娘が生まれてからはじめて、長編に手を出しました。
読むときは全部まとめて読みたい性分なものですから、読み始める気になるまで時間がかかってしまいました。
今回読んだのは『ゲド戦記』。
「戦記」という名前から、なんとなく読むのをためらっていたのですが、映画化されたこともあって、読まずにはいられないと思っていたのです。
読んでみると、想像以上に奥の深い物語でした。
まだまだ読みが浅く、見落としているところがあるとは思いますが、作者の作り出した世界を十分に楽しみました。
人間の「影」の部分、「光」の部分。それぞれの「均衡」の大切さ。
時代が変わっても普遍なテーマであると思います。
ただ、少し残念に思ったのは、「名前」について。
「名前」というものが、この物語の中の一つの鍵になることを考えると、翻訳の難しさをつくづく感じてしまいます。
シリーズの主要人物「ゲド」の通称「ハイタカ(鷂)」は、英語では「Sparrowhawk」。「名前の持つ意味」と、「名前の持つ音の響き」のうち、「意味」だけを取ってしまったために、日本の読者は彼の本当の名前を知らないままなのではないかと思うと残念です。(「はるか」さんを「Faraway」とか、「あかり」さんを「Light」なんて呼んだら、違和感がありますものね。)もちろん「意味」が大事であったために、こう訳さざるをえなかったのだとは思うのですが。
特に、「アイリアン」という女性の通称「Dragonfly」にいたっては、「トンボ」と訳してしまったために、「Dragonfly」の中の「Dragon」が暗示しているものが伝わらない歯痒さを感じます。
シリーズ名『Earthsea Cycle』も、『ゲド戦記』とした時に、言語の持つ力が少し失われているように感じてしまうのは、気のせいでしょうか?
いつか原語で読めるといいのですが、しばらくは日本語で物語を反芻することになりそうです。
<追記>『ゲド戦記』の表紙の作者名「URSULA K. LE GUIN(アーシュラ K. ル=グウィン)」を見たとき、ふと映画『魔女の宅急便』のウルスラ(原作では名前のない絵描きさん)を思い出しました。宮崎アニメつながり?!
読むときは全部まとめて読みたい性分なものですから、読み始める気になるまで時間がかかってしまいました。
今回読んだのは『ゲド戦記』。
「戦記」という名前から、なんとなく読むのをためらっていたのですが、映画化されたこともあって、読まずにはいられないと思っていたのです。
読んでみると、想像以上に奥の深い物語でした。
まだまだ読みが浅く、見落としているところがあるとは思いますが、作者の作り出した世界を十分に楽しみました。
人間の「影」の部分、「光」の部分。それぞれの「均衡」の大切さ。
時代が変わっても普遍なテーマであると思います。
ただ、少し残念に思ったのは、「名前」について。
「名前」というものが、この物語の中の一つの鍵になることを考えると、翻訳の難しさをつくづく感じてしまいます。
シリーズの主要人物「ゲド」の通称「ハイタカ(鷂)」は、英語では「Sparrowhawk」。「名前の持つ意味」と、「名前の持つ音の響き」のうち、「意味」だけを取ってしまったために、日本の読者は彼の本当の名前を知らないままなのではないかと思うと残念です。(「はるか」さんを「Faraway」とか、「あかり」さんを「Light」なんて呼んだら、違和感がありますものね。)もちろん「意味」が大事であったために、こう訳さざるをえなかったのだとは思うのですが。
特に、「アイリアン」という女性の通称「Dragonfly」にいたっては、「トンボ」と訳してしまったために、「Dragonfly」の中の「Dragon」が暗示しているものが伝わらない歯痒さを感じます。
シリーズ名『Earthsea Cycle』も、『ゲド戦記』とした時に、言語の持つ力が少し失われているように感じてしまうのは、気のせいでしょうか?
いつか原語で読めるといいのですが、しばらくは日本語で物語を反芻することになりそうです。
<追記>『ゲド戦記』の表紙の作者名「URSULA K. LE GUIN(アーシュラ K. ル=グウィン)」を見たとき、ふと映画『魔女の宅急便』のウルスラ(原作では名前のない絵描きさん)を思い出しました。宮崎アニメつながり?!
心の栄養です。
自分の影を認められるようになるまでは、自分が嫌いでした。でも、早く気がついてよかった。
母親として、これからは子どもの影の部分をしっかり見つめてあげなくてはいけないと思う今日この頃です。
でも先の楽しみって言うのもチャーミング。。
>「均衡」の大切さ。
強くそう思います。大切さというよりも、必然かな。
ワタシは野球を見るのが好きではありません。
スポーツニュースのハイライトだけが好きでした。自分の人生もこうあってほしいw
家庭も、仕事も、たまに行く旅行も、何でも光の部分だけがあるのがすばらしいと思っていたのでいつも、「こんなはずはない!」と感じていたのね。。。
光と影が両方あって「生」ですね。
そこを分かっていくための旅なのだと思います。