11月16日(火)
今日は父の命日だ。昨年は日付が変わってからそれを思い出したんだったか。
それに比べれば今年の方がマシか、とも思ったけれど思い出しただけで特に何かをするわけでもない。
母の命日だってよく忘れる。姉は母の月命日に好物だった餅を供えたりしていたようだが、その姉も他界してしまって、父母姉の命日を、と考えるのは一人、まだ生き残っている自分だけ。こいつが一番の不孝者で、何もしない。
昨年の父の七回忌だって田舎で法事をするところ、コロナ禍のせいで帰ることもできず、寺に電話だけ入れて無しにした。
法事をすると言っても家に来てもらってお経を読んでもらうだけのこと。参会者ったって自分一人。
だからこの異常事態が収束すれば、帰って一年遅れだけど七回忌をしてもらう、いや、一人だけだから寺に参って読経だけお願いしたい、と言ってはいたのだが、まだ微妙な状態ゆえ、今年はその連絡さえせずに今日になった。
法事ってなんだ?故人を偲ぶためにする行事だ。
法事は誰のためにする?そりゃあもう決まっている。生き残っている者のためにやるのだ。
生き残っている者が故人を思い出す(偲ぶ)ためにやるのだ。
血縁のない者がやったって意味がない。けど、血縁のない者がやってこそ意味がある。要は「思い出す場をつくること」、だから。何かにつけて「思い出」したり「偲」んだりすることが大事なんだ。
生き残っている者は故人を偲ぶことで、そこから何かを得る。そうやって世間を作り、動かしている。