モノ書きピアニストはお尻が痛い (文春文庫) | |
クリエーター情報なし | |
文藝春秋 |
☆☆☆
なんとも、濃縮100%のエッセイ。
現役ピアニストでありながら、エスプリ満載のエッセイスト、青柳いづみこさんの本。
音楽家と文筆家の二足の草鞋というより、ご自分の分野である音楽に対しては、
小気味いい、いたって辛口のコメントが続く。
でも、ドビュッシ―からはじまり、近代へと繋がるとどうしようかと思っていると、
モーツァアルト、シューベルト、ブラームスそして大好きなシューマン、ロマン派へと
・・つながる。
モーツァアルトのピアノ曲は、子供のころが一番上手で、そのあと一時的に下手になり、
また年齢を重ねるごとにだんだん上手になっていく、そんな性質を持っていると・・・。
ニュートラルなシューベルトの作品では、作曲家自身の個性や自己主張を超えて、
メロディや和声進行そのものの美しさが、直接私たちに語りかけてくる。
そのめまぐるしい転調には、たしかに、夢遊病者のような、
超感覚的なところろがある・・・・と。
ラヴェルとドビュシーの作風を決定づけているのは
もしかしたら彼らの体型かもしれない。と思うことがある・・と。
やねぎすで鋭角的な線に囲まれ、いかにも体が固そうなラヴぇルと、
ずんぐりむっくりでどこもかしこも円く、歩くと猫のように音がしなかったという
ドビュッシー。
シューマンは、あるとき演奏旅行に出かけたピアノの名手である妻クララへの
手紙の中で、いささか自嘲気味に告白している。
「君がぼくの曲を弾かないのは正しかった。・・・・・・・
・・・・それらの曲は大衆向きではないからね」
それは、舞台芸術家と創作家との解決されない軋轢でもあった・・と。
青柳さんの、ピアニスト的作曲家論は、曲への解釈とあいまって凄い・・・・。
そして、フランスの文化は絶妙のバランス感覚にある、「繊細さの選択」は、こだわりの辛口。
このバランス感覚こそが、フランスエスプリの正体のような気がすると・・・。
ピアニスト論では、アリゲリッチ、ラローチャ、ポリーニにミケランジェリ、
グルダ、ムストネンに最後にはグールドが登場。
ピアニストが語る、ピアニストの演奏論、どんな評論よりも説得力がある。
それも、私が慣れ親しんだ時代のピアニストばかりなので、CDを引っぱりだして聴く・
・・・・・久しぶりの音楽に浸りながら、なぜか部屋のかたづけがはじまる・・・・。
分ければ3~4冊分の本になるような、ぎっしりと詰まった濃縮なる内容。
しばらくは、青柳いづみこさんの本にはまる予感がしますな・・・・。
13-B 6
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