12月19日(日)
今日は日曜日。
日曜日は基本、工事はしない。仮にやったとしても静かな作業をする予定・・・・と言うことで始まった隣地の住居建設工事だったが、「予定は未定」という言葉もある通り、飽く迄予定でしかない。
だから「天気予報はずれる」と同じようなこともあって、でも施工会社からすれば「天気予報は、ずれる」こともあるわけで。
加えて施工会社は直接の工事を下請けに出しているわけだから、なかなか思い通りにはいかない。実際、日曜日が静かだったこと、更に人の気配がなかったことは、この三ヶ月、数えるほどしかない。
だから今日もそんなことになるんじゃないかな、と。
けど、喧しいのは当然の水道管工事は、木金の両日で終えているから、そっちの心配はもうない。少々喧しかった昨日の工事も、木金みたいなことはなかった。今日もどうなるか分からないけど、まあ、あれだけ喧しい作業はもうないんじゃないかな、安心していても良いんじゃないか。
・・・と思っていたら。
本当に今日一日、隣は静まり返っていた。車の出入りするようなことも全くない。
脱線するけど最近の車は本当に静かで、重機を運ぶ大型トラック以外、いつ来ていつ去ったのか全く気が付かない。電気自動車かと思うくらいで、これで本当に電気自動車が世間を走り回るようになったら、喧しいのはバイクだけになるんだろうか。でも、バイクが静かになったら交通事故は確実に増えるんだけどな。
バイクのマフラーからの排気音が車にバイクの接近を知らせていたのだが、車の車内密閉度が高くなるにつれて排気音が車内にまで届き難くなる。
それでバイクの昼間点灯を義務付けることで車からの視認性を高めた結果、バイクの事故は大幅に減少した。
それでも排気音のしない、車並みかそれ以上の速度で走るバイクは車から見れば浮遊機雷どころじゃない。照準の定まらない魚雷みたいなもんで、危険極まりない。電動バイクは偽物の排気音を出しながら走ることになる?
さて。
本当に今日一日、隣は静まり返っていた。
ここまで何もないと却って落ち着かない。たった三ヶ月で身体が慣れてしまったか。
けれど、今日は一日家に居た。出るつもりで用意はしていたけど家に居た。何で出なかったか。
理由は「何となく」。
用事がなかったわけではない。明日は酒を飲む日だから肴の材料を買いに行く、という口実ならある。でも明日のことだから。明日で良い。
「何となく」のもとになった理由。
それは高島暦ではこの土・日は「凶日」だったから。
この数年間、こんなことばかり続けている。これがまた楽しくなってきた。
何とか理由を付けて出歩くのも、それなりの理由を付けて家でゴロゴロしているのも、いずれにしても自ら理由付けをできるからだ。
仕事をしていた間はこうはいかない。自由業であろうが勤め人であろうが、とにかく仕事をしている間はこういう手前勝手な物差しは使えない。手前勝手な理由付けをして行動すると大なり小なり社会に迷惑が掛かる。無職なればこそ許される自由。
その一番便利というか安易な理由付けが吉日・凶日。
平安時代の公家が参内するとき、自邸から何歩で、或いは左右どちらの足で御所の門を跨ぐか決めていて、思い通りに行くように歩幅を塩梅していたとか、思い通りに行かなかったら出直していたとか聞いたけど、似たようなもんだ。「決まりごと」があるようで、実はこっちが勝手に「決めて」いるだけなんだから。
そうやっておいて、何か不都合なことが起これば「うん。それは凶日だったんだから仕方がない」と。
星座占いの「今日の運勢」なんかで一喜一憂するより、よっぽど主体的。