「ガソリンスタンドに行って給油してもエンジンを掛けられなかったら、と思うとなかなか行けない」
と言われていたけど、今頃になって気が付いた。
一緒に行って、もしもの場合のエンジン始動係を買って出れば良かったんじゃないか?
2021年12月11日 「それぞれのSR」
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「ガソリンはまだ大丈夫ですか。良かったら最悪の場合のエンジン掛け係について行きますけど」
数日後、買い物から帰って来た時に持ち主が家に入る処だった。急いで行ってそう伝えると、それは助かります、と流石に年長者、申し出を快く受けてくれた。
あの時は、後で「言えば良かった」とは思ったものの、実際のところ「大きなお世話」であることは間違いない。何しろ十以上も年上の人を捕まえて親切の押し売りをするわけだから。
けど、「偶然顔を見たら言うことにしよう」くらいなら良かろう。
そして、偶然姿を見かけた。
翌日、冬用のジャケットにライナーを付け、SRを出してエンジンを掛ける。見ると既に新しいSRが路上に在る。
約束の時間ギリギリに出たのだが、もしかしてもっと早くから用意されていたのかも。
エンジンを掛けて振り向くと、音が聞こえたのだろう、すぐに姿が見えた。
「何とかなりそうです」と言われる。
「まあ、折角だから一緒に行きましょう」とそばに寄ってエンジンを掛ける所を見た。
掛からない。2,3回やっても掛からない。
大体、(エンジン始動に限らず)見られていると気が散ってうまくいかないってことは能くある。うまくいかないから慌て気味になる。エンジン始動の場合は、とにかく上死点を見つけ出してからでないと、ただ力任せに踏み込んだって疲れるだけだ。それに掛からなかったのが分かった瞬間、もう一度踏まなければという思いが頭をよぎり、そのために瞬間、足の力を抜く。そこに、燃焼できず圧縮されただけの混合気に依ってキックアームが弾き返って来る。
セローで、職場の同僚と世間話をしながらキックアームを踏んで足がアームから外れ、脛を直撃されたことがある。
痛かった。でも人目があることだから、何ともないようなふりをして取り敢えずエンジンを掛け、その場から離れて、誰もいないところでバイクを停め、脛をしばらく擦っていた覚えがある。何年も傷跡が残っていた。
SRのケッチンはセローの比ではない。
スニーカーだったし、脛にプロテクターも付けてないようだし、既に二度ケッチンがあったので、掛けさせてもらった。やはり掛からないわけではない。
デコンプレバーは引かないでやっているとのことだったので、ならばとにかくピストンを上死点まで上げて、(空気)圧を抜かなければということで二、三度やり直したら掛かった。
「どこまで行きますか」と聞くと、目と鼻の先のガソリンスタンド。
ええ~っ?面白くない~。
・・・と思ったけど、何しろ主役はあちらだから。
給油中の話。
「ガレージの前に出していたのは、少しでも安心できるように、としばらく周辺を走ってみたから」。
「納車された時に、しばらく練習しなければならないからガソリンを一杯に入れてくれと言っておいた」。
今日、何度も掛けてみて自信が持てた、と言うわけではなかったということか。そして、納車されてから、一度も給油してないということになる。距離計を見ると、まだ二百数十キロ。
情況は色々だけれど、やっぱり似たようなことをしてきてるんだなあと思う。三十五年近くなるけれど、あの頃の感覚、感じたことを不意に思い出した。妙なものだ。