昨日のブログに「のさり」のことを書いていて
ふと、私が初女さんに言った「子どもの死も生も
与えらえたものだと思えるようになりました。」と
いう言葉を思い出しました。
もしかしたら、これも「のさり」かもと…
初女さんは、「ここまで来るのに、あなたが
どんなに苦しんだことか」と言って下さいましたが
本当に、苦しみあがきました。
もしも、良いことも悪いこともすべて
天から賜ったものと受け止める「のさり」と
いうものが、私の中にあったら、
これほど苦しまなかったかもしれないと、
思ってしまいました。
風土が人を育てる
都会に暮らしていると、風土という言葉すら
死語のような気がしますが…
初女さんは、朝起きると「今日のお山は
どうだろう」と、岩木山を眺めるのと言い、
岩木山と共に暮らしているという感じでした。
弘前に行くと、住んでない私ですら
あ~この地は岩木山に見守られて
いるんだな~と思います。
自然と暮らしが近しいところは、人は
その地に育まれて行くんだなと、思いました。
私の中に、やっとの思いで生まれた「のさり」
これもまた、息子からの贈り物かもしれない…