「心の貧しい人は幸いである」
マタイによる福音書のこの聖句は、初女先生もお好きだと
度々、先生の著書の中に出てきます。
先生は、どうして「心の貧しい人」が幸いなのか、「心の豊かな人」
が幸いなのではないかと思っていたそうです。
私も、ずっとこの「心貧しい」が理解できませんでした。
初女先生が、シスターにそのことを質問すると
「それは「いま」を満足することですよ」と言われたそうです。
先生は、「どんなに病気であったとしても、体に障害があったと
しても、その現実を神様からのプレゼントとして、素直に
受け入れることの出来る心を持っている人は幸いであると、
言われています。
そして、「『いま』というのは、人それぞれの『いま』のこと。
幸せになるためには、いまの状態に満足すればいいだけなのです」
と、言われています。
私が、息子の「生」も「死」も与えられたものだと思えたのは
このことだったんですね。
深い深い御言葉です。
幸せになることは、そんなに難しいことじゃなくて
今に満足出来るか、なのですね。
不幸と思われることも、天からのプレゼントって思えたら
目の前の景色が変わってくるはず…
マタイによる福音書のこの聖句は、初女先生もお好きだと
度々、先生の著書の中に出てきます。
先生は、どうして「心の貧しい人」が幸いなのか、「心の豊かな人」
が幸いなのではないかと思っていたそうです。
私も、ずっとこの「心貧しい」が理解できませんでした。
初女先生が、シスターにそのことを質問すると
「それは「いま」を満足することですよ」と言われたそうです。
先生は、「どんなに病気であったとしても、体に障害があったと
しても、その現実を神様からのプレゼントとして、素直に
受け入れることの出来る心を持っている人は幸いであると、
言われています。
そして、「『いま』というのは、人それぞれの『いま』のこと。
幸せになるためには、いまの状態に満足すればいいだけなのです」
と、言われています。
私が、息子の「生」も「死」も与えられたものだと思えたのは
このことだったんですね。
深い深い御言葉です。
幸せになることは、そんなに難しいことじゃなくて
今に満足出来るか、なのですね。
不幸と思われることも、天からのプレゼントって思えたら
目の前の景色が変わってくるはず…