電機メーカーのシャープ、パナソニックやソニーとは得意分野が違ったものの日本の技術の
最先端をリードすることは間違いなかった。
パナソニックの前身、松下・ナショナルと共に大阪発祥の企業で、出身地の最寄駅であった
大阪市営地下鉄御堂筋線の西田辺駅もJR阪和線鶴ヶ丘駅もシャープ本社に通う社員の
通勤駅であったのでとても親近感を持った会社であった。
子供の頃、当時の早川社長の邸宅の前を通っては「こんな家に住めるような・・・」と思ったものだ。
開発力に優れていて電子レンジや電卓は世界最先端を歩み、パソコンの走りであるMZ-40や
MZ-80のシリーズに触れた時など衝撃が走ったのを覚えています。
残念ながら液晶やソーラーパネルも最先端を走ったために経営の歩みを少し間違えてコースアウト。
大きな経営の危機となって破たん寸前まで来てしまった。
奈良盆地でも大和郡山市美濃庄町を中心に天理市櫟本工場や葛城市新庄工場など、県の
企業の重要な位置を担ってきました。
以前、テレビの液晶工場を天理に拡大したいと県に打診があった時、余所者を受け入れにくい県は
NOと回答し、三重県の亀山工場開設へと進み世界各国にも『亀山モデル』と名を知らしめた経緯が
あった。
その後もソーラーパネルの増産に葛城市新庄(当時は北葛城郡新庄町)に工場を拡大したい旨を
受けたが、それもNOを突き付けた。
そのために大阪府堺市の臨海工業地帯にドデカイ工場を設立して、一部の奈良県民は砂を噛んだ、
まさかこれほど東南アジアにその技術を持って行かれるとは、当時の誰もが思いもしなかっただろう。
今となっては大規模な雇用の解雇や業務縮小の憂き目からは被害も少ないようにも見えなくはない。
それでも葛城市新庄工場でも1000人を超える雇用のカットだとか。
その波紋がジワジワと足元に迫って来ている感じは否めない。
景気の底はいつ終わるのか?