9月の新学期開始以降、み~んなだんだん慣れてきてるっぽい秋のリューリン区・・・ 9月のある日、庶民御用達111番(リューリンから環状道を半周するバス)に場違いな美人さん!! そしてステキなパンツスーツ・・・ 背はワタシよりもちっこい感じなのにキラキラ・・・ 手にはソフィア大学のファイル!! オオッ!? たぶんソフィア大学に入ったんだな~!!
一応、きくとソフィア大卒は「頭がいい」と言うことになっているらしい。ふ~ん。地下鉄駅の「ソフィイスキ・ウニヴェルシテット。スヴェティ・クリメンティ・オフリヅキ(ソフィア大学前。かなの表記なので正確な発音はカンベンしてネ)の周りにはそれっぽいコたちがい~っぱいいます。ソフィア大とバス1本でつながる「ストゥデンスキ・グラッド」といういろいろな大学やその施設が集まる、ちょっと郊外の場所。この導線あたりにはシャレオツなカフェやクラブ、欧米に本社を持つファストフード店やカフェが、ソフィアの平均価格の4割増くらいなのにたくさんのお客を集めています。
最近のニュースで「ソフ大生」の学生運動がけっこう大規模に行われた、けど、ほぼ終わった・・・と言う話が。
日本も50年くらい前に大変な時期がありましたよネ?東大紛争、安田講堂などなどという言葉は40代のワタシにとっては親世代が通っていた時代のこと。自分自身の頃にはただの「聞いた話」でしかありませんでした。ワタシの高校に、大学時代に「I井重里」と一緒だったことが自慢の先生がいました。その先生が学生運動のことを話してくれたのを今でも覚えています。何でも角材を持ってみんなでどっかに集合したけど、そこで警官隊と衝突しはじめたんだって。先生は「怖くなってI井氏を置いて逃げた。だから、あいつに顔向けできない・・・」。ところが、I井氏はその後有名になり、ラジオで自分の学生時代の思い出を話していたのをたまたま先生は聞いたそうです。すると、I井氏もこのとき逃げていた(爆)!! 弱虫は先生だけじゃなかったんだネ。
そんな昔話になっている日本の学生運動・・・ ブルガリアではこの21世紀の今そういう時期にさしかかっているのかもしれませんネ。その動機となっている理由については・・・
大学から目と鼻の先の国会についてのことが絡んでいるようですが・・・ 地下鉄の社内や道路の標識、それに歩道にも、いろいろなところに「オスタプカ(総辞職)」と書かれています。今日になってほぼ終結したこの運動、でも内閣や国会が総辞職したとは聞きません・・・ まァその日本の学生運動よりも平和的というか、具体的というか・・・ 日本の60年代の「安保闘争」や「全学連」のようなエネルギーは(少なくともワタシには)みじんも伝わって来ません。でも、交換留学生でソフィア大学に来ている日本人の学生さんや、ソフィア大学で研究発表があった日本の研究者の方々は、この学生運動に影響を受けたようですが・・・
この学生さんたちは自国の未来についてどう考えているのかな?「他のEU先進国に行くからいいや」と考えてるのかな?
あ、「ソフ大」と書いたのは、ワタシの中では日本の東大、早大、京大なんかと同じノリです。地元の人も、たぶん交換留学生で来ている日本人もそんな呼び方はしてないハズ(笑)。例えば空港からソフィア大学の前のところまで走っている84番のバスに「СУ」と書いてあるのはソフィア大学のことですヨ。プレーヴェン医科大学なら「プレ医大」、ルセ大学なら「ル大」、ヴァルナ医科大学なら「ヴァル医大」かな?でも、「ソフィア」って言い換えると「叡智」、はたまた「上智」!! えっ、ソフ大って「上智大」?!?! (笑)