7月18日(日)
昨日の予定。まずSRに給油。
それからパンを買いに三宮まで出る。こちらはリュック背負ってカブで。
9時過ぎに朝食を摂り終え、11時近くになってガレージに向かう。
空気圧は前日の中に点検している。
SRを出してエンジンを掛け、暖気を始めたところで、新品のSRが今日も首尾よくエンジンが掛かったのだろう、町内を一回りして帰ってきたのが見えた。
やはり昔取った杵柄、見るたびに慣れてくる感じが強くなる。
「ただ、右足が疲れる」、という話。
確かに、冬だってキックアームを五回、十回と踏めば汗ばんでくる。ましてや夏真っ盛りだ。
でも、不思議なもので右足でエンジンを掛けるとは言え使ってない方の左足は、基本、体重のほとんどを支えて、右足がエンジンを掛けることにのみ集中するのを手助けしているから、疲れた右足同様、段々に脚力が付いて来る。
やっぱり、もうすぐ八十になろうとするのに、「もう八十だから」と諦めることをせず、「キックだけのエンジンのバイクに乗ることはもうないだろうから、これが最後だ」、と一念発起して購入、疲れると言いながらエンジンを掛けるのにどんどん慣れていく姿、ってのは見ていてこちらも元気になる。
この辺りは、やっぱり必要に迫られて車に乗るのとは根本から違う。
家の前で暖機運転をしている自分のSRを遠目に眺める。
家一軒分離れているところから聞こえてくる排気音は、細いタイヤに負けず劣らず軽い音がしている。
この辺りからSRを見れば、可愛らしいくらいの姿と排気音だな、と思う。
これなら女の子に人気があるのも分かるような気がする。
小柄な女の子がスズキのボルティに乗っている姿はホントに絵になるけど、細身の女性がSRに乗っている姿はそれに引けを取らない。
六十半ば過ぎの短足爺が乗ってる姿は・・・・並べ想像するのはやめよう。
とは言え、SRはメカノイズ(主にタペット音)もあるし、エンジンも慣れてからだってそれなりの覚悟を以て踏み込まなければ掛からない。一旦かぶってしまうとなかなか掛からない。想像をはるかに超えためんどくさいバイクだ。更に軽いとはいえ400cc。それなりに車重もある。
「それでも乗る」というのはその辺のギャップよりエンジンが掛かった時の達成感が大きいからだろう。
「セルモーターが付いたら買う」という意見がある一方、「セルが付いたらSRじゃない」という意見もあって、SR40年の歴史は、この対立の歴史でもあった。
セルフモーターが付けば、ただの凡庸なバイクとなってもっと昔に消えてしまっていただろう。
(実際、徹底的に磨き上げられ、洗練され、実に美しい容姿と能力を持ち、希望に応えてセルモーターも付けられたSRXは早々に廃版となってしまった)
全くどうでも良いことだった(筈の)SRのキックレバーはいつしか必要条件になり、遂には必要十分条件にまでなった感がある。
今となっては「セルを付ける云々」は幸せな議論の時間だったんだと思う。
もうSRは作られないんだから。