福知山線脱線事故から13年が経ちました。
新聞に高校一年の時に兄を亡くした人が、
安置所から帰宅した時に「兄ちゃん、僕は
人の命を助ける職業に就く」と決意し、
救命医療の看護師になったことが載っていました。
「18歳で死んで、無念だったはず。
だから、兄の分まで自分が頑張らないといけない。
胸を張って兄に報告できるようになりたい」と、
生死を分かつ最前線に身を置き続けている
そうです。
「一人っ子」と嘘をつき、周囲に兄の死について
話すことを避けた時期もあったそうですが、
4年前の追悼慰霊式で、初めて遺族代表として
言葉を述べ、「少しでも心にとどめてくれる人が
いればうれしい」と仕事の合間を縫って
お兄さんのことや事故のことを語っている
そうです。
うちの息子も、友達を家に呼ぶ時に「祭壇の
お兄ちゃんの写真をしまって」と言ったことが
ありました。
その頃は、自分は一人っ子だ言っていたのでしょう
でも、職業を選択する年齢になった時、
中学校の先生になりたいと言ったのです。
中二で亡くなった兄と同じ年齢の子ども達と
向き合うことは、きついことだと思いましたが
いのちの大切さを伝えたいという思いが
強かったようです。
そして赴任した学校で、亡くなった兄が
「中三になってもK先生の担任がいい」と
言っていたその先生と巡り合えたのです。
この不思議は、お兄ちゃんの力が働いたような
気がします。
何だか、試練の中を生き抜いたガンジーの言葉を
贈りたくなりました。
『不幸は私たちに与えられた試練である。
この試練を乗り越えたとき、
すべてはきっと好転する。
そう信じて、辛抱強く耐え抜こう。
耐え抜いたとき、あなたはとてつもない力を
手にしていることだろう。』
『人は何度でも立ち上がる。
立ち上がっては倒れ、立ち上がっては倒れ、
その足元はおぼつかないかもしれない。
けれども、立ち上がったことは、
一生忘れることのない、かけがえのない
記憶となる。』