初女さんが、ご飯の水加減を
みている時、あまりの
真剣さに、周りの者は
黙って息を飲むように
見ていました。
初女さんが、本当に少し水を
足したり引いたりするのを見て
どうして分かるのだろうと、
イスキアのスタッフに訊いたら
「私らだってわからないよ」と
言われました。
これは、お米との対話が
なければ出来ないことです。
その初女さんに、水の量が
1ミリ違っても大きく違います
と、言われると背筋を正される
思いがしました。
本当にご飯炊きは、祈りの場
でもあるように思います。
そう言えば初女さんは、
「お祈りするようにお米を
洗います」って言ってました。
先日のおむすび講習会で
私が洗っているのを見て、
こんなに優しく洗うんですね
と、言われた方がいました。
ご飯は、奥が深いです。
日本人の精神性を支えて
いるのは、ご飯が大きいかも
しれませんね。
人に接するときは
その人がいちばん望んで
いることはなんだろう
と考えますが、ご飯を
炊くときも同じです。
そのお米にいちばん合った
水加減にしたいから
炊飯器の目盛りはには
頼りません。
水に浸したお米を手にとり
じーっと観察していれば
お米が望む水加減が
わかってきます。
佐藤 初女