![]() | 草や木のように生きられたら (ヨシモトブックス) |
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ワニブックス |
☆☆☆☆
誠に、粋なお師匠さんでおます。
本のタイトルの「草や木のように生きられたら」とは、まさに今の心境では。
実は、丁度私が中学三年の時だと思いますが、1967年9月~1968年7月までの
一年間毎月、梅が枝町の電子会館であった「実験寄席」に通い詰め、
聴いた松之助さんの落語「仔猫」「淀川」「生貝」「三十石」「高津の富」「桜の宮」「ざこ八」
「人形買い」「蛇含草」「堀川」、渋いですな、今なら食い入るように聞いているんでしょうが、
当時は仁鶴さんや小米(枝雀)さんのおもしろい噺に夢中だったんでしょうな。
松之助さん、1925年生まれ、まず1948年に五代目笑福亭松之助に弟子入り、
1950年師匠が死去、そのあと四代目米團治師匠に弟子入り、その師匠も
1951年に急逝。その年に宝塚新芸座で芝居を、蝶々さんとはコマ劇場に、
1953年にはラジオ番組「漫才学校」のメンバーに、その後吉本へ演出も、
1959年の「吉本新喜劇」の第一回目から作・演出・主役で参加。
今の新喜劇の初代座付作者だったんですな。その後松竹芸能へ移籍。
1964年には千土地興行へ移籍。1969年に吉本復帰。
ようやく、丁度この前に、先ほどの落語会でお会いしてるんですが、
この履歴、凄いですな上方の喜劇、芝居の歴史、そのものですな。
松之助さん、勉強家で読書家で、この本でもあらゆるジャンルの本から引用されている
晩年になるほど、「人間はなぜ生きなければならぬのか」の答えを得るために
仏教書を読んだり、まさに理論派で学術肌だった米團治師匠に似てきたような・・・。
その師匠の言われことで覚えているのは、「いまから落語を上手にやろうと思いなや。
落語が陰気になるから」「いま、僕のいう通りにやったらあかんで。今はただ覚えておく。
わたしと同じ年になったら、ああいうてたがホンマやったなぁと気が付くから」と。
気になって附箋をしているところをみると、
芝居での「寸法のわからない役者」とか、
般若心経講義から、「浜まで海女も蓑きる時雨かな」とか、
「落語は伝承芸ではなく、サービス業である」とか、
「芸人に上手も下手もなかりけり 行く先々の水にあわねば」とか・・・
一つ一つ説明してたら、切りがないので、ひとまずこれまで・・・・。
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