先日、録画したいた映画「深夜食堂」を観ていたら
渡辺美佐子さんの芝居の上手さに魅了されたと
同時に、渡辺さんが話していた熊本弁の美しさに
心が震えました。
私は一度だけ水俣に行ったことがありますが、
その時は、水俣イコール水俣病のイメージを持って
行ったのですが、あまりの美しさに驚きました。
こんな美しい海を汚してしまったのかと、
誰に向けたらいいのか分からない怒りが
こみ上げて来たのを覚えています。
渡辺美佐子さんの熊本弁を聴いていたら、
石牟礼さんの熊本弁を聴きたくなりました。
石牟礼さんは、本らしい本を読まずに育ち
20歳になるまで読書経験は、「大菩薩峠」
くらいだったそうです。
石牟礼さんは、熊本や天草のお年寄りが
使う言葉をいかし、歌うような抑揚をつけて
話す方言で、不知火の海の豊かさをうたいあげ
それを破壊した水銀汚染を告発し作品
「苦海浄土」を書いたそうです。
熊本弁には「のさり」と言う言葉があるそうで
「のさり」は、天から賜ったものを意味する
そうです。
良いことも悪いことも、天から賜ったもの…
石牟礼さんのことを書いた新聞記事に、
石牟礼さんは、
『患者さんは病状が悪いのは魚の供養が
足りないからと考え、岩や洞窟を拝んだりする。
それを都会から来た知識人は無知で頑迷だと言う
私はそう思わない。
患者さんは知識を超えた野生の叡智を身に着けて
います。』と、言われていたと書いてありました。
石牟礼さんがパーキンソン病になられたと知った時
なんで?と天を恨みたくなりました。
でも、石牟礼さんはご自分の病気も「のさり」と
受けとめていたのでしょうね…
作家の田口ランディさんは「晩年、パーキンソン病
を患われて、ふるふると身体が揺れている
石牟礼さんをテレビ番組で観た時、その姿が
患者さんと二重写しになり、石牟礼さんは身体ごと
患者さんとひとつになられたのだと思った。
もはや作家という域を超えている」と書かれて
いました。
水俣の美しさ、熊本弁の清らかさは
「のさり」の言葉が生まれた、この地に生きる
人々の心の崇高さかもしれないと思いました。
もう一度水俣に行ってみたくなりました。