ランディさんのFacebookを見ていたら、
「初女さんのイベントでご活動を知りました」と、
ラジオ深夜便から出演依頼が来たと書いて
ありました。
嬉しいな~
初女さんからの贈り物のような気がします。
あの集いの打ち合わせは、すべて雨で「今日も
初女さんが来ているね」が合言葉のようでした。
みんな、初女さんの「人の心に響くのは
誰でもできる一線を越えて行動したとき
耐えられねばやめればいいと思いきらないで
もう一歩努力すること。
そして忍耐することです。
一線を越えるごとに、自分もまた成長します。」
この言葉に近い行動をしていたもの…
だから、初女さんからのご褒美が届いたのかも
しれません。
ランディさんが言われていたように、初女さんと
ご縁のあった私たちが初女さんのことを
伝えていく時代になったのかもしれません。
初女さんのおむすびを伝えるなんて、無理~と
思っていたけれど…
おむすびも初女さんの言葉も初女さんの生き方も
シンプルだけど深い
だから、それを伝えるのは簡単なことでは
ないけれど
『「できる できない」は問題じゃない
大切なのは「する」かどうか』
この言葉を胸に娘たちは進んで行きます。
ランディさん、ラジオ深夜便楽しみに
してます~
「いのちのエール」を伝えてくださ~い。
(放送日が決まったらブログに書きますね)
生きていると色んなことがあります。
頭では考えられないことが平気で起きて来ます。
頭(大脳)を頼りにしていると、そんな時
途方に暮れてしまいます。
子どもを亡くした時、荒れ野にただ一人置き去りに
された気がして、呆然としていました。
ランディさんも、お兄さんを亡くされたとき、
そうだったと言ってました。
私は、考えられる限りを考え、この現実と
向き合おうとしていましたが、脳は何の
力にもなりませんでした。
それから、脳を頼るのはやめたのです。
こんなことを若い人に話すと、脳が自分だと
思っているので、目を丸くされます。
脳で考えられることは、大したことじゃなくて、
そんなに脳を頼ったら、脳が可哀そうだし
神経が参ってしまいます。
脳を頼らなくて、何で判断するの?って
聞かれたら私は直観!と答えます。
子どもを亡くしてから、大切なことは直観で
決めて来ました。
初女さんが、龍村仁監督が「直観というのは
突然出て来るのものでない。
普段から自分の中に入っていて、ふさわしい時に
それがぱっと出て来る。
それが直観だと思う」と言われていたと
書いていたのを読んで、心にストンと落ちました。
大脳に頼らない方が、道はひらけて行くように
思えます。
これは、体験から分かったこと!
初女さんは「不思議を不思議と気づくのは
直観です。
なにごとも、当たり前と受け取っていると
不思議に気づくことはできないかもしれません」
と、言われています。
大脳は、私の一部。
私は大脳で決められているわけではない
ということが、ストンと来ると
あんまり考えなくて済みます~
何年くらい前からでしょうか、
「私鬱だったんです」とか、「鬱なんです」と、
聴くようになりました。
私は、精神を病むとは特別なことと思って
いましたが、子どもを亡くした後、母のある言葉を
きっかけに、感情が止まった時期があります。
息子の写真を見ても、何も感じなくなって
涙も出なくなりました。
その時、今病院に行ったらきっと病名がつく
精神疾患になっているだろうなと思いました。
そして、初めて精神を病むって誰にでも起こり得る
ことなんだと思ったのです。
初女さんは、鬱はお薬じゃ治らないのご飯を
食べてと、言われていました。
自分の為にご飯を作って食べてと…
江原啓之さんが「鬱で悩みがちな人のたましいって
よく言えば実直なんだけど、ちょっと融通が
利かないところがある。
臨機応変な対応が出来なくて、
つまずきやすいんです。」と書いてました。
たましいが実直なんだと思えば、何だか心が
軽くなります。
受けとめ方って大事だな!
気持ちって、放っておくとどんどん落ち込んで
しまうから、明るい方へ引っ張り出さなくちゃ
鬱に対しても、君は実直なだけだよって
言ってあげたら、楽になるかも~
みんなお肌の手入れをするように
自分の気持ちの手入れをしてあげましょう!
今日は中津川さんの個展に行って来ました。
そして、初めて谷中の墓地を歩きました。
古い墓地は、様々な墓石があり歴史の中に
迷い込んだような気持になりました。
川端康成の作品で墓地で、女性が唇に赤い紅を
引く「化粧」を思い出し、ぞくっとしたり…
谷中から根津に向かうと、古い町並みに
歩いているだけで楽しくなりました。
根津から板橋文化会館に行ったのですが
この会館はずっと初女さんの講演会
「イスキアの集い」をやってきた会館です。
初女さんとの思い出が次々と立ち上がって来ました。
わかち合での質問に、「先を考えるから不安に
なるのです。今を生きて下さい。
今より確かなものはありません。」とよく言われて
いました。
本当にそうなのですが、私たちは先のことばかり
考えてしまいます。
何か、そうすることが安心に繋がると思って
いるんですよね。
逆なんですね。
先を考えるから不安になるんですね。
「行動してください」も言われていました。
日野原先生の本に「一歩を踏み出せば
見えてくる景色が変わる。
行動こそが不安を打ち消してくれる。」と
ありました。
私たちは、情報の渦の中で不安を抱え生きています。
初女さんが伝え続けてきた「今を生きる」が
これからの私たちを支えてくれると思うのです。
初女さんの言葉と行動は、沢山の人の心に
確かに刻まれて、生き続けています。
初女さん、板橋文化会館は初女さんが講演
されていた頃のままでした。
懐かしくて、涙がでそうでした…
10月1日からの「いのちのエール」の講演会が
終わって、2週間が経ちました。
なんと早いのでしょう…
皆さん、あれからおむすびを結んだかしら
日本はお米の消費が減っていると言います。
ご飯の美味しさを知ってもらったら、お米離れも
無くなると思うのですが…
初女さんのおむすびをお伝えしなければと、
心を新たにしています。
最近、ぬか漬けが美味しくつけられるように
なりました。
毎日、ぬか床に声を掛けていたら、私の声に
応えてくれりように、美味しくなって来て
くれました。
ご飯と味噌汁とぬか漬けがあれば十分と思えます。
初女さんは、ぬか床が欲しいと言われ差し上げる
けれど、漬けた糠漬けを持ってきてくれた人は
いないのよ。と言われていました。
私も、ぬか床を頂きっ放しの一人でした。
今だったら、ぬか漬けの話が初女さんと
出来たのに、残念です。
初女さんに頂いたぬか床をダメにしてから
自信がなくなり、ぬか漬けは無理と封印して
いましたが、木更津のぬか漬け名人のkさんが、
初女さんを知ろうと思ったら、ぬか漬けを
やらなくちゃと、私に下さったのです。
初女さんは、体験を大切にされた方です。
初女さんの言葉は、体験から生まれた言葉です。
初女さんが、伝えたかった生物多様性が
本当に分かるためには、ぬか漬けをやって
みなくては…
『ぬか床って
”生物多様性”だと思うんです。
米ぬか、塩、昆布、鷹の爪
きゅうり、にんじん、なす、大根
食パン、りんご、ヨーグルト…
それぞれがそれぞれのままに
おいしさを引き出しあう。
あるがままにいるだけで
お互いに支えあってるの。
多様なものが
多様なまま響きあい
ともに生きる。
それがいのちの摂理です。
佐藤 初女 』
季節が一夜にして深まった気がします。
寒い季節に向かって行くのだと思った時
ふと、行ったこともないアラスカが懐かしく
思えるのは、星野道夫さんの世界が私のアラスカに
重なっているからなのでしょうか…
星野さんが、数年長く生きていたら
きっと初女さんに会われていたことでしょう。
そして魂の響きあいが、至福の時となったと
思います。
お二人の言葉が同じ源流から運ばれて来ている
ように、私には感じるのです。
『人が人を癒すことはできないと思う。
そのかわり、その苦しみを持った人を
見つめながら、共にいてあげることはできる。
星野 道夫 』
『人が他の人を癒すということは、
できることではないとわたしは思います。
癒しとは、自らの気づきから起こってくる
ものなのです。
佐藤 初女』
初女さんは、癒しという言葉を使われませんでした。
人の心は深いから、癒すなんてできませんと
言われていました。
初女さんは、深い心に寄り添って下さる方でした。
癒されるというより、出会って救われたと
思っている人は、沢山いると思います。
秋になると弘前の街路樹のナナカマドが
思い出されます。
星野さんのクマの写真、好きだな~
初女さんは、ガイアシンフォニー2番の映画に
写し出される
「多様なものが多様なまま
共に生きる
それが生命の摂理であり
宇宙の摂理である」
この言葉の意味が分からず、16年間宿題として
抱えていたと言います。
それが「生物多様性について」というテーマの
講演依頼を頂き、長年の宿題が解明され
生物多様性と糠漬けが一致したそうです。
初女さんが亡くなられる1年前の1月に
ランディさんと弘前のご自宅に伺った時も
このことを話され、ランディさんに書いて
ほしいのと、言われていました。
10月3日の講演会で、ランディさんはこの宿題に
ついて話して下さいました。
とても心響きました。
初女さんは、実はあの時「生物多様性のその先を
書いて欲しい」と言われたのです。
初女さんが言われた、その先が何かは
分かりませんが
多様性の重要性を、最近特に感じています。
生物多様性の地球という星に生きる私たち人間が
多様性ということに寛容でなくなって来ている気が
します。
移民や人種の問題も多様性と言えると思います。
日本は、古代から八百万の神がいます。
神さまも多様である国なのですから、多様性を
包み込む風土が、私達の国にはあると思うの
ですが…
東大教授の姜尚中氏が「日本国民はワンカラー
ではない。政党政治は有権者の実情や思想に
政策を合わせなければ砂上の楼閣となる。
タカ派、リベラル派のどちらかが錦の御旗を
立てるかではなく、党内の多様性、対外的な
多様性を包み込む政党の誕生が望まれる」と
語っています。
議員の阿部知子さんはリベラルのことを
「色々な主義主張があってそれが多様に
共存しながら議論を進めていける風土」と、
話していました。
初女さんの「生物多様性のその先」の答えは
わかりませんが、「みんな仲良くね」という
初女さんの声が聞こえてくるような気がします。
初女さんの講演会を主催してきましたが、
私はいつもチャレンジャーでした。
同じことをするのでなく、次は次はと試みを
してきました。
初女さんもそのことは、よく分かっていて
「直さん料理もいいよ」というので、2日に分けて
講演会と調理を考えていたら、「直さん泊りも
いいよ」と言われ宿泊の講演会となったのです。
「深き森の語らい」では、初女さんの講演を
なしにして、ランディさんとの対談にしました。
チャレンジャーは誤解を怖れずなのですが
天然の私は、その誤解もよくわからず、
初女さんの方が気を遣ってくれていました。
初女さんをお慕いする方々の思いは、
とても深いので、私のやることは誤解されて
しまうのです。
今回も、どうして分かってもらえないのかなと
思うことがありましたが、
でも昨日、初女さんのお答えに出会えました。
『誤解を受けても、無理に正そうとは
思いません。
相手に受けとめる気がないときは、
なにを言っても通じないもの。
どんな批判も甘んじて受けとめます。
けれども、”この道こそ”と信じて進んでいれば
必ずいつか通じるという希望があります。
佐藤 初女 』
私は、糠床を2回もダメにしています。
そのうちの1回は、初女さん下さった糠床です。
何とも勿体無いことですが…
3度目の正直で、今回の糠床は黄金色で
実に美味しい糠漬けとなるのです。
毎日、糠床に話しかけていたら、何となく
糠床の欲しい物が分かるようになりました。
今日は塩だな、今日はヨーグルトと…
初女さんは、こうやって色々な物の声を
聞いていたんですね。
ごはんを炊くときの水の量は、神業とも言える
すごいものがありました。
毎日、お米と向き合っているけれど、
何となくしかわかりません。
多重層のステンレスのお鍋でご飯を炊くので
目盛りなしの勘でやってるのですが…
イスキアのスタッフも、何十年見ても
初女さんのお米の水の量は分からないと
言っていました。
いつか、初女さんのようにお米の望む水加減が
分かるようになりたいです。
『人と接するときは
その人がいちばん望んでいることはなんだろう
と考えますが、ごはんを炊くときも同じです。
そのお米に合った水加減にしたいから
炊飯器の目盛りは頼りません。
水に浸したお米を手に取り
じーっと観察していれば
お米の水加減がわかってきます。
佐藤 初女』
初女さん、おむすび講習会のお米は真ん中が
盛り上がりました~ ヤッター!
金木犀が咲いています。
金木犀の季節が来ると、息子の命日の10月が来たと
ちょっと落ち込むのですが、「いのちのエール」の
講演会のお陰で、元気です!
私の抱えている困難な問題は、歴然としてあるのに
でも、幸せなんです。
やっぱり、幸せって条件じゃないんだ。
幸せを感じれば、幸せなんだ!
若い時は分からなかったな~
幸せの条件を勝手に並べ立て、自分の幸せ度を
判断していたりしたもの
今日は、おむすび講習会に来られた方から
メールを頂き、幸せのてんこ盛りです。
初女さんは「先を考えるから不安になるのです」
と、よく言われてました。
そして「今を生きて下さい」と…
私は今、大きな試練の中にありますが
「真実を生きていれば道は示されます」という
初女さんの言葉を信じて暮らしています。
山田スイッチさんが、送ってくれた写真を
見て、ちょっとびっくりポンです。
初女さんは、おむすびを結ぶ時、集中しているので
口が少し開いているのですが、なんと私も
開いていたのです、ひえ~
私がおむすびを結ぶ向こうに初女さんの写真が
あり、見ていて下さっているようで
胸が一杯になりました。
初女さんは私達のことを見守っていて
くれたのですね。
だから、あの場に居るだけで幸せだったんだ~