穏やかだった昨日に引き続き爽やかな雰囲気で明けた「うるう日」でした。
天気予報の雨の予想が嘘のようで延ばしている外仕事を繰り上げようかと準備をしていたら
9時半頃から急に曇りだしたと思ったら、嵐のような180°違う暴風雨になりまして、夜中まで
大荒れになっています。
せっかくの4年に一度の与えられた1日なのに真冬に逆戻りでした。
倭国・大和朝廷・飛鳥京・藤原京と賑わいと隆盛を見せた大和豪族の荘園であった盆地南部は
その勢力を象徴する古墳が多数点在し、ところどころは古墳群と言われるほど密集しています。
今日はその中の一つナガレ山古墳をちょいとお散歩。
5世紀前半に築造さりたとし、全長105m、後円部径65m、高さ8.75m、前方部
幅70m、高さ6mの前方後円墳。
後円部は三段、前方部は二段に築成されています。
平成9年(1997)に整備復元された1,600年前の古墳です。
後円部が北、前方部が南に向いていて写真の中の赤い古墳の図の青い矢印の向きから
眺めています。
周囲には埴輪の壺(?)がずらり並べられていて説明の標識があります。
階段が手摺付で設けられていて墳墓の上に上ることができます。
南に向いて右(西)から左(東)方向へと眺めてみる表示板があり、画像の下側は自分で
撮った3枚の画像を繋げてみた現在の物です。
回れ左をして東に向いて右(東南)から左(東北)を望んだ風景も
こんな感じで、民家がほとんど見えないのは周囲を木立に囲まれた(馬見)丘陵地帯の
上にあるからです。
木々が無くなるとすぐ下に民家が広がっているのが解かります。
前方部の墳頂には、埋葬施設が残っていました。
箱形木棺を粘土で覆った粘土槨だったようで棺内は赤く塗られおり、特に赤の濃い部分に
被葬者の頭があったと思われます。
この前方部の埋葬の形は、女性を葬ったものと推定されています。
後円部は盗掘されていて被葬者は特定できていません。
しかし、前方部の被葬者とあわせて、夫婦を埋葬した可能性が指摘されています。
かつての豪族・貴族といった権力者だったのでしょうね。
そんな墓の上に立って罰当たりだとは思いますが、その後円部から前方部を見下ろすと
前方部から見上げれば
埋葬されていた木棺の位置も明示されています。
不思議な感覚ですね。