~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

「流転 チェルノブイリ&福島」を観て

2017-08-06 22:56:18 | 日記


今日は8月6日、テレビで「広島平和記念式典」を

観るが、これほど心に響かない市長の言葉は

珍しいのではないかと、思ってしまいました。

沖縄慰霊の日の高校生の詩は、

今でも忘れられません。

今日は、田口ランディさんのお話を聴きに

行く前に、フクシマとチェルノブイリの写真展

「流転 チェルノブイリ&福島」に行きました。

30分もあれば観れるだろうと思っていたのですが

あまりの衝撃に動けなくなってしまいました。

テレビでは、福島とチェルノブイリの違いを

盛んに言っていましたが、福島とチェルノブイリの

写真を並べてみると、専門家の言う違いなどなく

福島とチェルノブイリが合せ鏡のように観えて

来るのです。

福島の写真には人物は一枚もなく、

物体や自然を写し出している写真が伝える

無言の言葉に立ちすくんでしまいました。

人々の生活が確かにあったということ

汚染土としか見て来なかったビニールに

入れられた土も、福島の人を育んできた土で

あることに初めて気が付きました。

福島は何も終わってはなく、何も始まっても

いなかったのです。

この現実から目をそらしてはいけない。

人間は過ちをおかします。

だから、その過ちをしっかり見つめないと

同じことを繰り返してしまう…

よその国の事だと思っていたチェルノブイリが

ここにあったのです。

東京オリンピックが決まり、復興五輪などと言う

言葉も聞こえてきますが、置き去りにされ

捨てられた土地が、人々の暮らしがあることを

写真は黙して語っています。

凄い写真です…

出会って欲しいです。この写真たちと…


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田口ランディ「ヒロシマ・ナガサキ・フクシマ」を読んで

2017-08-04 22:11:35 | 日記

読まなくちゃと思って、本箱に寝かせてしまった

田口ランディさんの「ヒロシマ、ナガサキ、フクシマ」を

鞄に入れて出掛けました。

電車の中で読みだしたら、止まらなくなり本を読む為の

外出となってしまいました。

又してもランディさんに、脳天くい打ちの衝撃を

くらった気がしました。

福島の原発事故が起きて、初めて私は日本にこんなに

原子力発電所が出来ていたことを知ったのです。

いつの間に…と、かなりショックをうけました。

と、同時に広島・長崎で原爆の凄まじさを体験している

日本の国民が、原子力の平和利用という言葉に

いとも簡単に原発を受け入れてしまったことが、

不思議でなりませんでした。

この本は、そのことにも掘り下げています。

ヒロシマ・ナガサキ・フクシマは確かに繋がって

いて、私たちの無関心が今のこの現状を作って

しまったんだなと思いました。

黙ることは黙認することになると思っているのですが

原発も平和利用という言葉を前にして、平和なら

いいじゃないかという安易な気持ちが、日本を

原発大国にしてしまったんだなと思いました。

原発の問題は、今なお何一つ解決していません。

3・11によって止まっていた原発が再び稼働しています。

この本を読んで、原発の問題は反対か賛成かでは

解決に向かっていかない。

一番大切な事は原発について

対話をすることなのだと思いました。

日本は、ヒロシマ・ナガサキ・第五福竜丸・東海村

フクシマと5回も被ばくしている国だということの重さを

私達ひとりひとりが、しっかりと受け止めなくてはと

思います。

8月6日に田口ランディさんが、原発について考える

大事な集いをします。

私も行こうと思っています。

ヒロシマ・ナガサキフクシマは確かに繋がっているのです…

 

 8月6日(日)「原爆が落とされるまで」新宿経王寺にて14時〜

講談風「原爆が落とされるまで」
原子核の発見から原爆投下まで
8月6日(日)
14時〜16時

場所 新宿牛込柳町 経王寺 http://www.kyoouji.gr.jp/about/access.html
予約不要
無料

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ボケる

2017-08-02 22:06:59 | 日記

土曜日の朝、テレビをつけると「サワコの朝」に

出ていた江原さんが、認知症について話して

いました。

徘徊してしまう人は、外へ出たかったけれど

出られなかった人、暴言を吐く人は言いたい

けれど言えなかった人、暴食する人は

食べられない時期があった人と…

ぼんやり観ていたテレビなので、正確には

覚えていませんが、認知症の症状はそれまでの

人生が反映してくるのでしょうか…

私の母が、先日お風呂から出たら、姉のことが

突然、分からなくなり「幸子さん、ずっと

居て下さってご親切に有難うございます」と

言ったそうです。

姉は慌てて「私は幸子じゃないよ。

お母さんの長女だよ」と言ったのですが

母は、分かったふりをしたそうです。

翌朝になったら「昨日は変なことを言って」と

普通に戻ったとのことでした。

その話を息子にすると、「もう、おばあちゃんを

ボケさせてやれよ」と言う一言が返って来て

その言葉にハッとしました。

姉は認知症外来に連れて行くと言ってましたが

ボケることも自然なことなのかもしれません。

ボケることを、否定するのはこちらの考えなのかも

しれません。

母は、「皆よくしてくれてね~有り難いよ」と

感謝を言葉にするようになりました。

ボケることも母の人生に組み込まれているの

かもしれない…

「ボケさせてやれよ」と言った息子の言葉が

ずっしりと来ています。




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初女先生の生き方

2017-08-01 22:29:52 | 日記

今日から8月、時の進みの速さに自分が取り残されて

しまっているような気がします。

今日は1日、あ~初女先生の月命日

先日105歳で亡くなった日野原先生の特集番組が

放映されていました。

日野原先生が森のイスキアに来て、初女先生と

対談するという話を聞きましたが、実現には

至らなかったようです。

番組では、日野原先生が死をどう生ききったかと

いうことが語られていました。

生を生ききるということと

死を生ききるということの違いが、まだ私には

ハッキリとわかりません。

どちらにしても、生ききるということが重要

なんだと思います。

初女先生も見事に生ききった方です。

そして、そのいのちの永遠を私たちに伝え

永遠のいのちを生きている方だと思います。

90歳を過ぎて、死ぬことを考えてないのと

言われていました。

それは私たちが、限りあるいのちを永遠と錯覚して

日々生きているのとは、全く違うことだと

思うのです。

『私はなんにも心配していないの。

今を生きているから。

心配する人は必ずといっていいほど

先のことばかり考えますが

先の見えない未来のことにあれこれ心を惑わしても

不安が募るばかりです。

今ほど確実なものはありません。

今に感謝していると、とても自由な気持ちになり

一歩一歩確実に進んでいけるように思います。

            佐藤 初女   』

初女先生は、「ある線までは誰でもやること

そこを一歩超えるか超えないかが人のこころを

響かせるものになる」と言われ行動されていた方です。

その一線を越える行動が、心に響き

私たちの小さな一歩を生み出してくれていたのです。

先生の生き方が、私の中で静かに響いています。


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