今日は8月6日、テレビで「広島平和記念式典」を
観るが、これほど心に響かない市長の言葉は
珍しいのではないかと、思ってしまいました。
沖縄慰霊の日の高校生の詩は、
今でも忘れられません。
今日は、田口ランディさんのお話を聴きに
行く前に、フクシマとチェルノブイリの写真展
「流転 チェルノブイリ&福島」に行きました。
30分もあれば観れるだろうと思っていたのですが
あまりの衝撃に動けなくなってしまいました。
テレビでは、福島とチェルノブイリの違いを
盛んに言っていましたが、福島とチェルノブイリの
写真を並べてみると、専門家の言う違いなどなく
福島とチェルノブイリが合せ鏡のように観えて
来るのです。
福島の写真には人物は一枚もなく、
物体や自然を写し出している写真が伝える
無言の言葉に立ちすくんでしまいました。
人々の生活が確かにあったということ
汚染土としか見て来なかったビニールに
入れられた土も、福島の人を育んできた土で
あることに初めて気が付きました。
福島は何も終わってはなく、何も始まっても
いなかったのです。
この現実から目をそらしてはいけない。
人間は過ちをおかします。
だから、その過ちをしっかり見つめないと
同じことを繰り返してしまう…
よその国の事だと思っていたチェルノブイリが
ここにあったのです。
東京オリンピックが決まり、復興五輪などと言う
言葉も聞こえてきますが、置き去りにされ
捨てられた土地が、人々の暮らしがあることを
写真は黙して語っています。
凄い写真です…
出会って欲しいです。この写真たちと…