って作られたものだから、その基本には「思い遣り」があるはずです。

コメント
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