去年、佐藤初女さんと田口ランディさんとの対談
『深き森の語らい』をやらせて頂いたのですが
その時、今までの講演会とは全く違う運びとなって
いきました。
少しでも「我」が出ると、ピタッと止まり進んで
行かなくなるのです。
「我」がなくなると、するすると運んでいくのです。
最初は、思うように進んで行かないことを、外の
問題としてとらえていたので、「我」にあるとは
気が付きませんでした。
そして、やっとそのことが「我」にあると気づいた時に
今まで、一人でも多くの人に初女先生に出会って
欲しいと思ってやってきたことも、それも「我」
だったのではないかと、思えたのです。
そして、言葉では何度も言ってきた「お任せする」
という事が、やっと出来たときに「我」のない世界を
知ったのですが、その後は又むくむくと「我」に
支配されています。
先日ランディさんの「水の巡礼」を読み
「働くと働きは違う。
働きをする為には、自分を見つめる。
鏡に映して自分を見る。
かがみとは、カミ(神)の間にガ(我)がある
そういうことだ。」という文章に出会ったのです。
敬愛するkさんに、このことを伝えると
このことを知るためにランディさんとのご縁が
あったのではないかというようなことが
返信されてきました。
「我」を無くすなんて、途方もなく大変なことの
ように思えます。
でも、このことがランディさんとのご縁の本質
かもしれないってこと…
ランディさんに聞いたら、きっと驚くほど
簡単明瞭な答えが返ってくる気がします。
講演会の準備に苦しんでいた、あの時から
一年を経て、また突きつけられた「我」ということ
この課題をを抱えて生きていくのが、私の人生って
ことでしょうか…
ひえ~、だから生きるって面白いのかな…