ごまめ~の~いちょかみ・Ⅱ

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ライブとしてのみ存在する・という落語の本~・落語論

2009-08-19 00:08:43 | 本の少し
落語論
堀井憲一郎
講談社現代新書・720円
☆☆

のっけから、落語とは、ライブとしてのみ存在すると、
本を書いておきながら、矛盾した内容。
ただ、全編読めば、あくまでライブで落語を聴くためのガイドブック
それも、マニアックに、こと細かに、そしてしつこく理論っぽく・・。

二、三、気になった箇所を

☆「言葉」より「音」のほうが大事。

落語が繰り返し聴けるのは、落語が歌であるからだと。
落語の上手い、下手は、この歌の部分に出る。・・・まさにそうである。
落語家の差は、音の出し方であり、リズムが大事。
そして、沈黙もリズムと筆者は言う。

☆「フラ」という言葉は使わずとも落語は充分語れる。

「フラ」、その言葉自身、指し示す範囲が漠然としている。
でも、何となくその方向は解る。だから便利だといって、むやみに
素人が使うのはいかなるものかと。
「フラ」という言葉を使わずとも、充分落語は語れると・・。

私も、同じように感じながら使っている言葉に、「ニン」がある。
その人のキャラクターにあっている。その人の雰囲気にあっている
各噺家さん、そのまま、それなりというような、噺があるときに。
ことこまかに、そしてうまく言えないので、「ニン」があっていると
常々使ってしまっているが、反省でおます。

「フラ」という言葉、芸人さんが使うのはそれでいいが、
芸人さんのための符牒のものを、素人が使ってならないと、戒めている

☆客観的な批評などできない。

私も同感であるが、少なくともまず好き嫌いにとらわれてしまう。
まったく平等に落語を見ることは、ほぼ不可能である。
落語はどこまでいっても、個人的体験にすぎないと。
それは、落語の多様性より、人間の多様性にもとづく。
百人の人がいれば、百通りの、落語とは何かが存在すると。

私は、たまに、落語で一緒になるお友達に
「好きな落語家さんは・・」と聞くのが、とても好きでおます。
それを聞くと、なるほどと思えるのか、なぜと思うのか
その噺家さん一人あげるだけで
そのひと、その嗜好性が、何か、解るような気がするからです。

上方落語家、二百数十人、自分の波長とあう好きな噺家さん
見つけるのは、楽しおますで・・。
その為には、まずは多くの落語家さんの噺を聴くことですが。

まずは、落語会に足を運び、生の落語に接すること。
この本は、その為の、お誘い本ですが、あまりにもこと細かすぎて
落語好きなら、なるほどと納得する箇所も多々ありますが、
決して入門編とは言えない。

まあ、落語に興味のない方は、パラパラと本屋でめくれば
決して手にされることはないので大丈夫だと思いますが、
私には、何となく、これから何度も読み返す、予感のする本でおますな。







落語論 (講談社現代新書)
堀井憲一郎
講談社

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