落語進化論 (新潮選書) | |
クリエーター情報なし | |
新潮社 |
☆☆☆☆
「落語進化論」、立川志らくの新潮選書からの二冊目。
題だけ見ると、「落語が消えゆく世界」、「稽古をする落語家にろくな奴はいねえ」
「たちきりなんざ誰にでもできる」、「名人の落語を聴くと眠くなる理由」とか、
まるで、喧嘩を売っているような題が並ぶ。
でも中身は、落語を愛し、真っ向から落語に挑戦している志らくさんがいる。
落語は、演者と客が価値観を共有してこそ、共に楽しめると、「落語は客を笑わせるのが
第一義だから、一人でも多くの客を笑わせなければならない」という考えもあるが、
談志の生き方を是とする志らくさんは、「いけなくはないが間違いだ」と言いきる。
そして、志らくはその日の気分でネタを選ぶ。お客さんを楽しませようという意志は勿論あるが「自分が楽しく感じなければその日の落語会は負け」だと・・・・芸術肌と称されたりもしたが、これでは来た客全員を満足させることは出来ないと自覚しながら、客を横に広げるのではなく、縦に広げる芸であると自己分析している。
そこには、落後はただの娯楽だと考える落語家と、落後を自分の活き様を見せる芸術だと考える落語家が存在する。
そして、落語を面白く表現する一番の近道は「噺の本質」を見抜くことと・・・。
歌舞伎の富十郎さんが、対談で「芸を継ごうとするとテンポが遅くなる。近頃の芝居はだらだらと長い。」
落語でも、「長い噺、すなわちいい芸」と思いこんでる節がある。
落語は極力、刈り込むべきである。覚える時には目一杯の長尺で覚え、稽古をしながらそぎおとしてゆき、年齢を加え人間としての深みが出てきたら、演出を変えて少し長くする。志らくさんが現時点でのベストの作品へのアプローチを披露している。
落語は、落語家自身を主体に考えるならば、必ず飽きがくる。真剣にし続けてもいつかは飽きる。それが芸の本質だと、落語に飽きない落語家の芸には安定感があり、いつでも楽しめるが、刺激が少ない。反面、落語に飽きる落語家の芸は不安定だが、客をも狂わせるぐらいの衝撃を与える可能性がある・・・揺れ動く、志らくさんの本音が揺れ動く。
そして最近、「普通に落語を演じているだけなのにここまで面白いなら、勝負にならないな」と志らくさんに思い知らせた落語家として、柳亭市馬さんをあげている。観客に戻っている自分を発見し、素直に良いものはものは良いと素直に認めている。
この本ででてくる志らくさんが思う、魅力的落語家さんを列挙すると、
志の輔、談春、談笑、市馬、昇太、白鳥、花禄、三三、たい平、喬太郎、彦いち、百栄、一之輔、白酒、などなど。
将来のスター候補も頭角をあらわし、落語界の未来は明るいとまで、明言している。
そして、流行は時代を動かすが、文化はマニアがつくるというのが、志らくさんの持論であり、今の落語が単なるブームで終わるこのと無いよう、進化すべき落語とは、進むべき道はと、心の内が語られている落語本でおます。