10月27日の息子の命日から今日まで、同級生が
お参りに来てくれました。
15年間欠かさずに来てくれています。
こんなに経つのに…有難うという言葉しか
見つかりません。
「一年に一回しか来れないけれど、来年来る時は
30歳だよ~」という言葉を残して帰って
行きました。
同級生との交流も、息子からの贈り物のような
気がします。
死とはなんでしょう…
ダライ・ラマは古い着物を脱ぎ棄てるようなものと
書いていましたが…
死は姿の別れであって、心の別れではないと
佐藤初女さんが言っていました。
息子が最後に食べたお弁当がおむすびで
そのことで、私と初女さんが繋がったのです。
15年に及ぶ同級生との交流も、息子が繋いで
くれたものです。
本当に心の別れではないのですね。
初女さんは『「生きている」ということは
誰がどうしてこんなふうに生かしてくださって
いるのかと思うくらい、考えてみれば
不思議なこと。』と、言われてます。
生きていることが、当たり前じゃなくて
そんなふうにとらえることが出来たら
生きる姿勢が変わってくるかもしれない…
『不思議は神様の働き
出会いは「神様の時間」
心には前に進むための言葉を
人のために働くことが、生きること
「食」はいのちの基本、生きる糧
佐藤 初女 』