鳥取の白ネギ(別名砂丘葱?)みたいなもの、下仁田葱みたいなの(これは昔「氷上ねぎ」として売っていたのを見た)、そして岩津葱にそっくりな「岩津種」と書いてあるもの。
京都の九条ネギを持ち帰って、朝来の「岩津」という地域で栽培されたものが「岩津葱」となった。それも江戸時代からの話。
だから土地の風(?)に馴染んで、気が付いたら九条ネギよりも大きくて太く甘い、独特な葱になった。上品さは九条ネギに適わないが、味も食感も九条ネギを凌ぐだろう。
聞いてみたら、下仁田葱を栽培する人は減ってしまったらしい。つまり「氷上葱」とは、もともと下仁田葱だったということになる。そして陳列されているネギには「下仁田ネギ」と書かれたシールが貼ってある。
「氷上ねぎ」と、どこかの国みたいにしれっとして宣伝しても良いのに。わざわざ「岩津『種』」なんて書かず、「新氷上ねぎ」とかなんとかすればいいのに。
昔聞いた話では、葱は地味の良い、肥沃な畑には向かないのだそうで、鳥取の砂丘ネギや辣韭(らっきょう)の栽培で分かるように、ここ氷上や朝来の岩津も、おそらく砂地に近い水はけのよい土地なのだろう。
研究心の結果が「白ネギ」「下仁田ネギ」「岩津ネギ」等の栽培となったのだ。知らんけど。
「岩津ネギ」は、それをブランド名にして売り出すという戦略に出た。他の土地では使えないようにして、ボジョレーヌーボーみたいに販売月日を決め、一斉に売り出すことにした。以前に書いたように新嘗祭と重なる11月23日がその日だ。その戦略は成功している。
農協の直売所で、この三種を買って、トランクに。
山脈を一つ越え、竹田の町に向かう。
円山川沿いを遡って(と言っても南下することになるんだけど)行く。
前方、南の低山が霞が掛かったように滲んでいる。空も暗く澱んでいる。
雨だろうか、雲だろうかと思いながらしばらく走って、そんなことを思った自体を忘れそうになった頃だった。朝来に入る辺りで時雨に降られた。
でも、屋根を閉めれば済む話。
閉めるだけで問題は霧消する。
困って知恵を絞る、或いは面倒な雨具を着ける、などといった煩わしいことはない。ただ、何とも贅沢な悩みだけれど、後で思い出す楽しみは随分殺がれる。
朝来の道の駅で、予定では同じくネギを買うつもりだった。でも、既に手元には「岩津ネギ種」のネギがある。
折角来たんだから、と並べられているネギを買おうと思って見たのだが「えっ?」と思う。ネギは昨年の半分くらいしか並べられていない。更に普通の白ネギか、と思うくらい細い。きれいだが、何か違う。
買わなかった。
福崎(柳田國男の出生地)近くになって、やっと屋根を開けた。
少し肌寒い風が心地よかった。