再掲します。
「主権回復の日」のことについて (天皇親政とは)
2020年01月19日 | 重箱の隅
2013.03/15 (Fri)
「狼魔人日記」中、「『屈辱の日』か『主権回復の日』か」、と題されたエントリーです。初めに氏の追想、次に琉球新報の記事、それから、本題です。
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■「日本国への帰国を証明する」・・・パスポートに押されたゴムスタンプ
半世紀以上前の話。
筆者がまだ10代の紅顔の美少年?のころの出来事である。
進学のため米軍占領下の沖縄を後にし祖国日本の出入国・通関に足を踏み入れたときのことを昨日のことのように思い出す。
携行していた「パスポート(日本旅行証明書)」を通関に差し出したとき、審査官は学生服姿の筆者を見て微笑みながら声をかけてくれた。
「進学のため?」
「はい、そうです」
審査官は高校の制服制帽姿の少年に終始優しく対応した。
審査官はパスポートにゴムスタンプを押し、それに署名しながらこういった。
「しっかり勉強しなさいよ」
「はい」
口下手の少年は審査官の優しい対応と励ましの声に、心の中で「ありがとう」とつぶやいたが、それを口に出して言うことができなかった。
後で、パスポートに押されたスタンプを見て、感動がこみ上げてきた。
スタンプには「日本国への帰国を証明する」と記され、審査官の署名がされていた。
「日本国への入国」ではなく「帰国」という文字に感動したのだ。
それまでの認識では米国の統治下にあるので、沖縄人は日本国民ではないのではないかという疑念を持っていたが、「沖縄の潜在主権は日本にある」とも聞かされていた。
そのせいなのか、沖縄で戦後教育を受けた少年は、小学、中学、高校と文部省教科書で教育を受けていたが、そのことには何の矛盾も感じていなかった。
少年は、「潜在主権」の意味がよく理解できないまま祖国日本に上陸し、通関手続きで「日本国への帰国を証明する」という審査官の署名つきスタンプを見て初めて「潜在主権」を身を以て実感したのであった。
だが、その「潜在主権」という文言が、昭和天皇の「天皇親政」で生まれた「天皇メッセージ」の成果であることを、少年はその時知る由もなかった。
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この4月28日を日本が独立を回復するため沖縄を米国に売り渡した「屈辱の日」などと叫ぶ勢力がいる。
そして政府が日本が独立を回復したサンフランシスコ講和条約発効の日の4月28日を「主権回復の日」として政府主催の式典を開くと表明して以来、またぞろ沖縄2紙が発狂を始めた。
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~琉球新報より~
4月28日「屈辱の日」に式典 首相「独立認識する日」2013年3月8日
安倍晋三首相は7日の衆院予算委員会で、1952年にサンフランシスコ講和条約が発効し、沖縄が日本から切り離された日に当たることし4月28日を「主権回復の日」として、政府主催の式典を開く方針を明らかにした。県内では、基地重圧の源流で米軍の圧政が固定化したこの日を「屈辱の日」と呼ぶだけに、反発の声が上がっている。
1952年の講和条約発効により、日本は占領統治から独立を回復したが、沖縄は米軍統治下に差し出される形となった。
自民党は、昨年の衆院選公約に「主権回復の日」を掲げており、首相は「実施する方向で検討している」と明言した。近く閣議決定する。
首相は「主権を失っていた7年間の占領期間があったことを知らない若い人が増えている。日本の独立を認識する節目の日だ」と意義を強調した。
(新聞記事ここまで)
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米軍統治下の沖縄の法的地位については「米軍の信託統治で施政権を放棄した」など誤解が多い。
共産党など反日サヨク勢力が「屈辱の日」と声高に政府を追及するのは何時ものパターンで特に気に留めることもないが、県内の保守系論者の中にも米軍統治下の沖縄の法的地位について誤解が散見される。
例えばこんなように。
<サンフランシスコ講和条約は、日本は主権を回復しました。しかし、第3条で奄美、沖縄は米国の信託統治領となり、行政、立法、司法権を失ったからです。沖縄にとって、4月28日は主権回復の日ではなく、正反対の主権喪失の日だったのです。>
沖縄が米国の信託統治だったと言うことは大きな誤解である。
確かに米国は沖縄侵攻の当初から、沖縄を米軍基地として永久に統治する意図が有り、その遂行のため、沖縄人と本土出身者を分断する占領政策を行ったことがよく知られている。
(略)
だが、実際は米国は「沖縄を信託統治にする」と提案はしなかった。
したがって日本が同意することもなく、沖縄が米国の信託統治に委ねられることもなかった。
これが歴史の事実である。
では何故米国は沖縄を永久統治の意図がありながら、その提案をしなかったのか。
反日サヨク勢力が声高に叫ぶ日本は「沖縄を売り渡して主権回復した」という状況の当時、米国は何故「信託制度」の提案をしなかったのか。
そこには冒頭に触れた「潜在主権」というキーワードと、これを当時の誰が思いついたかという点が問題になってくる。
実は主権のない米国占領下の日本で、誰も沖縄のことなど考える余裕のない昭和20年代初期、ただ1人の人物が占領下の沖縄のことを憂慮していた。
其の人物はただ1人、絶対的権力を持つGHQのマッカーサーと複数回個人的面談をし、沖縄を日本の主権を残したまま「暫定的リース」の形で米軍の使用を認めるという当時の日本の政治家が考えも及ばない「奇策」を伝えた人物だ。
昭和天皇のことである。
そして、その「奇策」こそが「天皇メッセージ」として現在伝えられているものである。
「天皇メッセージ」とはいっても天皇が記したメッセージが残っているわけではない。
当時宮内庁御用掛をしていた寺崎英成が「天皇独白録」として書き残したものと、当時マッカーサーの政治顧問をしていたウイリアムシーボルトが米国務省に書き送った手紙から類推したものである。
シーボルトの手紙によると、昭和天皇は、宮内省御用掛である寺崎英成をダグラス・マッカーサー元帥の政治顧問であるウィリアム・シーボルトの下へ派遣し、「米国が沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を継続するよう希望する」との同元帥宛のメッセージを伝達されたとしている。
この手紙はは1979年に発見された米国の公文書で判明したもので、この手紙を以って日本国内の反日反米の左翼勢力は「沖縄を売った」などと強調するが、実に許し難きデマ宣伝である。
(以下略)
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「米国は沖縄侵攻の当初から、沖縄を米軍基地として永久に統治する意図が有り、その遂行のため、沖縄人と本土出身者を分断する占領政策を行った」
にも拘らず、それをしなかった、ということと、天皇が
「沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を継続するよう希望した」
、という文言を繋げると、
「沖縄を売り渡して主権回復した」
という結論を導き出すには、些か以上に無理があります。
反対に、「軍事占領」ならば、「信託統治」ではないのだから、時局が安定すれば、返却しないという理由がなくなります。