今日午後は京都での現地調査でした。
左京区一乗寺堂ノ前町というところで僕は電車で京阪電鉄・出町柳駅まで行って車で拾ってもらう段取り。
大和高田から近鉄大阪線で大和八木駅、橿原線・京都線を経由して丹波橋駅で京阪乗換というパターン、
近鉄大阪線で大阪・鶴橋、JR環状線乗換京橋、京阪本線で行くパターン、JR和歌山線(桜井線)から
王寺駅経由でJR大和路線快速で大阪駅、東海道・京都線で京都駅から地下鉄かバスなどのルート。
一番安いのは鶴橋、京橋、京阪本線ルート。 乗車時間が短いのは近鉄特急で大和八木・丹波橋ルート。
久しぶりに淀屋橋から京阪特急のルートを選びました。
大阪市民だった1993年までは京都へ電車で行く場合
全て京阪電鉄でした。
大阪市民でも北部の人は阪急・京都線で西院・烏丸・
河原町の四条通へ出る方がほとんど。
難波以南の住民は京阪本線・淀屋橋から七条・四条・
三条の川端通り(鴨川沿い)へ。
JR沿線沿いの人は大阪駅から京都駅とおおよそ
分かれていました。
漫才師の中川家・礼二がよく真似をする京阪電鉄の
駅のアナウンスが関西でも独特の鼻にかかった
甘い声で好きでした。
昭和の運行当初は ♪天満橋から三条へ と 「京阪特急の歌」で 楠トシエさんの歌でした。
1963年(昭和38年)春に淀屋橋まで延伸されて、その歌声も聴けなくなりました。
現在は京都・七条から地下に潜っていますが昭和62年までは三条駅も地上にありました。
当時大阪・京橋を出た特急電車は七条までノンストップ早くでテレビカーも楽しかったです。
今は特急でも京橋を出て枚方(ひらかた)市駅、樟葉(くずは)、中書島(ちゅうしょじま=宇治線乗換)
丹波橋(近鉄線連絡)と停まり、七条・清水五條・祇園四条・三条・神宮丸太町・出町柳終点まで。
途中の景色もずいぶんと変わり4本の淀~中書島間にある清掃工場の煙突が線路のカーブによって
2本・3本・4本と見えるのが『おばけ煙突』と呼ばれてひとつの名所でした。
現在はこんな感じになっていました。
近畿の鉄道の変遷はけっこう激しくて元々の京阪は淀川の西側、今の阪急・京都線の方を走っていて
高速道路など道路の整備に合わせて今のコースに新京阪として敷設されました。
今は別々の会社になっている阪急と京阪。
ルーツをたどれば、というか正式に名前をつなげると 京阪神急行電気鉄道。
近鉄の京都線も元を辿れば京阪からの譲渡のようなもので、みぃーんなつながりがありました。
こんなことを知っているのはやっぱり年を重ねたということなのでしょうね。