田口ランディさんに「直さん、体力あるね」と言われた
私ですが、さすがに今朝は起きれず、予定が大幅に
くるってしまいましたが、今日も書きました。
この間から「祈」を書いているのですが、意味が深い
言葉ほど、その意味に引っ張られてダメなんです。
書いては、違う!をどれだけ繰り返したことだろう…
ふと、自分が「祈」に書きたいものが何であるか
分かったのですが、分かったからと言って
書けるかと言うと、やっぱり書けないのです。
「書」って、何でこんなに苦しいのと思うのに
離れられないのです。
それが「書」のチカラでしょうか…
書いてみなければ分からない、いくら見ても
いくら考えても、書いてみないとわからない…
体験しないとわからない、ということが日常の中で
あまりにも少なくなってきている今、「書」の時間は
貴重な時間
時間をかけ、ひた向きに一つの字と向き合う
薄べったい表層の感情なんて、筆と墨は
いっさい受け付けてくれない
思うようになんて、ひとつもいかない
だから面白くて、書き続けています。
いつになったら「祈」が書けるかな~
ふぅ~