先日の喫茶店でのこと。
カウンター席の高齢の女性が、椅子から立ち上がる時に話している声が聞こえてきた。
「こうやって、ゆ~っくり立てば痛くないねん」
どうも膝だか腰だかが、痛いらしい。
若い時のようにサッと立てないのは、そのせいだということを他のもっと若い客に話している。
そうだ、何も考えず、いつもの癖で初動時、力を蓄えずに不用意に何かをしようとすると、関節や筋に痛みが走る。それも想像もしなかった激痛が走り、一瞬身体が硬直したりする。身体が動き始めてから激痛に襲われると、バランスを崩して転倒する可能性もある。
足を挙げたつもりでも、意識しないで歩を進めたら僅か3センチ程度の段差で躓き、転倒→骨折という話も能く聞く。
それで思うのだが「歳を取って筋力が衰えているから」と、体操をすることは奨励されるけれど、3センチの段差では躓くけど30センチの段差となると躓くことは滅多にないということを考えることはあまりないんじゃなかろうか。
何でだろう、と考えるまでもない。30センチの段差ともなると、無意識に越えることはあり得ない。若者だって意識する。意識しないで越えることの方が異常だ。歳を取ってからは、まずないだろう。
大きな段差では躓かないのは、見て、意識して、それなりに「難度が高い」と、それこそ「無意識に」了解するからだ。
無意識に動こうとすると思いもよらないところに激痛が走る。ゆっくり動こうとすれば、不思議なことに痛みはあっても辛抱できる範囲内のものであり、激痛にまでは至らない。
だからと言って、その都度おそるおそる「ゆ~っくり」とやっていれば筋力はますます衰える。
じゃ、どうするか。それについて最初の話でふと思ったこと。
それは「ゆ~っくりと」、でも「おそるおそる」ではなく、「立ち上がるぞ」「段差を越えるぞ」と、頭の中で常に己の身体に命令していたらどうか、ということだ。
日常生活にアトラクションは要らない。ケガをしたり、寝たっきりになりたくなければ、確実に地に足着けた生活が一番。階段を勢いよく駆け上がるより、一段飛ばしでゆっくり上がる方が良いのではないか、と。
(逆に「全てのことがアトラクション」、ということにして楽しむ方が良いのかも。)