CubとSRと

ただの日記

コロナ宣伝戦(プロパガンダ)をみれば南京大虐殺のウソがわかる。

2020年08月21日 | 重箱の隅
 Will9月号別冊 「習近平中国の暴走が止まらない!」
 を買って来て読み始めた。
 いつものことながら、雑誌というものは刺激的な標題をつけることで読者の目を惹こうとする。これは右も左も変わらない。けれど、そうやって感情を刺激するのが物を考える際のきっかけになることも多い。
 今回は、その中の対談の一部を。

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 「コロナ宣伝戦(プロパガンダ)をみれば南京大虐殺のウソがわかる」
 石平 (評論家)
 竹内久美子 (動物行動学研究家)

 ~(略)
 竹内 
 「武漢ウイルス」はまるで第三次世界大戦の様相を呈していませんか。中国+親中国vsその他の国と。そんな中で、中国共産党のプロパガンダがすさまじいですよね。
 石平
 中国は伝統的に宣伝戦を重視します。その証拠と言っては何ですが、武漢でのウイルス拡散を、中央政府が初めて公式に認めたのは一月二十日。それから五日後、対策チームが発足します。トップは李克強首相ですが、副リーダーを見ると驚きます。誰かと言えば、最高指導部である中国共産党中央政治局常務委員会のメンバーの一人、王滬寧(おうこねい)。彼の担当はイデオロギーと宣伝!
 竹内
 感染症対策本部なのに・・・・。
 石平
 中国宣伝部部長も対策チームに入っています。ところが、衛生部長や国家衛生健康委員会委員長は、なぜか参加していない。
 竹内
 それだけ宣伝戦に力を入れている証拠ですね(笑)。感染症が広がることはどうでもいいんでしょうか。
 石平
 中国共産党は「感染症対策=宣伝工作」と見ている。人民の命を守ることよりも、宣伝工作によって人民をいかに騙し、国際社会の目をいかに欺くかーそれがすべて。
 前例があります。二〇〇八年、北京五輪開催の直前、四川大地震が発生しました。その即日、温家宝首相(当時)が、被災地を訪問。それと同時に北京では中央宣伝会議を開催しています。被災地の救出・救援は後にして、宣伝工作が優先されているわけですね。
 竹内
 中国共産党のすさまじさが表れています。中国は武漢ウイルスを自国初ではなく、日本、あるいは米国発であるとのキャンペーンを始めています。こんなウソに国際社会が騙されるとは思いませんが、過去の中国を見ると、そうも言っていられません。下手をしたら「南京大虐殺」のように何十年か後には、それがあたかも"真実"であるかのように定着してしまうかもしれない。実際に、日本は中国の執拗な宣伝戦に敗北している面もあります。その証拠が先の教科書検定ではありませんか。南京事件の記述はいつまでも残り続けているのです。

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 「宣伝」と言えば、何んとなし、我々日本人は「営利目的の」情報拡散活動、と思ってしまうけれど、本来の「宣伝」は文字通り「宣り、伝える」。そして、言葉にして広めること自体は営利活動と同じではない。
 そう考えると、却って「宣伝部」とか「宣伝相」・「宣伝省」ってのは、「皇国」や「王国」以外の国にとってはあって当たり前のものと言えるのかもしれません。そこをしっかり押さえないと人民は権利の主張をするばかりになり、「国家」は存続できなくなるでしょうから。

 それにしても次から次へと大陸の各所で爆発事故が起きていますが、どうなってるんでしょうね。宣伝活動はうまくいっているから、日本のメディアで大きく取り上げられることはないみたいですが。
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今日は敗戦の日

2020年08月20日 | 日々の暮らし
 8月15日
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 人は教育されることで人間となっていく。
 愛情が大半で躾が少々、の家庭教育から始まり、小中学校では、「躾」は家庭で為されているものとして、今度は社会のルールを教え込まれる。
 だから、ここで反戦思想VS皇国史観、みたいな妙な事を教え込まれても、子供は当然のことのように受け入れる。
 「機銃掃射をされて同級生が死んだ。(だから米軍が悪い、のではなく)無謀な戦争を始めた日本が悪い」とか。

 同じく「日教組が悪い。教員が悪の元凶」というのも大きな間違い。ここにも「子供は何でも『当然のこととして』受け入れる」という考えを適用すべきである。
 教員のほとんどは社会科教師ではない。それ以外の国・数・理・英・音・美・保体・技家の免許しか持ってない。更に「国史」という学科自体が存在しない。
 そして国史(国史観)を学び、実践しようとしている教師などまず存在し得ない。
 精確に言えば「『社会科』教師は存在しても、『国史』の教師は存在し得ない」。授業の一環として社会科は学んだとしても、国史(国史観を持つ)を学び、実践しようとする教師など、まず存在できない。
 
 つまり、教員のほとんどは理論上、子供のまま、であって、「子供は(何事も)当然のように受け入れる」。
 社会科教員も含め、教員のほとんどは、まともに習ったことのない「国史」を、知らずマルクス社会主義的唯物史観の「歴史を見る目」で語られた「事実」で批判し、当然のように廃棄すべきものとして把握する。

 そして、当然の結果としてその教師は生徒に、ただ「戦争はいけない」、と「負けたのは負けた国が悪いから」(悪い=勝てる筈のない戦をした)、と教え込む。
 
 確かに発せられたのは「終戦の詔勅」だけれど、現実に以降7年間にわたって占領されたのだから、「敗戦」は事実。目を逸らしてはならない。


 
 
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どうなるかな

2020年08月19日 | 心の持ち様
「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和2年(2020)8月18日(火曜日)弐
       通巻第6623号  
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 民主党大会直前のCNN調査。トランプが明瞭に巻き返した
  バイデンとの差が14%から4%に劇的に縮小(CNN)
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 あの「トランプ叩き」で悪名高きCNNの世論調査が8月17日に発表された。
トランプとバイデンの差が4%に縮小していたことがわかった。六月の同調査は14%の開きがあった。通常、5%から6%程度の差は誤差の範囲だが、14%もの開きではさすがにトランプ選対に赤信号がともった。

 そのうえバイデン陣営はハリス上院議員を副大統領候補に指名し、左翼メディアは「素晴らしい選択」と褒めあげた。したがって支持率はもっと上がる筈だった。
 ハリス女史は父親がジャマイカ、母親がインド人。このためインデでは多くのメディアが騒いだ。 

バイデンがハリス上院議員を選んだ理由は(1)女性(2)非白人(3)マイノリティ出身という三大原則によるもので、彼女の政治的資質も政治的哲学、思想、政策履歴もなにも問わなかった。

ここでリアルを有権者がみることになった。
アルツハイマーのバイデンは途中で降りることになる。大統領という激務にも耐えられないが、自宅の地下室からテレビを通じてだけの選挙戦。失言を怖れて録画する。

18日から始まる党大会にも出席せず、テレビ会議方式になる。ということは、もちろんバイデンが当選しても、四年も大統領職を続けることは考えにくいから、途中からハリスが、大統領になる可能性が高まる。
それが不安を掻き立てることになったのではないか。

 とはいえ、ミズーリ、ウィスコンシン、フロリダ州などで、共和党と民主党はデッドヒートを繰り広げており、とりわけ中西部農業州とラストベルト地域で、トランプはひとつでも落とせば、再選に距離ができる。

もとより西海岸とハワイ、ならびに進歩派とリベラルが圧倒的な東海岸の北東部は共和党が弱く、NY州、ワシントンDC、ハワイもバイデンに行くだろう。

 このあとの決戦はテレビ討論になる。
惚け老人のようなバイデンと、かたやエネルギッシュなトランプの舌戦が展開されると、一般的印象としても、パワフルな候補者が有利である。
そこで民主党支援のアジビラ的なNYタイムズが、このテレビ討論会を中止しようと言い出したのだ。   

    ☆○▽◇み◎○△□や○△□◇ざ◎○△□き△□☆☆   
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・副大統領候補にハリス上院議員を選んだ理由は女性・非白人・マイノリティーという外面のアピール要素から。肝腎の政治的資質も政治的哲学、思想、政策履歴も不問。
・バイデンが当選しても、途中からハリスが大統領を引き継ぐ可能性が高い。
 (政治的資質・政治的哲学、思想、政策履歴等は現時点で全く考慮されてないのに?)
・パワフルな候補者が有利なテレビ討論会で、バイデンがトランプを凌駕することができるか?
 (そこで民主党支援のアジビラ的なNYタイムズが、このテレビ討論会を中止しようと言い出した)

 四年間続けられるか、体力面のみならず、精神面でも不安のある大統領候補。
 大統領職を途中から引き受けなければならないかもしれないのに、政治能力、姿勢が未知数な上に、つい先日まで大統領候補であるバイデン氏を酷評してきた副大統領候補。
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梅雨が明けた

2020年08月18日 | 日々の暮らし
 7月31日

 午前中、久しぶりに喫茶店に行く。ニブラを100グラム買って帰る。
 挽いてくれと言わなかったような気もするが、言ったような気もする。
 いや、やっぱり言ってなかったんだろう、受け取った時の手触りで「挽いてもらいました?」と聞く羽目になる。やっぱり言ってなかったようだ。
 聞き間違えるような店主ではないし、でも、「聞いてません」と、取り付く島もない、客の神経を逆なでするようなことを言う人でもない。

 改めて挽いたものを渡しながら
 「今日、梅雨が明けたみたいですね。『午後から降るかも』というのも、なくなったみたいです」。
 何となくカブで出たのだが、一日走り回るつもり、と見られたのかも。当たらずと雖も遠からず。結局、予定通り夕方まで、あちこち用事で走り回っていた。

 やっと梅雨が明けた。
 「もう台風でも来ない限り、しばらくは風雨に悩まされることはない。」
 ちょっとでもいつもの夏を思い返せば、今度は「暑くて日中は二階に居られなくなる」と、うんざりする筈なんだけど。やはり嫌なことは思い出したくない。「夏は冬に憧れて 冬は夏に帰りたい」というオフコースの曲の歌詞通り。
 でも、こういうのって、結構いいかもしれない。
 積極的な能天気、意図的な脳内お花畑。好きなことを拡大解釈して、いや、好きな部分を凝視してしっかり掴む。
 批判的に物事を見詰めようとすれば、一方を凝視すると対極にあるものはどんどん負の部分が増してくる(明らかになる)けれど、肯定的に行えば、画面全体の色合いが明るくなる。

 それで、というわけじゃないんだけど、「ニブラ、ってどこの言葉だ?」という素朴な疑問。
 確か正式には「サントス・ニブラ」だったと思う。ならば、ニブラは地名?いや、「サントス」港から積み出されるから「サントス」だった。
 ということは・・・、サントス港周辺の地名か、それとも人名か。

 勿論、ネットで検索。驚いた。
 「ニブラ」って、「ニッポン・ブラジル」で「に・ブラ」なんだって。
 神戸の萩原珈琲がブラジルの鑑定人と契約して選定し、輸入しているから。
 「シロガネーゼ」と似たような発想・・・ってことはないか、「ニブラ」の方は全く日本語だとは思わなかったから。 
 
 
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エコ袋がない!

2020年08月17日 | 日々の暮らし
 7月30日

 今日も雨が降るかも、ということだったが、その時は閉めればよい、ということでコペンで道の駅へ。
 野菜を買って、レジへ持って行こうとしたら、持ってきたはずの袋がない。
 確かに持ってきた筈だが?
 いや、例によって「~のつもり」、のいつものボケ一歩目、かも。
 ・・・と早々に行動の肯定は諦めて、カゴをレジに預け、「袋を取って来ます」、と車のところに戻った。

 助手席側から覗き込んだけど、やっぱり、ない。家を出るときに助手席の足元に置いたCDボックスの上に置いていたのを見ているし、車を降りるときに再度この目で確認したんだから。間違いなく持って降りた。
 ということは何も考えずにトランクに入れた?それとも車の周りを移動したときに、左わきに挟んでいたのが脇の締め付けが甘くて落としてしまった?

 トランクの中を見た。ない。クルマの周囲を見た。やっぱり、ない。
 じゃ、根底から記憶間違いだったんだ、家に置いてきたんだ、そうに違いない。今日のところはレジ袋を買おう。
 
 車の周りを一通り見て、店までの経路も眺め、やっぱり店の中で脇に挟んでいたのを落としたに違いない、脇の甘いのは心身共に、ということだなと猛省しながら店に入る。
 でも、まだ未練がましく今度は店内での動線を辿ろうとした。そしてその一番初め、トマトの並べられているところに、見覚えのある畳まれた布袋を発見する。
 
 「カゴに入れたら店の人に悪い(もしかして、コロナウイルスがついているかもしれないのだから)」と、脇に挟んだままトマトを選んだときに、棚の上に落してしまったものだろう。左わきが甘かったのは間違いない。
 他の買い物客の間を、「すいません」と言いながら手を伸ばし、袋を取り上げると、レジの人もそれを見ていた。

 何しろ前科がある。まだレジ袋に入れてもらっていた頃、買い物をしておいて、受け取ったレジ袋をレジの前の棚に置き、お金を払ってそのまま手ぶらで帰った。
 帰路、途半ばでドラッグストアーに行き、その帰りにトランクを開けて、初めて「あれ?買ったものが入ってないぞ?」と気が付き、また引き返すといったこと。
 その時もしばらく考えてから、やっぱりこんな単純な経路だったから、引き返すしかないということで戻ったんだけど。

 今回はただのボケではない。ただのボケなら罪は許す、ボケなんだから。
 でも、今回は左わきが甘かった、ということで猛省しなければならない。執行猶予なしの実刑判決だ。
 これまで何十年も気を付けてきたはずの左脇の締め。習い性になってしまっているから、と油断して生きた結果がこれだ。

 ・・・・と言って、「ここで笑ったら腹筋」、なんて具体的な罰があるわけじゃないんだけどね。とにかくこれはボケとは別問題!

 
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