私の1年の初めは、1月1日ではなく、10月28日なのです。
10月27日の息子の命日が終わると、また一歩ここから始まると
思えるのです。
昨日は快晴でした。
息子の葬儀の日もみごとな快晴でした。
前日は雷鳴とどろく土砂降りでした。誰かが帰ろうとするたびに
帰らないでと言うように雷が鳴り、姉が「創君、明日も来るから…」
と天に向かって言いながら帰って行ったのを今でも覚えています。
そして、葬儀の日はあの子の明るさが、空の青さになったように
晴れ渡っていました。
昨日は、12年も経つのに同級生が集まってくれ、きっと
この輪の中には創がいるなと思え、こんなに経っても命日に
来てくれるお友達に感謝で一杯になりました。
帰る時に、初女先生の「いのちの森の台所」を、「この本に
創のことが書いてあるから読んで」と言って渡すと
そのページを見た子が「やべえ、思い出すよ。ここで
読めないよ」と、慌てて鞄にしまっていました。
12年経っても、悲しみは消えるものではないけれど
思い出すあの子の顔は、いつも笑顔です。
命日の前日、探し物をしていたら偶然チラシの裏に描いた
息子の絵と割り算が見つかりました。
小学校3年ぐらいの時のでしょうか。
ニコニコ笑った男の子の絵が描いてありました。
あの子が、届けてくれた笑顔のようでした。
今日、10月28日、新しい朝を迎え、また一歩歩きだして
行こうと思いました。
見上げた空は抜けるような青空で、あの子の笑顔が
見えるようでした。
10月27日の息子の命日が終わると、また一歩ここから始まると
思えるのです。
昨日は快晴でした。
息子の葬儀の日もみごとな快晴でした。
前日は雷鳴とどろく土砂降りでした。誰かが帰ろうとするたびに
帰らないでと言うように雷が鳴り、姉が「創君、明日も来るから…」
と天に向かって言いながら帰って行ったのを今でも覚えています。
そして、葬儀の日はあの子の明るさが、空の青さになったように
晴れ渡っていました。
昨日は、12年も経つのに同級生が集まってくれ、きっと
この輪の中には創がいるなと思え、こんなに経っても命日に
来てくれるお友達に感謝で一杯になりました。
帰る時に、初女先生の「いのちの森の台所」を、「この本に
創のことが書いてあるから読んで」と言って渡すと
そのページを見た子が「やべえ、思い出すよ。ここで
読めないよ」と、慌てて鞄にしまっていました。
12年経っても、悲しみは消えるものではないけれど
思い出すあの子の顔は、いつも笑顔です。
命日の前日、探し物をしていたら偶然チラシの裏に描いた
息子の絵と割り算が見つかりました。
小学校3年ぐらいの時のでしょうか。
ニコニコ笑った男の子の絵が描いてありました。
あの子が、届けてくれた笑顔のようでした。
今日、10月28日、新しい朝を迎え、また一歩歩きだして
行こうと思いました。
見上げた空は抜けるような青空で、あの子の笑顔が
見えるようでした。