世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

2012-07-09 07:33:25 | 月の世の物語・余編

「これは彼女の学生時代の作品ですね」パット・キムは、青いファイルをぱらぱらとめくりながら言いました。ジョーン・ベンサムは落ち着いた声で答えました。
「ええ、小さな童話作品ばかりですけれど。彼女、本当は児童文学作家になりたかったのですわ。でもなんだか、詩の方が世間に受けてしまって…」
「一時はかなりな騒ぎになりましたものね。テレビのワイドショーでも扱われたことがありますし、しつこいストーカーも、ひとりやふたりじゃなかった」
「もう終わったことですわ。辛いことはあまり思い出したくない。妹は、ただ、長い間女が男に言いたかったことを、すべての女の代わりに言っただけだと思います」

パット・キムは、ある出版社の編集員でした。ジュディス・エリルの詩集の出版や様々なトラブルの解決に関して、彼女はこれまで多く貢献してきました。その彼女は今、ジュディスの実家の一室で、たくさんのファイルを積んだ机を挟んで、ジュディスの姉ジョーンと向かい合って座りつつ、机の上のファイルを、次々と開いては読んでいました。

「こちらのファイルは、妹が死ぬ前日まで書いていた詩の原稿、そしてこっちが、挿絵を集めたものですわ。未完成作品が多いですけれど」「彼女はペン画や水彩画なども上手でしたね。作品はどれだけ残っているでしょうか」「未発表の完成作品は、十枚ほどありますわ。このペン画など、以前わたしがふざけて、妹に描いてもらったものですけど」。
そう言って、ジョーンは一冊のファイルを開いて、パットに渡しました。パットはそれを見て、おお、と感嘆の声をあげました。そこには、眠っている男の髪をひっつかんで、鋭い剣で、男の喉を突き刺している美しい女の絵が描いてあったのです。

「わぁお。これはホロフェルネスとユディトかしら。でも剣の構え方が違うわ」
「アルテミシア・ジェンティレスキの絵を参考にしたんだそうですけど、彼女は男の首は剣で横に切るより、縦に突き刺すか、斧で一気に落とした方が簡単でいいと言ってましたわ。それだと、一撃で殺せるからと」
パット・キムは、ふふっと思わず笑って、言いました。「…彼女らしいわ。確かに、彼女に一撃で殺された男性は、相当いたようですよ」

少しの間、沈黙がありました。ジョーンとパットは、しばらく、ジュディス・エリルの残した未発表の詩の原稿に、読みふけっていました。ジョーンは、妹が死んで以来、自分のアパートやピーターソン氏の家や実家から、集められるだけ集めたジュディスの未発表作品を、年代別にファイルにまとめ、整理していました。そしてジュディスの死から一年経ったこのたび、その原稿の中からいくつかの作品を選びだして、ジュディスの最後の詩集が出版されることになったのです。

「これなど、いいですね」と、パット・キムが言って、詩を読みあげました。

愛しているといって
何度わたしを殺したの
小鳥の首をいつもしめている
小さな首輪のような
金の指輪で 
すべて奪うのね
わたしのなにもかもを
自分のものにするのね

知らないふりをして
やさしいふりをして
だましていることがばれてないと
思っているのね
小さな虫が床をはってきたら
あなたはそれだけで
真珠で作った美しい罵倒で
わたしを能無しにして
見えない車輪で少しずつ引き裂くのよ

「題名が書いてありませんね。無題とするか、タイトル不明とするか…」パットが言うと、ジョーンがファイルの背表紙の番号を探しながら言いました。
「それ、『カタリナ』だと思いますわ。後で少し書き直したらしい作品が、確かこっちのファイルに…」

ふたりは、ジュディスの遺稿の束に埋もれつつ、いろいろと詩を読みあげては意見を交わしました。そしていくつかの詩を選んで付箋をつけ、ファイルをまとめているところに、ジョーンの両親が帰ってきました。

「あら、お帰りなさい、お父さん、お母さん。早かったのね」
すると、父親のアーサー・ベンサム氏が、パット・キムに会釈して挨拶した後、少し悲しそうに笑って、言いました。
「映画を見ている途中で、母さんが機嫌を悪くしてね、仕方ないから映画を見るのはやめにして途中で帰ってきたんだ」
「まあ、どうしたの?お母さん」
ジョーンは席を立ち、父の隣にいた母に近づいて声をかけました。するとマーガレット・アン・ベンサムは、目をひきつらせて、不機嫌な様子で唇を歪め、言うのでした。

「ジョーン、マイベイビィ、ジュディスはどこ? お仕置きをしなくちゃ。あの子ったらわたしに、クソババアなんていうのよ。なんてひどいのかしら」

ジョーンは首を振りながら、小さくため息をつき、パットの方を振り返って、頭を小さく下げて「ごめんなさい、ちょっと…」と言いました。パットは「いえ、気にしないで」と言いつつ、笑顔を返しました。

ジョーンは母親を寝室に連れて行き、ベッドに座らせて、言いました。「お母さん、映画は楽しくなかったの?あんなに見たがっていたのに」「…知らないわ。ジュディスのせいよ、あの子ったら、なんて反抗的なのかしら」「おかあさん、ジュディスは死んだのよ。一年前に。もう忘れたの?お葬式があったでしょう?」
「お葬式?…ええ、行ったわ。でもあれは、クライブさんのお葬式なのよ。あの人はいつも意地悪ばっかりするから、天罰が下ったのだわ」
「そんなことをいうものじゃないわ、お母さん」
「ジューディース。どこに行ったの?ママを怒らせないで、早く出て来なさい」母親はどこを見ているのかもわからない瞳を、ゆらゆらとゆらしつつ、ベッドから立ち上がろうとしました。ジョーンは、だいぶ年老いて自分より小さくなった母を抱きしめ、その硬い髪をなでながら、もう一度言いました。

「お母さん、ジュディスはもういないのよ。死んでしまったの」言いながら、ジョーンの胸にも何かがこみあげてきて、目に涙がにじみました。母親はジョーンの胸を押しのけると、鉄板を叩くような声で、それに返しました。
「いいえ、そんなはずはないわ。あんな無神経な子が、わたしより先に死ぬはずないじゃないの。みんなでわたしをだましてるのよ。いつもそう、みんなずるいのよ。わたしばっかり、いじめるんだわ。損するのは、わたしばっかり…」

ジョーンが、母親に言い聞かせるのに苦労していたところに、父親のベンサム氏が、水の入ったコップと薬を持って、寝室に入ってきました。そして、母親に薬を飲ませると、ベンサム氏は何も言わずに、やさしく彼女の背中をなでました。夫と娘に囲まれて、わけのわからないことをぶつぶつと言っていた母親は、やがて小さなあくびをして、眠いわと言い、そのままころりとベッドに横たわって眠りました。母親の体に毛布をかけてやりながら、ジョーンは子どものような母親の顔を、悲しそうに見つめました。

ジョーン・ベンサムは結婚もせず、一人でアパートに住んでいたのですが、最近、母親の様子がおかしくなり始めてから、アパートはそのままにしておいて、ずっと実家に帰ってきていました。母親は、普段はそんなに変わりはありませんが、何かの拍子に発作を起こし、ジュディスはどこ?といって探し始め、娘が見つからないと言っては癇癪を起こすようになったのです。

後を父にまかせ、ジョーンが元の部屋に戻ると、パット・キムは、席を立ちながら彼女に言いました。
「一応、こちらでいくつかファイルを預かって、検討させていただきたいのですけれど、いいでしょうか?」
「…ええ、かまいませんわ。ほかにも何かがみつかったら、また連絡します」
「学生時代の童話作品にも、心を引かれるものがあります。良い画家に絵を描いてもらって、絵本にしてみたいわ。熊と兎が空を飛ぶお話」
「…ああ、それは、昔、子どもだったころ、わたしたち姉妹が、ぬいぐるみで遊んでいたときにできたお話が元になっていますのよ。なつかしいわ。あの子は小さなときから、おもちゃを使って、いろんなお話を作っていました…」

パット・キムは、預かったファイルを持って、会社の白い車で帰っていきました。ジョーンは、玄関でパットを見送ると、何か気の抜けたようなけだるさが、頭の中をぐるぐる回すのを感じました。一息の風が吹き、彼女は何かに導かれるように、家の庭に回り、しばし、昔妹と一緒によく遊んだ芝生の上に立っていました。そこに散らばっているあふれるような記憶の数々が、彼女の目に小さな涙を呼びました。ジョーンは芝生の隅に、まだ小さかった頃の妹の幻を見たような気がして、言いました。
「もういないのねえ、ジューディース、生意気なわたしの妹…」

「いるわよ、ここに」
すぐに、返事が返ってきました。しかしその声は、もちろん、ジョーンの耳には聞こえませんでした。黒い肌に銀の髪をした古道の魔法使いは、生きていた頃、姉だった女性の横顔をすぐそばから見ながら、言いました。
「しばらく見ないうちに老けたんじゃない?お姉さん」

「人怪も、親子の情には弱いんですよね」彼女の横にいた日照界の少年が言いました。「不思議なことだ。他人にはいくらでもいじわるするのに、自分の子だけは特別なんだ。虐待をする人怪もいるけど、ほとんどの人怪は、まともに子どもを育てる。あなたが死んで、あの人怪、相当強いショックを受けてるみたいだ」「そうねえ」古道の魔法使いは少々複雑な顔をして言いました。

「お姉さんとミス・キムの尽力で、あなたの作品はずいぶんと長いこと、地球上で読まれていくそうです」「ふうん、そう」「人生は短くなってしまったけど、相当にいい仕事はできました。今回の本も、まだ遺稿の束を探ってる段階で、タイトルも決まっていないのに、もう予約が入ってるそうですよ」「へえ」古道の魔法使いは、芝生の隅に立ってじっと動かない姉の顔を見つめながら、気もない様子で、答えました。少年が言いました。

「…さて、もういいですか?時間が迫ってる。ショッキングな人生でしたからね。心残りはあるでしょうけど、もう行かなくては」「わかってるわよ。でもちょっと待って」そう言うと古道の魔法使いは、風のように姉の頬に小さくキスをし、耳の中に「愛してるわ」とささやきました。するとジョーンは、なんだか聞き覚えのある声が聞こえたような気がして、びっくりしたようにきょろきょろと周りを見回しました。しかし庭には、彼女の他には誰の姿もありませんでした。

古道の魔法使いは姉の顔に微笑みかけると、少年と一緒に風にふわりと飛び出し、空に上っていきました。

ジュディス・エリルの、事実上最後の詩集になる一冊は、それから半年後に、出版されました。

タイトルは「ユディトの斧」。

一体、殺されたのは、男と、女と、どっちだったのか。そして彼女が残した作品から、何が生まれ、どこに流れていくのか。それはまだ、神様以外は、だれも知らぬことでした。



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